野獣の姫
俺の幼馴染、
頭の上で二つに結った長い黒髪はサラサラで、ぱっちりとした大きな瞳はお星様をちりばめた夜空のよう。白い肌はお人形さんみたいに綺麗で、傷も痣もシミもない。俺から見れば、胸元くらいしか身長がなくて、手も足も細くて小さい。
前に「一度サラちゃんの身長で世界を見てみたい」って言われて抱き上げたとき、想像以上に軽くて、俺の身長どころか頭上まで持ち上げてしまったことがある。
そんな小さくて可愛い姫ちゃんは、自分の名前があんまり好きじゃないみたいで、俺以外の人に姫って呼ばれると、凄く嫌そうにする。だけど、生まれたときにつける予定だった他の名前の候補が『桃花苺姫』や『紗香愛紅莉苺姫』だったって聞いて、凄く乾いた目になっていたっけ。
一つ目はわりとそのまま『ももかいちごひめ』って読むらしいんだけど、二つ目は『しょこらぶべりい』らしくて、ちょっとだけ姫ちゃんに同情した。
女の子のお友達は「ブスだったら超悲惨だけど、可愛いんだからいいのにね」って言っていたけど、姫ちゃんは抑も名前を顔が可愛いかどうかとかで判断するのも嫌いみたい。
恵まれた人の贅沢だって言う人もいるけど、姫ちゃんの悩みは姫ちゃんだけのものだから。俺も、180を超える身長を羨ましいって言われるけど俺はまだ伸び続ける身長があんまり好きじゃないし。そういうものなんじゃないかな。
見た目で判断されるって言えば……そう。こんなときだ。
「満天星更紗! お前また喧嘩してきただろ? あぁ!?」
生徒指導部の深山大文先生が、門の前で立ち塞がった。
ジャージ姿で竹刀を担いだ格好は、古いドラマの鬼教師みたいで凄く怖い。校門を通り過ぎていく他の生徒たちが、ヒソヒソ遠巻きに話しているのが聞こえる。
制服は汚れてるし、ネクタイとかもだいぶ乱れちゃったし、殴られたところも痣になっているだろうから、見ただけで喧嘩のあとってわかるのは仕方ない。姫ちゃんは喧嘩しても可愛いままだし一度だって怪我させられたことがないのに、情けない。
「だいたいお前みたいな生徒がいるから、学校の評判が―――」
「先生、違うんです……!」
いつもの長いお説教が始まるかと思ったら、姫ちゃんが俺と先生のあいだに割って入って言葉を遮った。胸元で手を握って、俺ほどじゃないけど姫ちゃんよりはだいぶ背の高い先生を真っ直ぐ見上げながら、目にうるうると涙を溜めていく。
「余所の不良たちに、わたしが乱暴されるところだったのを助けてくれただけで……わたしが、あんな奴らに捕まったりしなければ、サラちゃんだって……っ」
ぽろりと涙が零れたのを見て、先生があからさまに慌て始めた。
確かに姫ちゃんはアイツらに捕まったけど、結局全員伸したのは姫ちゃんだよね。俺が止めてなかったら、もっと大変なことになってただろうなぁ。
「な、そ……それならそうと、先に言っ……」
「先生は、わたしに黙って大人しく乱暴されてれば良かったっていうんですか!? それとも最初から武器をチラつかせて脅してくる相手に、話し合いで解決すべきとか言うんですか! 相手は話を聞いてもくれないし、刃物まで持ってたのに!」
ゴニョゴニョと口の中で言い訳してるのを聞いているのかいないのか、姫ちゃんは辺りに聞こえるような声で追撃していく。最初から武器で脅している、ってところで先生が気まずそうに構えている竹刀をそろそろ降ろしたのが見えた。
「わたし、本当に怖かったんです……! サラちゃんが助けてくれなかったらどんな目に遭わされてたか……!」
周りの生徒たちの目が突き刺さる。女の子たちは「サイテー」「どうせ隣の東山のイキリヤンキーでしょ? 放っといたらマワされてたじゃんね」と囁き合っている。
非難の視線と声に、とうとう根負けした先生が、余所を向いて「わかったから早く教室に行きなさい」って言うと、姫ちゃんは俺の手を取って歩き出した。
そして、昇降口の辺りまでズンズン進んで行って、靴を脱ぐときになって漸く深く長い溜息と共に、俺の手を解放した。
さっきまで目に涙が溜まっていたのに、なんか幻でも見たんじゃないですかとでも言わんばかりに、平然とした顔で。
「本っ当、ああいうの嫌い」
「……ごめん、姫ちゃん。俺のせいで……」
上靴に履き替えて姫ちゃんのあとを追いかけながら言うと、姫ちゃんは怒った顔で俺を見上げた。
「サラちゃんのせいじゃないでしょ」
ほっぺたを膨らませたまま俺の手を取って、姫ちゃんは廊下を進んで行く。向かう先は約束したとおりの保健室だ。
「失礼しまーす」
「おや、いらっしゃい。どうしたのかな?」
五十代半ばくらいのおじさん先生が、手元の本から顔を上げて微笑む。姫ちゃんは不機嫌な表情のままで「サラちゃんが怪我したの」と言って俺を椅子に座らせた。
先生は「おやおや」っておっとり言うだけで、俺たちを叱ったり呆れたりしない。
お説教も、心配も、同情も、非難も、なにもしない。それが却って居心地良くて、俺は此処に来るとチクチクしていた胸の痛みが和らぐのを感じる。
「勝手に手当てしていいよね?」
「どうぞ。救急箱は其処にありますからね」
「ありがと」
不良に絡まれて怪我したときは姫ちゃんの機嫌がもの凄く悪いことと、俺の手当に横から手出しされるのを嫌うって知っている先生は、にこにこしながら見守る姿勢を取った。
「今日はサラちゃんのとこに泊まるから」
「うん」
俺のお腹に湿布を貼りながら、姫ちゃんが言う。
許可を取るんじゃなくて決定事項なのも、いつものとおりだ。
「サラちゃんが止めなかったら、アイツらの骨の数、二倍にしてやったのにな」
「四百本は赤ちゃんより多いですねえ」
姫ちゃんの物騒な独り言に、先生がおっとり答えた。
「あんなの、赤ちゃんよりバカなんだからいいじゃない」
「まあまあ。それより空知さん、満天星くん、授業が始まりますよ」
「あっ、いけない! サラちゃん、行こ!」
「う、うん。先生、ありがとうございました」
俺が頭を下げると、先生は「お大事に」と言って見送ってくれた。
教室に戻る頃には、姫ちゃんの機嫌が少し戻っていて。やっぱり先生は凄いなって思ったんだ。
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