渡辺さん

空が玄関を閉めたのを確認して、俺は自分の家に歩き出した。

暗くなってきたので、スマホのライトを使って道を照らして、小走りで家に帰る。

「ただいまー」

「おかえり」

祖母が部屋の中から。靴を脱ぐ間もなく話しかけてくる。

「どうだった?楽しかった?」

「うん」

「よかった。どんなの四条ちゃんとは?何か進展あったかしら?」

「告白されたけど」

「えぇ!?」

祖母が部屋の扉を叩きつけて、廊下に出てくる。

「そらまあ!それほんとかい?逆じゃなくて?」

「うん」

「ついでに…OKしたのかい?」

「…うん」

「かぁ〜!青春だね!」

祖母は急にテンションが高くなる。

靴を脱いで、部屋に戻って着替えた。今日のことを祖母に話しながら、晩飯を食べる。

祖母ががつがつ聞いてくるのをいなしながら、晩飯を終えて、風呂に入った。

湯舟に浸かると今日の思い出がフラッシュバックして、なんだか自分の発言一つ一つが後から恥ずかしくなった。

長風呂せずにすぐに上がると、風呂場の前の洗面台に置いてあるスマホに通知が来た。

タオルで身体を拭いてからラインを見てみると、空からではなく、田中からだった。

「最近どう?」

なんてタイミングだろうと思いながらも、既読をつけてしまったので、落ち着いて返信するために、風呂上がりのまま部屋に戻る。

座布団の上で胡坐をかき、返信を打ち込もうとするともう一つ画像が送られてきた。

田中を含む卓球部の男子が焼肉屋で打ち上げしている写真だ。

「こっちは地区大会の打ち上げしてた」

返信を打ち込む。

「焼肉いいなー」

「だろ?そっちはなんかあった?」

「あった」

「マジ?なに」

「他のやつに言うなよ?」

「まかせろって」

嘘だ。多分インスタのストーリーにでもあげる。でも一応仲のいい田中には伝えておきたいのでスマホを擦った。

「前言った可愛い女の子いたじゃん?」

「おん」

「その子と付き合ってる」

「マジ!?」

「まじ」

「なんでタカヒロみたいなやつと!?」

そこかよ、と思いながらも俺もそう思ってはいた。

「いろいろあったんだよ」

「そうか…仲間だと思ってたのに」

「仲間ってなんだよ」

「夏休み終わったらその彼女の顔見せてくれよな」

「おけおけ」

なんだかんだで田中はいい奴だ。だからいつも絡んでいる。

区切りが良くなったところでスマホの電源を切った。疲れたので、布団を敷いた。

目を閉じる。すると瞼の裏に今日のことが浮かび上がってくる。

夕陽が映る水平線に、空がぽつんと立っていて、今になって写真でも撮っておけばと後悔していた。


それからの数日後、空とラインをしながらの毎日を過ごしたいたときの事だった。廊下で祖母に呼び止められた。

「タカヒロ、下で誰かタカヒロを呼んでいるよ」

「なんだろ、行ってくる」

多分空だと思った。そのまま部屋着で階段を下る。

一階が見えると、駄菓子屋には似合っていない紫色の頭巾が見えた。焦って記憶をまさぐって該当する人を探す。そうだ。たしか初日に聞き込みをした斜面にいたお婆さんだ。

「お~やっときたけん」

「あ、こんにちは」

お婆さんはゴム製の長靴に、軍手、麦わら帽子で、いかにも田舎らしい格好だ。

「いまから三番茶の収穫するけん、わけーしに手伝ってもらいにきた」

「え、いまからですか?」

「そうだべ、はよおやしたいから着替えてきな」

「そんないきなり…」

確かにそんな会話をしたような気がするが、こんな急な話なんて聞いてない。

でも、まあ断る理由もないし、あながち暇だったからいいのかもしれない。

「わかりました…」

と言うと、お婆さんは笑顔になった。

「んじゃ、外でゆるせい待ってるの」

声色良くそう言って、駄菓子屋から出て行った。

「はぁ…」

ため息をついて、自分の不甲斐なさというか、勇気のなさが悲しかった。

勇気というのは正しくない表現で、他人をあんまり不幸にしたくないのかもしれない。

二階への階段はギシギシと軋む。いつもは何も感じない音もなんだか不快だった。

部屋の奥のふすまを開けて、動きやすくて、汚れてもいい服を選ぶ。捨てる用のワイシャツと無地を着て、廊下に出た。すると祖母に話しかけられた。

「誰だって?」

「調査で会ったこの村のお婆さん、頭巾被ってる」

「あ~、渡辺さんね」

「いまからお茶摘むらしいから呼ばれた」

「どこも若い人足りてないから、仕方ないわよ」

「はぁ~…みんなせめて一言言ってから来てほしい」

「まあご近所付き合いよ、迷惑かけないようにやってきなさい」

「は~い」

階段を降りると、お婆さんが駄菓子屋のベンチで腰掛けて待っていた。祖母が言うには渡辺さんの元に行った。

「お~、来たが、いとまもない、いごね」

