第29話 回想、戦国の魔王様と暗愚殿



 1575年、3月16日。

 京都、相国寺しょうこくじ


 この寺の庭に面した廊下に、一人の男が座っていた。


 背は高く、痩せ型。鼻は高く、目は鋭く、大きい黒目がギロリと動く。

 ひげは薄く、威圧感はあるが、荒々しさはなく、清潔感すら感じられる。


 そして、その男の着物には、木瓜の紋。

 中央に唐花を据えているので、当然、織田木瓜の家紋。


 彼こそが、たいらの朝臣あそん織田おだ三郎さぶろう信長のぶなが

 戦国を代表する英傑であり、魔王。

 織田信長、ご本人である。




「俺に蹴鞠けまりを見せてくれないか、氏真殿」




 信長は縁側えんがわにドカリとあぐらをかき、頬杖ほおづえをついている。

 彼の両隣には、当然ながら屈強な護衛が座っており、目の前の庭にて平伏している氏真をじっと見ている。




「わかりました。織田様のご所望とあらば、喜んで」




 平伏していた男、今川氏真は快く承諾した。

 その笑顔は柔らかで、敵意はない。


 そんな氏真の表情と態度を見て、織田家臣も、氏真と同じように寺に招待された蹴鞠参加者も、氏真という男を軽んじた。


 父のかたきを前にして、このへりくだった姿。

 まさに、暗愚そのものである。

 拒否しないまでも、態度で不服の意を示すことはできるはずなのに、氏真はそれすらしない。


 やはり、こんな暗愚な男が当主になったのだから、名門今川家と言えど、滅んで当然なのだろう。


 その場にいる誰もが、今川氏真とは暗愚であると、結論づけた。




「ほいっ、ほいっ」




 魔王、織田信長の御前で、


 暗愚、今川氏真は蹴鞠を披露した。


 父の仇の前で平伏し、蹴鞠を見せよと命じられ、唯々いい諾々だくだくと従って、蹴鞠をする。

 これが名門今川家の、最後の当主の姿か。


 武士にあるまじき、恥知らずである。

 反骨心の欠片もない、軟弱者である。




「ほいっ、ほいっと」




 そんな周囲の好奇と嘲りの視線を受けながら、氏真は呑気な声を上げて、蹴鞠を続けていた。


 その時、列席していた織田家の家臣の1人が、口を開いた。




「氏真殿は、なかなか蹴鞠が上手ですな」




 その家臣は若く、血気盛んで、信長にも重用されている期待の若手だった。

 信長の許しなく発言することは、本来あまり良くないことだったが、彼の日頃の働きの良さもあり、特に何も言われなかった。




「ははあ、ありがとうございます」




 蹴鞠の途中で話しかけられても、氏真は特に集中を切らすことなく、受け答えをしていた。

 それどころか、まったくいつも通りの笑顔で、毬を高々と蹴り上げ続けていた。

 

 それが口火となり、織田家の家臣たちが次々と氏真に話しかけてきた。




「そういえば、京に来て長いので?」


「故郷の駿府と比べて、京の気候は寒いでしょう?」


「公家の方々との宴会では、どのようなことを?」




 蹴鞠の最中で、会話を続けることは難しい。

 毬に上手く集中できなくなり、逆に毬に集中し過ぎれば、受け答えもおろそかになってしまう。

 

 いや、織田家の家臣たちは、むしろそれを狙い始めていた。


 初めは蹴鞠に興じる氏真のことを馬鹿にしていたが、氏真の蹴鞠の腕が思いのほか素晴らしかったため、今度は蹴鞠を失敗させてやろうというイタズラ心が働いたのだ。




「義元公の後を継いだのは、並々ならぬ苦労をされたでしょう?」


「奥方のご実家の北条家にかくまわれていた時は、どのようにお過ごしで?」


「弟弟子の家康殿の世話になってから、生活は楽になりましたか?」




 やがて話題は、氏真のことを遠回しに馬鹿にするものへと変わっていく。

 本来なら信長の客人である氏真に対し、このような不躾な質問攻めはあり得ない。



 だが、氏真があまりにも気楽に蹴鞠を続けているので、


「ああ、コイツには何を言っても良いんだな」


 と、織田家の家臣たちは侮っていたのだ。



 そして、蹴鞠の最中に、この質問攻め。


 魔王信長に所望された蹴鞠を、無様に失敗すれば、一体どんな目に遭うか。


 その恐ろしさは、この氏真もわかっているはずだ。

 ゆえに今は、どんなことを言われても、コイツは蹴鞠を続ける道化になるしかないはずだ。


 その場にいる誰もが、そう思った時。




「氏真殿の奥方はお気の毒ですなあ。関東の雄、北条氏の生まれでありながら、貴殿とともに保護監視下の生活……もし日の出の勢いの我ら織田家に嫁げば、また違った未来であったかもしれませんな」




