第44話:君を愛しているからこそ





 私はナイフとフォークを置いて、慎重に言葉を選ぶ。まるで檻の中で猛獣に手づかみで餌をやっている気分だ。ちょっとでも格下に思われたら襲いかかられそうだし、逆に居丈高に出ても牙をむかれる。


「あなたは殺人について未経験であることを恥辱と考えているようですが、これからも未経験で結構です」

「なぜだい?」

「私にとっては、殺人こそが極めて恥ずべき行為だからです」


 レイヤードの管理者である評議会からすれば、犯罪者も推定犯罪者も同じだ。殺人を犯していようが「将来殺人を犯す可能性」があろうが、同様の扱いでしかない。だけど、私は違う。今のところジョンは誰も殺していない。それは事実だ。


「メアリー。続けて」

「はっきりと言います。私は決してあなたの殺人嗜好を肯定しません。どれほどあなたが人を殺したいと願い、その衝動で苦しんだとしても、あなたの身勝手な欲望のはけ口となって殺される善良な市民の側に立ちます。私はあなたの殺人への欲求を嫌悪します」


 ジョンはほほ笑みながら立ち上がった。


「ワインのおかわりはいかがかな?」


 殺人は悪だ。人殺しは幸せになれない。人を殺した罪は一生かけても償えない。だからどんなことがあっても、ジョン・ドウの殺人嗜好症を私は嫌悪する。


「普通の殺人犯はやむにやまれぬ理由から人を殺します。しかしあなたは違う。ただ快楽のため――己を知り、満足したいという個人的な理由により殺人を犯すのです」


 私はワインの瓶を手に取ったジョンを、椅子に座ったまま見上げる。


「あなたにとって殺人とは――美学なのです」


 私のプロファイリングは恐らく的中していた。当然だ。私はオルタナティブ・サイコという形でジョンを理解していたのだから。ジョンの顔が歪んでいく。嘲笑でも激怒でもない。それは……歪んだ愉悦だった。


「……あはっ!」


 ジョンの口からあの哄笑が響く。


「あははっ! あははははっ! そうだよメアリー! 君は何度でも僕を楽しませてくれる! 君だけは僕を解釈してくれる! 共感してくれる! ああ――世界がこんなに色鮮やかに見えるのは初めてだよ!」


 感極まったのか、ワインの瓶とグラスを投げ捨て、ジョンが私を立たせると全力で抱きついてきた。


「え!? ちょっと!? 落ち着いてジョン!?」


 瓶とグラスは床に落ちる前にふわりと何かに受け止められた。恐らく異能だ。ジョンは私の耳元で囁いた。


「この狂おしい感情がなんなのか分かったよ。――『愛』だ」


 愛を語る殺人鬼。なんて捩れていて――おぞましい。それでいて、抗いがたいほどの魅力がある。死神の微笑のような凄惨さ。


「僕は今までずっと、知りたいという願望と満足したいという欲求だけが、殺人の理由だと勘違いしていた。でも、君と出会って初めて世界に色が付いた。メアリー・ケリー。僕は君を愛している。心から」


 私を抱きしめたジョンの手が、私の体をなぞる。背中から肩、うなじを執拗に指先で形を確かめるようにして愛撫する。


「君を愛しているからこそ――殺したい」


 負の情熱に満ちたその告白。ジョンの愛の最高の表現。それは愛した相手を殺し、その手で余すところなく解剖することだ。私はメアリー・ケリーというペルソナを保つのに必死だった。何とかぎりぎりでメアリーとしてふるまっている。それ以上に背筋に氷水を流し込まれたように全身が冷えていく。





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