後半らへんは少し意味はあやふやだが、文脈的に早く行こうという意味だろう。

「了解です」

渡辺さんに連れられて、俺は空の家に行く途中にある棚田だと思ってた場所に来た。

どうやらここは棚田じゃなくて、茶草場という枯草から肥料を作るところだったらしい。

そして、その茶草場の横にある茶畑が今日の仕事場らしい。ちょうど、空の家に行く途中の道の目の前だ。

日光がもう緑色が強くなった茶葉を強く照らしている。茶葉の前についたところで、渡辺さんからの指導が始まった。実際に見本を見せながら解説してくれる。

「新芽の先から親指一個分のところを親指と人差し指で折っで、二枚の葉と一緒に籠に入れる」

と素早い動きで、何本も竹籠に緩急をつけて入れる。素人目に見てもとても上手だ。

「やってみ」

今度は俺の番のようで、中腰になって、葉を摘み取る。

新芽は柔らかくて、空の指を思い出した。でも、日光を受けたからか暖かく、芯は意外と固かった。

「えーかん上手だな、まめったくがんばりな」

と今度は、茶畑の隅を指さす。ここから見て、かなり遠くに見えた。

「じゃあ茶畑のくろまでだな」

くろ…つまり端までのことだ。

「多すぎませんか…」

「しょろしょろしてないではよやりな!」

とぼろぼろの竹籠を渡されて、仕方なく背負って葉を摘み始める。

正直辛すぎて辞めたかったが、段々葉を摘んでいくのに慣れていき、楽しくなっていった。

いつの間にか水を飲むのを忘れて、作業に没頭していた。手に葉が刺さる感覚が無くなってきた頃には、言われていた茶畑の端についていた。

背負っていた籠は、摘んだ葉で一杯で、溢れもせず、ちょうど籠一杯分だったので、おそらく長さが籠に合わせてあるのだろう。その葉でいっぱいの中身を見ると自然にふつふつと達成感が湧いてきた。

「こんきーだろ?そろそろ休むべ」

と他の段から戻ってきた渡辺さんが呼びかけてきた。こんきーは、たしか疲れたみたいな意味だった気がする。

「了解でーす!」

渡辺さんは軍手を外して、茶畑近くのプレハブに置いていた巾着袋から、水筒を取り出す。

「まがましー佐藤君には、これ飲んでいぞ」

水筒の蓋側をコップにして、トクトクと緑茶を注ぐ。

「じゃあ、お言葉に甘えて…」

緑茶は、香りも良くて、舌触りも味も人生で飲んだ中で一番おいしかった。

「めちゃくちゃ美味しいっす」

「だな?ここの茶畑で摘んだ一番茶でみるい草だから一番美味しんだ」

「へー、そうなんすね」

お茶を啜り終えるとまた渡辺さんが喋り始める。

「んだ、もう一段よろしくな」

「はい…」

と慣れてきたものの、もう一回は流石にきつい思いつつも腰を上げる。

更に道側に近い茶畑で、葉を摘んでは入れ、摘んでは入れを繰り返す。

単純作業の繰り返しと、水分不足で頭がおかしくなりそうだったが、なんとか籠を一杯にするぐらいまで摘めた。

手は葉で若干切れていて、ヒリヒリと痛む。ほぼ皮膚の感覚もない。腱鞘炎になったときみたいだ。

葉の重さを感じる籠を背負って、少し遠くの段にいる渡辺さんに話しかけた。

「終わりましたー」

「そか〜!この段やりきって解散やから、やすんどき」

「了解です!」

そう言って、近くの地面に座る。もうズボンなんてどうでもいい。

しばらく放心状態で道を眺めていると、渡辺さんが戻ってきた。

「これでしまい、みがましく働いてありがとな」

すると巾着袋から渡辺さんは銀色の袋を取り出した。

「はいな、今日はまめったく働いてくれてありがとな」

と言って手渡された。持ってみた感じ、かなりの量がある。

「これは?」

「さき飲ませた一番茶、業者に蒸してもらったばっかで、美味しいで」

「あ、ありがとうございます…」

「ほとは摘ませた葉をあげたいけどな、蒸すのがあるからな」

「じゃ、ヒロ子によろしくが」

「わかりました…」

そうして、帰ろうとすると、後ろからもう一声かけられた。

「四条家と関わってるおだっくいって噂は嘘だな、こんなに真面目だ」

冷や汗をこらえて、俺は叫びたかった。

違う…

怒りを押さえて。砂利道を強く踏んで、発散して、心を落ち着かせる。

空は何もしていないのに…とファミレスでの会話も思い出してさらにムカついてくる。

帰路についたら、早歩きで身体を更に酷使して帰宅した。祖母に強引に茶葉を渡して、部屋に戻る。

別に空と一緒にいることがバレても、俺はいいと思ってる。だから冷や汗なんか出す必要なんかない。

もんもんとその様な思いが渦を巻きながらも、疲労がどっと出てくる。

汗と疲労でぐちゃぐちゃになった身体を無理やり休めるために、その日の夜は泥のように眠った。

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