 と、最初に口を開いた、あの若い家臣が言った。

 

 とんでもない暴言であった。



 遠回しにけなすどころか、


「お前のような暗愚に嫁いだ妻は憐れだな。もし織田家の誰かと結婚していれば幸せになれたのかもしれないのに」


 ということを言ったのだ。



 普通なら、いくら氏真が相手とは言え、客人にこのような暴言は言わない。

 しかし織田家の家臣は、蹴鞠を続けている氏真を失敗させるにはどうしたら良いかと考え、世間話のフリをした悪口祭りがエスカレートしてしまったのだ。



 だが、それは完全に失敗だった。


 ごうっ!!!!


 次の瞬間、氏真が動きを変えた。

 毬を蹴り上げるのではなく、前方に強烈なボレーシュートを叩きこんだのだ。




「ーーーひいいっ!??」




 暴言を吐いた若い家臣が、慌てて頭を引っ込める。

 間一髪、毬は彼の顔面に直撃しなかった。


 代わりに、彼の後ろにあった木の柱に、毬がめり込んでいた。

 毬がめり込んだ柱には、亀裂が入っている。


 蹴鞠で使う毬は、重さは約100グラム。現代のサッカーボールの4分の1程度の重さしかない。当然、そこまで固くもなければ、重さもない。


 しかし、氏真はそんな毬を蹴って、柱にめり込ませたのだ。

 もし避けていなければ、若い家臣の命はなかった。




「な、ななっ……」




 その場にいたほとんどの者たちが、目を見開き、言葉を失っていた。


 暗愚と馬鹿にされていた男が、いきなり豹変した。

 魔王の御前で、魔王の家臣に向かって毬を蹴りつけた。




「お、おのれっ」




 織田家の家臣たちは、一斉に立ち上がり、刀の柄に手をかけた。

 毬を柱にめり込ませたことには驚いたが、かといって、何もせず黙っていては織田家の沽券こけんにかかわる。

 特に主人である信長の前で、このような無礼な態度を示した氏真は、家臣としてこの場で斬らなければならない。


 自分たちの無礼を棚に上げていることも忘れて、織田家の家臣団は氏真を取り囲もうとした。




 その時、


「下がれ」


 と、信長が口を開いた。



 家臣たちは足を止めて、信長の方に振り返った。

 こんな真似をした氏真を許すのですか、と驚く家臣たちだったが、信長が無言でじっとしているため、言われた通りに座りなおした。


 魔王信長の命令に、二言目はない。


 一度目の命令で従わない者は、その時点で斬り捨てる。


 それが織田信長という男の性格だ。




「氏真殿よ」




 信長が氏真に声をかけた。


 氏真はその場にて片膝をつき、頭を下げた。




「はい、なんでしょう」


「もし、俺が貴殿にとって大切なものをすべて奪い、消し去るとしたら、貴殿はどうする?」




 脈絡もない問いだった。

 周りの者たちの何割かは、殿は氏真を脅して釘を刺しているのだ、と思った。

 今の無礼な抵抗に対して、殿は怒りを示しているのだ、と。


 だが、信長の真意は違う。

 信長は、そんな小さな男ではない。


 氏真という男が、本気で抵抗するとしたら、本気で自分と敵対するとしたら、どのようなものを見せてくれるのだろうか。

 そういった、一人の武士としての織田信長の純粋な興味だった。




「どうなのだ、氏真殿」




 信長は、再度問いかける。


 そして氏真は顔を上げて、柔らかな微笑みを浮かべて、答えた。




「殺します。あなたも、あなたに類を及ぶ、何もかもを、どんな手を使ってでも」




 その瞬間、空気が固まった。


 あの信長に向かって、殺す、と言ったのだ。

 抵抗します、戦います、武士として本懐を遂げます、といった控えめな表現ではなく、


 はっきりと、明確に、間違いなく。


 こいつは魔王信長に対して、殺す、という言葉を使いやがった、と。




「あ、がが、ご、この、無礼な……!!」




 ある織田家の家臣が、変な声を漏らし、目が血走り、今にも氏真に斬りかかりそうな様子になる。


 だが、できない。


 当の信長が、何も言わないのだ。

 それどころか、氏真を見て、魔王は楽しそうに微笑んでいるのだ。


 斬れ、という命令を下していない以上、彼らは何もできない。

 勝手な真似をしたら、逆に自分たちが斬られてしまうに違いない。

 


