昇進試験

下東 良雄

最後の試練

 コン コン


「どうぞ」


 ノックの後、扉の向こうから返事が返ってくる。

 これが最後の関門。

 ドアノブを握る手は緊張で少し震えている。

 しっかりしろ。ここで無様な姿は見せられないんだ。


「失礼します」


 僕は意を決して『役員会議室』とプレートの貼られたドアを開いた。

 そこには、木目の大きなテーブルを挟み、向かい側に恰幅の良い中年の男性である専務と、七三痩せ型で眼鏡をかけた中年である人事部長のふたりが座っていた。僕の緊張感が最高潮に達する。


 いよいよ『昇進試験』が始まるのだ。


 僕が勤めているこの会社には、昇進のための明確な試験や条件はないが、部長になるためには課長として管轄の部署を牽引し、五年以上に渡って社に貢献したと断言できる実績を積み重ねていく必要があると言われている。僕の場合は営業三課の課長なので、売上と利益を上げ続けなければならず、部下たちを鼓舞しつつ、時には自ら現場に出向き、取引先と密接な関係を築きながら、この条件をクリアしたのだ。

 そして、昇進にあたって必ず行われると囁かれているのが、役員と人事部長との面談。つまりこの場のことだ。ここでしっかりと会社への帰属意識や自身の能力の高さを示さないと、部長にはなれない。

 昇進に向けた最後の試練。そう、この面談こそが部長になるための最後の『昇進試験』なのだ。


「どうぞ、お座りください」


 人事部長の言葉に、テーブルを挟んで向かい側に座る僕。


「営業三課は調子が良いですね。一課や二課はかなり苦戦していますが」


 おっと、人事部長ナイス! これは良い出だし! ここは謙遜を交えつつも自分の実績をアピールだな。


「はい、お陰様で部下たちが本当に奮闘してくれていまして、最後の難しい詰めの部分は、私も一緒に現場で頑張らせていただきました」

「営業三課のメンバーは優秀なのですね」

「それに報いるように、よくご飯をご馳走したりしています。おかげでいつも財布がすっからかんですよ。ははは」


 うなずく人事部長。部下の面倒見が良い上司アピール、成功だな!


「先程のお話だと、現場に出られることもあるのですね」

「そうですね。先方さんとの契約締結の際に部下と同行して、最後の締めを行うことが多いです。責任者が出てくれば、契約にかける意気込みも伝わりますし、そこで先方さんとつながりが持てれば……そんな風に考えて行動しています」

「契約内容は多岐に渡ると思いますが、把握するのは大変ではないですか?」

「いえいえ、そんなことはないですよ。それに僕くらい経験を積んでいると大体見えてくるんですよ。相手の喜ぶくすぐり方や契約上のポイントとかが。ですので、最後はお互い笑顔でシェイクハンド! っていう感じですね」

「営業の課長さんともなると凄いんですね」

「まぁ、一課と二課はその辺が甘いのかもしれませんね」


 よしよし、自分の強みをうまく説明できたな。ついでに一課と二課の課長も下げておけた。いい感じだぞ!


「お話の途中ですみません。少し席を外します。専務、よろしくお願いいたします」

「ん、分かった」


 人事部長は部屋から出ていってしまった。

 役員会議室は、僕と専務のふたりだけだ。

 専務は次期社長の有力候補のひとり。ここが正念場だ!


「君は、今我が社とグループ全体が取り組んでいるプロジェクトを知っているな?」


 専務から切り出してきたのは、噂に聞いている超大型プロジェクトの件だ。この話をしてくるということは……期待されてるな、僕は。


「はい、存じております。世界最大手のタヨト自動車と、成長著しい通信会社のハードバンクが絡んでいるプロジェクトですね」

「そうだ、まさに社運、いや、グループ全体の命運を賭けたプロジェクトと言っても過言ではない」


 僕はゴクリとツバを飲み込んだ。


「本格的なゴーサインが出れば、情報公開解禁となって先の二社とともに我が社の評価も大きく上がり、我が社の株式上場も現実のものとなるだろう」


 株式上場……僕もおこぼれにあずかれるかもしれない……!


「しかし、その『ゴーサイン』が出ないのだ……」

「どういうことですか?」

「ハードバンクが絡んでいることもあり、最終的なゴーサインは総務省が握っている」

「国……ですか」

「その通りだ。しかし、先進技術に理解の浅い官僚たちは、中々首を縦に振らないのだ」

「それは厄介ですね……」


 専務がニヤリと笑った。


「そこでだ。君には官僚たちの懐柔を任せたいと考えている」

「官僚たち、ですか?」

「そうだ。手段は問わない。言っている意味が分かるな?」


 僕の能力を信じているんだな、専務は……。

 腹を決めた。法に触れようが何だろうが、僕は専務についていく。

 僕がこの会社を、そしてグループ全体を背負って立つんだ!


