夏祭り

件の十七日、時間が午前中は暇だったので、実際に勉強をした。午後のことを考えると、身があまり入らなかったが、ダラダラと数学の問題演習をした。

応用問題で思考が止まって、自分で書いた途中式をぼーっと眺めるのに慣れたころ、祖母に扉を叩かれて昼食に呼ばれた。

テーブルに着いて、すこし自分でも浮つきながら祖母に今日の予定を話す。

「あ、おばあちゃん」

「なんだい?」

「今日空とまた出かけることになったからよろしくね」

「あら、どこに行くの?」

「うん、夏祭り行きたいって誘われたから」

「ふーん?」

祖母は純粋ではなさそうな、湿っている笑顔を向けてきた。

「全然いいわ、楽しんできな」

「どうも」

そのあとはすこしイラつきながらも、祖母と雑談して食事を終えた。そのあと、出かける準備と着替えをして、もう一度空とのLINEを見る。

「花火の前に屋台も観たいから三時までに駅集合で!」

いつもは大体迎えに行ってるのに今回は駅集合でいいのか気になったが、どうなのだろう。

もしくは、俺が行くだろうと信用しているのだろうか。いまいちよくわからない。

LINEに確認の文章を打ち込む。

「そういえば、駅集合って書いてあるけど、俺迎えに行かなくていいやつ?」

空からはすぐ既読がついた。

「めんどくさい~」

「これだからLINEはやだ」

と立て続けに来て、返信しようと思い立つと同時に、先にメッセージが送られてきた。

「じゃあ文面通りでいいよ、待ってて」

「了解」

それだけ書いて、LINEを閉じる。

財布の中身があるか確認してからとりあえず一式揃ったバッグを部屋の隅に放り投げて、スマホのブラウザで野守まつりと検索する。

空から大雑把には聞いているが、正直あまり良くわからないのでスマホで詳しい内容を調べる。ホームページは立派で、ポスターもわかりやすい。少なくとも手賀沼の花火大会と遜色ないやる気だ。詳しく見ると、八時からが花火で、それまでには供養祭や灯篭流し、小さな屋台などもやるようだ。集合時間的に、たぶん屋台なども回る予定なのだろうと予想した。

時間まで暇なので、SNSとヤフーニュースなどを見て心身を休めつつ、三十分前に家を出た。

外に出ると、昼から熱された地面や植物が、その熱をそのまま自分に放射してくるような感覚だった。腕はじりじりと焼かれ、ふくらはぎや太もも辺りも、じんわりと熱くなってくる。

夏休みになって何度も通った駅までの道を歩く。坂を補強してある坂道を下って、道の脇を見ると見慣れたカードレールと、初めて来たときよりも黄緑色に輝く木の葉が印象的だった。

ボロボロの道を数分歩いて、駅のロータリーにつく。

もうここも見慣れたもので、隣町の駅ぐらいの安心感だ。近くの砂利が敷いてある駐車場で、スマホを開いて時刻を確認する。おおよそ五分前ぐらいだ。

スマホをしまって、ぼーっと遠くを見て待つ。普段はあまり意識しない山々を眺めていると、京都に旅行に行った時のことを思い出した。同じ盆地なので似ているのかもしれない。まあ、周りの山の名前は知らないけど。

しばらく考えているうちに、そろそろだと思ってスマホを見ると、予定から数分ぐらい経っている。

まあ遅れることもあるだろうと、スマホを擦って暇をつぶしている。

蝉の声がスマホの情報よりも入ってきて、そろそろかなと、スマホの時間表示を見てみると、予定から十分ぐらいが過ぎた。流石に心配になってきたので、空にLINEを送る。

「大丈夫そう?」

いつもはすぐに既読がつくのに三分以上も経っても既読はつかなかった。

背中の筋に変な汗が流れる。色んな事態が頭をよぎって、段々と不安になってくる。血の気が引いていくのが、自分でも感じられる。

とりあえず待つことを選択した。LINEを逐一確認して、既読がついていないか見る。

すると、空の家の方から水色が小さく見えた。あの小さい背格好は、空だ。

どんどん近づいてきて、あちらもこちらを見つけたようで、手を振ってきた。

「ごめん~!遅れた!」

水色に見えたのは着物だった。薄い水色の生地に控えめな紫色の花の模様がアクセントでついている。髪の毛はいつものショートヘアのままだけど、なんだか着物の配色が空らしくて、とても似合っていた。

「あれ?着物?」

「どう?似合ってるかな」

「めちゃくちゃ似合ってる」

「やった~」

「遅れた原因もしかしてそれ?」

「うん、まあいいでしょ?」

といつもの笑顔で見てくる。

「まあ…うん」

空の着物をじっと見るのはちょっと恥ずかしい。

「でもちょっとビビったかな、なんかあったかと思った」

「ごめんごめん、まあ流石に今はほとぼりも冷めてるし大丈夫でしょ」

「まあ…心配してくれてありがとね」

そう微笑まれると、何も言えない。

「じゃあいこっか」

「うん」

そうして空と二人で改札を通って、ホームに行く。

白いペンキがはげて錆びた部分が見える柱にもたれ掛かって電車が到着するのを待つ。

くすんだエメラルドグリーン色の電車が来る。いつも通り人が居なくて、冷たい空気を運んでいた。多分、もう少し早めに行って最初から参加するか、もう少し後で花火だけ見るとかでこの時間帯には少ないのだろう。

