第2話 再会、うつくしいひと

 晴歴せいれき二〇一四年二月。空気が冷えたある冬の朝のこと。


 魔法世界アタラクシアは世界地図の真ん中にする中央ラウレア大陸。

 その内陸部に位置する多種族共存国家アルコバレーノ王国の、とある事情で地図には載らないとある都市にて。


 十三歳の妖精狐の少年、チトセ・ホクラニはまだ薄暗い早朝の街を一人散歩していた。


 別に散歩が毎朝の日課というわけではない。今朝四時半に目が覚めてから、まったく眠れなかったのだ。


 よって諦めてまだ人気のない街を歩いている。


 世間一般では早寝早起きを規則正しい生活として推奨する向きがあるが、人には昼型もいれば夜型も存在している。


 チトセはどちらかといえば夜型だ。小さい頃から夜更かしが得意で早起きは本来苦手。

 我ながら、昼型向けの生活に適応するために結構毎日頑張っていると思う。


 もし夜型が世の人間の多数派だったら、みんな星影さやかな真夜中に行動するようになるのだろうか。

 それはそれで生きづらそうな気がするけど。


「こっちが多数派、だからこっちが『正解』で『普通』なのだろう」と思わせられることは、昼型夜型の違いに関わらず日常のあらゆる場面に出現する。


 時代が進むに連れて、昨今では多様な在り方が強く叫ばれるようになってきている。


 時が進むのに比例して『正解』の幅も広がってはきている。


 今まで普通でない、アブノーマルとされてきた人々にも希望の光が差し込むように少しずつ、少しずつなってきてはいる。


 だから。


 ――ふと目に入ったゴミ捨て場にぼくの初恋の女の子っぽい人が寝転んでいるのも、一種の多様性なんだろうな。


「そんなわけ、あるかいっ」


 我ながら変てこりんな思考に小声でセルフ突っ込みを入れて、チトセは問題のゴミ捨て場へと走り出した。


 本当にゴミ捨て場の、ビニールひもでまとめられた古新聞や雑誌類の隙間すきまを埋めるようにして、一人の少女が身を横たえていた。


 ごろんごろんと転がったりもぞもぞと身じろいでみるあたり、倒れているというよりは自分の意思でそこにいるのだろうに見えた。


 間違ってもここで少女を撮影して『すげーもん見つけたんだが(笑)』とインターネットに上げたり友人知人と共有なんてしたりしない。てかそんなことしたら間違いなくチトセの人生が炎上する。


 チトセからすれば、純粋に放っておけない事態だったからだ。


 チトセが走ると、長めのポニーテールに結わえられた真珠色の髪が、はずむようにしてゆれた。

 細身ながら引き締まった体、しなやかな長い手脚てあし。しみひとつない雪白せっぱくの肌に刻まれた、東洋系の端整な顔立ちに、空色の澄んだ瞳がいろをそえている。


 頭からは彼が妖精狐ようせいきつねという種であることを示す大きな狐の耳。

 腰からはえた柔らかな尻尾をくゆらせる姿は、まさに妖精。まるで精巧につくられた氷像か雪像のように涼やかで繊細な、性別を超えた美少年だ。


 そんなチトセがたたたっと靴音をたてて走り寄ると、少女の視線がこちらを向いた。


 ゴミ捨て場に寝転がっているにも関わらず、チトセに負けず劣らずの美しさだということが一目でわかる美貌の少女だった。


 髪色としては珍しい桜色のロングヘアに、大きく丸い藤紫ふじむらさきの瞳、小柄の体躯たいく

 その身を包むのは薄い上衣じょういとくるぶし丈のズボンという組み合わせの病院着である。今は冬、それも寒さもピークの時期だ。


 そのまま外出したら確実に風邪を引きそうな服装に、チトセは目を見開く。ちなみに靴はなく裸足なことについては、もう何も言わないでおく。


 チトセからすれば少女のTPOも季節感もガン無視な服装以上に、その冷たく凍り付いたような憂いの表情とくらよどんだ目が気にかかったのだが。


 なんといっても、少女はチトセが数年前に交流を深めて今も想っている相手なのかもしれないのだから。それに『彼女』がこの都市に帰ってきているこということもすでに知っていた。