「専務、お任せください。ありとあらゆる懐柔手段を用いて、官僚たちを手懐けてみせます」

「……危ない橋を渡ることになるぞ……?」


 心配そうな専務に笑顔を返す。


「身代わりはいくらでもいます。専務の御心のままに」

「なるほどな……」

「きっとお役に立ってみせます」


 真剣な視線を専務に送る。


「……わかった。この話は内密に。人事部長にも言うな」

「承知しております」


 専務は椅子の背もたれにギシリとのけぞる。

 そのタイミングで人事部長が帰ってきた。


「中座してしまい、申し訳ございませんでした」

「いえ、とんでもございません。僕のために時間を割いていただき、ありがとうございます」


 僕は頭をテーブルに付く位に下げた。


「専務はもうお話されましたか?」

「おぅ、大丈夫だ」

「わかりました」


 人事部長は僕の方へ微笑みを向けた。


「今日はお忙しいところ、ありがとうございました」

「いえ、こちらこそありがとうございました。それでは仕事に戻ります」


 僕は席を立ち上がり、扉のノブを握った。

 その扉の向こうは明るい未来。

 僕は喜びと期待に胸をときめかせながら扉を開く。


「失礼しました」


 頭を下げた僕の顔には、隠すことのできない笑みが浮かんでいた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 役員会議室には、専務と人事部長のふたりが残っていた。


「心理テスト、お疲れ様でした。専務の評価はいかがですか?」


 ふっと笑いを漏らした専務。


「……いらねぇな。次の半期決算のタイミングで、渉外対応がない部署に異動か、グループ子会社に転属させろ。人事サイドからはどう見る?」


 人事部長は眼鏡をクイッと上げた。


「最低のE評価です」


 小さくため息をついた人事部長は続ける。


「これまでの調査結果も改めて確認しましたが、部下からの評判もよくないですね。契約寸前の段階で突然しゃしゃり出てきて、契約内容をひっくり返すようなことを平気で口走るらしいです。ただ、目をつけられると業務に影響が出るらしいので、その場でうまく元の契約が双方で有益なことを説明するのがパターンのようです。つまり、優秀なのは部下たちということですね」


 はぁ、と深いため息をつく専務。


「部下には飯を奢るとか何とか言ってなかったか?」

「それもちょっと違うようでして……」

「違う?」

「ほぼ強制参加の飲み会がよく開催されるらしいです……」

「マジか……あれだけ研修でそういうのはやめろと……」

「一気飲みをさせたり、無理に飲ませたり……」

「アルハラ……満貫まんがんだな……」

「女性社員と肩を組んだり、酔った女性社員を送ろうとしたり……」

「セクハラ……跳満はねまん……」

「断ったりすると、怒鳴ったり、評価を下げるとか口走るらしいです」

「パワハラ……倍満ばいまん……」

「でも本人に悪気はまったくなく、翌日はケロッとして『昨日は楽しかったな!』とかのたまうらしいですよ」

「無自覚かよ……三倍満さんばいまん……」


 頭を抱える専務。

 そんな専務に人事部長が尋ねた。


「専務の方はいかがでしたか?」

「『きっとお役に立ってみせます』だとよ。正義や公正という言葉を知らねぇんじゃねぇか」


 専務は呆れ果てた表情を浮かべた。


「一課の課長は……」

「『そんなことはできません。会社の大きなリスクになります。正攻法でいきましょう。いくらでも協力しますから』と」

「二課は……」

「『専務にはがっかりしました。社員の頑張りがそんなに信用できませんか? お願いですから考え直してください』だったかな」

「不正行為が会社に与えるダメージをよく理解しているのでしょう。コンプライアンス研修の効果もあると思います」

「三課のアイツも受講してるよな、コンプラ研修」

「社員全員、受講必須にしていますから」

「もう役満やくまん……完全アウトだな……」


 顔を見合わせる専務と人事部長。


「はぁ〜」「はぁ〜」


 ため息がハモる。


「……よし、アイツを外したタイミングで三課は廃止。一課と二課に統合。現場の社員たちの業務分担や配分を再考して、担当業務の最適化を図ろう。それぞれの課長の力量には問題ないから、これで営業力のテコ入れになるだろう。内勤の女性社員でも営業志望がいたからそこの調整も頼む」

「承知いたしました」


 改めて椅子の背もたれにもたれる専務。


「……自覚のないハラスメント、コンプライアンスの欠如。時代は令和だよな……どうなってんだ一体……」


 人事部長は椅子に浅く座り直した。


「通信やデバイスの進化で、ヒトとヒトとの距離は限りなく近づきましたが、ヒトとヒトとの関係は限りなく希薄になっています。自分しか見えないような視野の狭いヒトや、他人に思いやりが持てないヒトが増えたように感じるのは、そういったことに起因しているかもしれません」

「…………」

「だからこそ、ハラスメントの撲滅、コンプライアンスの遵守を、我々はこれからも訴え続けなければいけません。会社存続のために、そして社員が安心して働けるように。我々が諦めたら……そこでおしまいなのです」


 鋭く目が光る専務。


「その通りだな……だからこそ、三課の彼にはその身をもって会社に貢献してもらおう。反面教師としてな」

「彼にとっては、これが最後の面談でしたね」

「ぐだぐだ言ってくるようなら辞めてもらえ。この会社には不要な人材だ」


 席を立ち上がり、役員会議室を出ていった専務。

 役員会議室に残った人事部長は、手元の書類をめくっていく。


「覆水盆に返らず……」


 バンッ


 三課の課長の調査書類。

 彼の顔写真にかかるように、人事部長は「不適格」の判を押した。



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