第45話:君の愛がここにある





 ジョンの殺意は本物だ。こいつが指一本動かせば、あの不可解な異能で私は惨殺死体だ。なんて答えればいい? なんて言えばジョンは納得する? 何一つ気の利いた言葉を思いつくこともできず、ただ私はいつものメアリー・ケリーでいるしかなかった。


「……離れて下さい、ジョン・ドウ。私はあなたに愛してほしいとは思っていません」


 私に抱き着いて深呼吸するジョンに、鳥肌が立つほどの恐怖を感じつつも、私は自分の声が震えていないのに感謝した。


「僕を愛してほしいんだ、メアリー」

「お断りします。捜査官とパートナーである推定犯罪者がそのような関係に陥ることは承服しかねます」


 じっとジョンの目を見る。あの濁り腐り淀んだ暗闇に、勇気を振り絞って突き進む。


「なら僕に命じてくれ。何を命じればいいのか、君なら分かるだろう?」


 ああ、確かに分かる。私が何を言うべきか。この殺人鬼の狂いきった衝動を抑えるために、私が何を命じるべきか。私は自分の知識を総動員してその言葉を考える。深呼吸する。ジョンは期待に満ちた目で私を見つめていた。――言ってやろうじゃないか。お前を否定する命令を。


「ジョン・ドウ。アウトカム所属の犯罪捜査官、メアリー・ケリーが命じます。正当防衛以外の殺人を無期限で禁止します。どんなことがあっても、レイヤードの法ではなく私自身が、あなたの快楽のために人を殺すことを決して許しません。あなたがこれを破れば、私は心底あなたを軽蔑し、終生許すことはないでしょう。分かりましたか?」


 それは――悪魔を閉じ込める鍵だったのだろうか。それとも、悪魔を解き放つ鍵だったのだろうか。


「くく、くくく、くくくくっ……」


 ジョンは私の命令を聞いて肩を振るわせながら手を離す。次の瞬間――ジョンは爆笑した。


「あーはっはっは! あはははは! あははっ! あははははっ! あーはっはははは! あははっ! あはははははっ!」


 これ以上ないくらいに幸せそうに、地獄で踊る悪魔のように、ジョンは笑い転げた。


「最高だ! 君は本当に僕にとって最高の理解者だ! こんな快感が世の中にあるなんて! 君がそれを僕に教えてくれた! 君の付けたこの枷が、なんて愛しくて心地よいんだ! 君の愛がここにある! 僕と君を結ぶ繋がりとして確かに! 素晴らしい愛が!」


 ジョンは満足していた。自己をその時確かに見つけていた。なぜなら、私が彼の殺人嗜好症を拒絶したからだ。はっきりとそれは間違っていると断言した。共感し、理解し、納得した上で否定を突きつけたのだ。きっと私は――ジョン・ドウというサイコパスにとって、自分だけを真摯に見つめてくれる最愛の存在なのだろう。





 ジョンは――幸福だった。





 ――次の瞬間、ジョンはぴたりと笑うのを止めて私から一歩下がった。


「まあいいさ。分かったよメアリー。貞潔な淑女は大好物だ。これからも君に従おう」


 まるで飽きたかのように、ジョンは床に並んで置かれたワインの瓶とグラスを手にとってテーブルに戻す。私はため息をつきながら食卓に戻った。


「でも――」


 ジョンがナイフを手に取る。


「君がいつか、僕の何もかもを受け入れてくれる時が来たら、その時は……」


 その刃を眺めつつ、ジョンの笑みが亀裂のようなものに変わった。こいつの本性。肉食性の昆虫のような、人間味のない冷たい瞳。


「君を惨殺して、その血肉で溺れるまで愛し合おうじゃないか」


 その瞳はきっと、血の海に浸かる空想の私を愛おしげに眺めているのだろう。


 私は吐き気をこらえた。ジョンの殺意は向けられただけで心臓が止まりそうになる。人間という種の天敵、それがジョン・ドウだ。私はつぶやいた。


「ジョン。あなたはどこから来たのですか?」


 あってはならない男、ジョン・ドウは亀裂のような笑みをさらに深くしてこう答えたのだった。


「From Hell to Home. 地獄から家へ帰る途中さ」





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