 ――あのこが、こわれている。

 ――こころがこわれてしまってる。


「あ、あのっ」


 勢いにまかせてチトセは少女に話しかける。そうしないと永遠に何も言い出せなさそうだった。


「…………?」

「いきなり話しかけてごめんなさい。その、どうしてっ」


 息がはずむ、声がうわずる。うまく言葉がつむげない。


 ――こんなに変な話し方、ぼくが不審者みたいだ。


 どう考えても相手のほうが不審者ムーブしているという思考は、空の彼方にでも吹き飛ばしておく。

 息を吸う。息を吐く。

 何度か呼吸を繰り返して整える。できるだけ涼やかな声音をつくる。


「あなたはシュゼット・フローレスさんですね?」

「ん。そうよ」


 か細くも返答があって、それだけでチトセの心臓がどきっと跳ねた。砕けたキャンディのように、甘くどこかとがったような少女の声。


 ――彼女だ。


「やはりそうでしたか。ぼくはチトセ、チトセ・ホクラニと申します」


 くだけなのも一方的なのでこちらからも名乗ってみる。はたして少女はチトセを覚えていてくれているのか?


 一瞬、永遠にも思えるほどの間があってから。


「知っているのだわ」

「え?」

「あなたがホクラニさんだということを、わたしは知っているのだわ」


 ――ぼくのこと、覚えていてくれた!


 刹那、チトセの脳内に色とりどりの花火が次々に打ち上がる。たまやー、とでも叫びたい気分だ。

 虹色の温かい感情が、少年の胸をみるみるうちに満たしていく。一週間くらい眠らなくても元気ですごせそうなくらい強い気持ちに包まれた。


「ぼくを覚えていてくださったのですか」

「いっしょにいたのだもの。忘れられないわ」

「またお会いできて嬉しいです。あなたがこの都市にいること、入院中であることは存じ上げていましたが、なんでこんなところに?」


「わたしにぴったりの場所だからよ」

「ここ、ゴミ捨て場ですよ」


「わたし、ゴミだもの」


 こわいくらいに淡々とシュゼットは言う。何言ってるの、わたしがゴミなの当たり前でしょ? とでも言いたげに。光ない瞳でチトセをじっと見つめる。

 少なくはないショックを受けて、チトセは何も返せない。


「…………」


「…………」


「…………」


「……あ、フローレス様。そんなに見つめられてしまうとドキドキします」

「ゴミに見つめられてドキドキするの? ホクラニさんは不思議なのだわ」


 ここで問答しても意味がない。シュゼットが風邪をひく可能性が上がっていくだけだ。


「んんー。いったん病院に戻りましょうか。ご安心くださいフローレス様。これからはぼくたちがあなたをお守りしますので」


 チトセとその仲間たちで少女シュゼット・フローレスに仕え、体と心を守護する。

 これは昨年末にはすでに決まっていた話だ。だからこそチトセは従者として、シュゼットに丁寧な動作と口調を持って接している。


「やだっ」


 ぷいっとシュゼットが顔をそむける。


「やだにやだです」


 こうした反応も予想してはいたので、さらりと言い返しておく。


「わたしに守られる価値なんてないわ」

「どうしてですか。あなたは美しい人なのに」


 美しい人云々は、あくまでチトセ個人の感想である。


「あなたのほうがずっと美しいのだわ。相変わらず良いもふもふなのね」

「すみません、ぼくのほうが勝手にお守りしたいものですから。ちょっと失礼しますね……」


 美しい、と言われた照れをごまかすように言うと、チトセはシュゼットをひょいっと両腕で抱き上げて横抱きにした。少女の服も髪も汚れがついていたが、そこは別に構わない。


 シュゼットの体温と柔らかな感触にドギマギしながら、チトセは小走りに病院へと歩を進めた。


「むう」


 ゴミ捨て場に未練があるのか、突然抱き上げられたシュゼットは不服そうだ。チトセはできるだけ優しい笑みを浮かべてみせた。

 

 柔らかな朝のひかりが、再会した美しい二人を照らしていた。

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2024年11月21日 06:00
2024年12月1日 06:00

ある妖精狐と歌姫の御伽話 七草かなえ @nanakusakanae

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