 すでに信長は、氏真という男に強い興味を抱いていた。

 最初は面白半分で蹴鞠をさせてみたが、蓋を開けてみれば、自分の想像をはるかに超えた本性をかいま見ることができたのだ。


 織田信長という男は、人材マニアである。

 有能な人間はもちろん、奇抜な人間、使いづらい人間、そういう者たちを拒まず受け入れる男だ。


 その信長の目に、今川氏真という男は、強烈な人材として映ったのだ。




『こいつは、もしかしたら、




 信長は心のうちで、そうつぶやいた。


 自分にとって人生最初の強敵は、今川義元だった。あの男に勝ったことで、自分は戦国大名としての力を伸ばすことができた。


 そんな義元よりも、息子である今川氏真の方が、潜在能力が大きいのかもしれない、と。


 信長の直感は、そう判断した。




「天晴れな男よ。蹴鞠はもう良い、俺みずから茶の湯でもてなすとしよう」




 信長の言葉により、決着となった。

 氏真を処罰するどころか、むしろ氏真の心意気を賞賛したのだ。



よしもとうじざねを産んでしまったかと思ったが……こやつは猫ではなく、龍だったか』

 


 信長は氏真を、龍と評した。


 そしてこの龍は、目覚めさせてはならぬ。

 ただし無視するのもダメだし、殺すなんてもってのほかだ。

 下手に手を出せば、こちらもそれなりの傷を負うだろう。


 となれば、俺の手元で飼ってみるのはどうだろうか。


 と、信長は考えた。






 翌日、信長は徳川家康のもとを訪問した。


 京都に滞在していた家康のもとに、少ない家来だけ連れて、やってきた。




「竹千代(家康の幼名)、アイツを俺に寄越よこせ。俺のところで上手く使ってやる」




 信長は家康の肩に手を回し、ほおの肉をつねって引っ張る。

 まるで意地悪な兄が、弟に対して圧力をかけているような絵面だ。




「え、痛たっ……いや、ダメですよ。ちゃんと徳川家で保護しますって約束したので」


「ふん、保護は誰でもできるだろう。良いから寄越せ。じゃないと頰を離してやらんぞ」


「いや、ダメですってば。信長殿の場合、保護ではなくて、利用でしょう」


「家臣として招くのだから同じことだろう。織田家うちなら、もっと高待遇を与えることができるんだぞ」


「あの人はそんな待遇を欲してないので、無理ですよ。そういう話には靡きません」


「なら、こういう手で……」




 というような話が、日が暮れるまで続いた。


 なお、織田信長と徳川家康が極秘の会談をしているという話は、京の貴族や周辺地域の武家に警戒されたという。

 ただし、その内容とは、今川氏真という男をどっちが管理するか、という一点だけだった。






 ーーーそして、回想が終わる。



 今川氏真という男は、魔王にも怯まない。

 戦国の魔王と呼ばれた男の御前ですら、恐れず振る舞えるのだ。


 余計なプライドはなく、蹴鞠をせよと命じられても素直に従うが、いざ自分の大切な者を守るためなら、どこまでも力を発揮する。


 それが今川氏真という男であり、


 異世界の魔王メルゴスが対峙しているのは、


 そんな男なのだ。



『消し飛べ、ウジザネェエエ!!!』



 魔王メルゴスが吼える。

 彼が放った暗黒の渦は、氏真の肉体も魂も、チリひとつ残さず滅ぼせる。


 だが、それよりも速く、


 氏真が左文字を構え、振り下ろした。




「鹿島新当流奥義、ひとつ太刀たち




 魔王が解き放った闇がーーー両断された。


 剣聖、塚原卜伝から受け継いだ奥義。

 戦国最弱の暗愚の手により、炸裂する。








 ◆◆◆お礼・お願い◆◆◆



 第29話を読んでいただき、ありがとうございます!!



 信長と氏真のやり取りがすごく面白かった!!


 氏真の凄さがわかる、良い回想シーンだった!!


 ついに剣の奥義が炸裂、熱すぎる!!


 次回もまた読んでやるぞ、ジャンジャン書けよ、鈴ノ村!!


 

 

 と、思ってくださいましたら、


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 今後ともよろしくお願いします!!


 


 追伸。


 なお、仕事や体調の都合により、毎朝の投稿ができない場合がございます!!


 地道に書き続けますので、応援よろしくお願いします!! そして、待たせてしまってゴメンなさい!!



 鈴ノ村より

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