車内に乗り込むと冷房が当たって、心地よかった。空が隣にいるのもあるかもしれない。

周りに人もいないので、普通の声量で話し始める。

「着物ってどこで買ったの?」

「いや、親のおさがりだよ。着付けも親にやってもらっちゃった」

「へ~、そうなんだ」

「やっぱり夏祭りといえば着物だし」

「たしかに」

空が何かに気づいた様に、小さく声にならない声を出して、更に話し始めた。

「そういえばさ、今回のお祭りについては調べたの?」

「うん、一応公式サイトは見たけど…」

「いや、そっちじゃなくて、ほら、ここに来たときみたいに信仰とかさ」

「あ~…」

まったく調べていなかった。今言われるまで、その発想がなかったかもしれない。

「ごめん、調べてない…」

「え、意外。めちゃくちゃ調べて喋ってくると思ってたのに」

「そんなイメージ?ただ単にそういう発想がなかったな、調べようって」

「話しについていけないと嫌だから一応僕最低限調べてきたのに~」

「ほんと?マジでごめん」

「いいよいいよ、全然」

「言い訳していい?」

「いいよ、どうぞ」

「多分、楽しみだったからかな、初めてだしデートとか」

ぱすっと肩を軽く叩かれる。空は笑顔で、なんというか嬉しそうだった。

「いいね〜、でもまだ序盤だから。もうちょい夏祭りまわってから盛り上がろ」

「おっけー」

ひと段落して、また空が喋り始める。

「花火って何時からだっけ?」

「たしか八時だったと思う」

「おっけー、じゃあ八時までは屋台巡ろうかな」

「ついでに財布は…?」

「持ってきてないよ」

「知ってた」

そんな会話をしつつ、アナウンスに耳を澄ますと、もう家山だ。

家山駅は島田方面で朱崎からかなり近い。十数分で着く。正直待ってた時間よりも乗ってる時間のほうが短かった。

二人で電車を降りると、家山駅の駅舎が見えた。木造で、なんというか…朱崎よりは酷くないが、その古さが伝わってくる。料金表や昔の広告が貼ってある駅舎を出て、改札を出た。

家山駅前は、駅前というよりも住宅街の一角のような感じで、たばこの自販機の横でおじいさんが法被を着て喋っていたり、空のように着物を着ている女性などが、同じ方向に歩いている。なんだか、ここでやっと、夏祭りに来たという実感が押し寄せてきた。

駅の横の駐車場は車で満杯で、三角コーンに案内が書いてある。

空の方を向くと、目を輝かせていた。

「お祭り来た感出てきたね!」

どうやら同じことを考えていたらしい。

「うん、まだ会場ついてないのにね」

「なんていうんだろ、この雰囲気がお祭りって感じがするな。非日常的な?」

軽く同調する。

「わかる、なんか心踊る感じがする」

「たしかに~、だからこういうお祭りも続いていくのかも」

そして、着物姿の空と横並びで他の人達と同じ方向へ歩いていく。

住宅地の道を歩いていくと、太鼓の音が聴こえてくる。近くだと腹に響くような音も、ここまではただ薄く聞こえるような響きだ。

小学校や小さな住宅地、丘のような公園の横を歩いていく。通行人の雰囲気を例えるならオレンジ色だ。期待や喜びに溢れているのが見ていて伝わってくる。

会場までは徒歩七分ぐらいで、公園を抜けた辺りで見えてきた。夏の光がどんどんと群青に染まっていく下、池にはぽつぽつと色とりどりの灯篭が浮かんでいる。ホームページに書いてあった。ちょうど灯篭を流し終わった頃だろう。普段は汚れてくすんでいそうな池が、今だけは光を反射して、むしろ綺麗に見える。

池の隣の広場では、屋台が道にずらっと並んでいる。反対側を見ると、紅白の布が掛かっている櫓、踊り終わったであろう小学生たちが固まって道の端で話している。法被を着たおじさん達が、集まって、ブルーシートを太鼓にかけ、池の周りに青色のコーンを置き始め、ぞろぞろとおそらく屋台で買い終わった人達が池の周りに集まり始めた。

レジャーシートを敷く人や、カメラを構えて灯篭の写真を撮っている人もいる。

俺は、チラッと浴衣姿の空のほうを向いた。

「じゃあ、まず屋台いく?」

「いいね~僕何食べようかな~」

「俺は焼きそばあったら焼きそばかな」

「屋台の焼きそばっておいしいの?」

「ペヤングと同じぐらい」

「わかんないって」

空はにっこり笑ってくれて、屋台が並ぶ道に行く。

焼き鳥や焼きそばの食事系のいい匂いが漂って、熱気も相まって更にお祭り感が五感で感じられるようになる。

地域のお祭りにしてはかなりの人混みで、俺たちぐらいの年齢層の女性グループやもう少し幼い子供たちが大多数で、地域のご老人もぽつぽつと居る。

露店には焼き鳥や、伸びるチーズが入っているホットドッグ、王道のりんご飴や射的も並んでいる。

「じゃあ僕リンゴ飴買ってくる」

と手の平をこっちに伸ばして来る。

「はいはい」

察して財布から野口英世を二枚出した。

とりあえず一旦別行動で、欲しいものを買うことになった。俺も屋台を見て回る。さっき空に宣言していた焼きそばをガテン系のお兄ちゃんから買い、他にも安っぽいプラスチックに入った焼きいかなどを買った。

焼きいかを道の隅で頬張っていると、空が帰ってきた。不敵な笑みを浮かべながら、透明な袋に入ったりんご飴とピンク色の綿あめを持っている。

「ちょっとついてきて~」

と、リンゴ飴などを持ってる反対の手で腕を軽く掴まれて、とことこ空についていく。あっけにとられながらも、反応する。

「なんで?」

手を引かれながら、奥の屋台の方まで歩く。

「気にしない気にしない」

空はずっと不敵な笑みを浮かべたままだ。そのままついていくと、トロピカルジュースという看板の、ジュースを売っている屋台についた。

大きいボトルの三ツ矢サイダーや、他にも炭酸飲料が並んでいる。そして、地面に置いてある白いクーラーボックスに視線がいった。

クーラーボックスの蓋には、大きくラムネ瓶150円と紙が貼ってある。

脳裏に空と初めて出会った時の出来事がフラッシュバックしてくる。すべてを察した。

にやつきながら、横から空がいじわるそうに聞いてくる。

「開ける?」

「いや…いいよ…」

思い出すだけで恥ずかしい。

「やっぱり最初のラムネのやつ気にしてたんだ」

「違うんだって、あれは若気の至りってやつで…」

「僕はいいと思ったけどな」

「ねちょねちょしたような好意の寄せ方よりも、あれみたいなばかな好意のほうが僕好きだし」

「それに初印象が面白い人になったしね」

いじられたと思ったら、やたらと褒められた。

「それなら…よかったかも?」

じゃあ、と空が付け足す。

「ラムネの開け方もっかい教えてよ~」

「だから!ごめんって!!!」

「え~」

空はまた意地悪く笑った。

「しょうがないから買うよ…」

「いえ~い、じゃあ僕の分も!」

と、財布から三百円を取り出して、法被を着たおじいさんに手渡した。

クーラーボックスを自分で開けて、二本の氷で冷やされていたラムネ瓶を取り出した。

片方を空に手渡して、自分の手元にあるラムネを開ける。渋い気持ちで、ピンク色のプラスチック部分を手のひらで強く押した。

ピションという音とともに押し出されたビー玉が泡に包まれて落下した。

空がわざとらしく歓声を上げる。

「これでいい?」

「うん、満足」

と、買ったラムネをちょびちょび飲みながら、二人で道を歩く。空のほうを見ると、りんご飴を小さくかじってから見つめている。

「りんご飴って美味しいの?」

「あんまり美味しくないかな、しょっぱい」

「りんご飴でしょっぱいなんてことある?」

「ほんとほんと、僕もういらないしあげるよ」

と、一口かじった痕があるりんご飴を手渡された。かじった痕の反対側から俺も一口かじってみると、確かにしょっぱいというか…リンゴがスポンジみたいで、飴も甘くないので最悪だ。

「確かに、これは不味いわ」

「でしょ?これは夏祭りの雰囲気を売ってる味だね」

「せっかくちょっと楽しみだったのに~」

空が腕を振って、袖がパタパタ揺れている。

「こういうテキ屋ってあたりはずれあるからね、しょうがない」

「テキヤってなに?」

「あ~、えっと、こういうお祭りの時にこういう屋台を専門でやってる人」

「そうなんだ、こういうのお祭りの実行委員会とかがやってると思ってた」

「多分そういうケースもあるんじゃない?そこらへんちょっと良くわからないけど」

「確かに、クジとかってヤクザ絡んでるって聞いたことある」

口が回りだす。

「いや、それは違くて、テキ屋っていうのは元々中華圏から伝来してきて、まず信仰している神がヤクザとは違ってて神農っていう…」

そこまでで空に遮られた。

「わかったから、早口で語りださない」

「ごめん、つい」

「ほら、まだ回ってないとこあるから行こう!」

そうやって、他の露店を指差す空は、なんだか子供みたいだった。

そのあとも食べ歩きをしながらお好み焼きの露店や、ストローがスプーンになっているタイプのかき氷、射的などを見て回った。

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