第39話:女神だ――君は





「ジョン・ドウはアーティストです。彼の殺人嗜好症は、彼の美的センスと密接な関係があります。彼が人を殺すのは、殺人という行為から満足感を得るため。遺体を解剖するのは、その過程において自己の理解へのインスピレーションを得るため。それをあなたは理解せず、自分たちの価値観を押しつけた」


 メイガスの提案はジョンにとって最悪のものだっただろう。言うなれば、美食家の目の前に添加物山盛りのジャンクフードを投げつけて「君の大好物をチョイスしたよ」と言うようなものだ。盛りつけは下品で賞味期限が切れ、しかも相手はこちらの美食を理解しきった顔でいる。グルメにとって冒涜以外の何ものでもない。それと全く同じだ。


「お分かりですか? あなたはジョン・ドウに美味な餌をちらつかせてスカウトしたつもりが、彼のこだわりを最も下らない仕方で踏みにじったのですよ」


 私の指摘にメイガスは言葉を失った。一方で、客間にジョンの笑い声が響き渡った。


「あはっ! あははっ! あははははっ!」


 シリアルキラーの顔でジョンは立ち上がると、私にひざまずいた。


「ああ……メアリー……メアリー・ケリー……僕の――僕の愛しい――」


 私の手を強引に取ると、ジョンはヴァイオレットとセーブルに見せつけるように手の甲にキスをした。


「女神だ――君は」


 ジョンの柔らかで冷たい唇の感触に私はぞくりがした。飢えた吸血鬼に口付けされたら、きっとこんな感触なんだろう。


「気色悪い表現はやめなさい」


 私の嫌悪を無視してジョンは立ち上がると、両手を広げて天井を仰ぐ。


「トレビアン! エクセレント! マーベラス! 僕は神様に愛されている! こんなに僕に寄り添ってくれる、理解しようとしてくれる人が側にいる! そして事実理解している! これはなんだ!? なぜこんなに心の底から満足感が溢れ出してくるんだ!?」


 気が狂ったように叫んだ後、突如ジョンは憑き物が落ちたかのように冷めた。


「一方で、君は不愉快だよ」


 感情の一切無い顔でメイガスを見る。感情の振幅がジョンは激しすぎる。


「エシックスを出て、今日ほど腹が立ったことはない。白紙のキャンバスに汚物を浴びせられた気分だ。なぜ僕が君たちの許可を得なくちゃいけないんだい?」


 そうだ。ジョンは推定犯罪者とは言えシリアルキラーだ。彼にとって、自分の殺人の行為を他人にあれこれ指図されることは不愉快でしかない。まして、メイガスのように知ったかぶりで「私たちに従うならご褒美で殺人を許可してあげよう」などと言われたら立腹するのは当然だ。殺人鬼は、気兼ねなく好きなように人を殺すから殺人鬼なのだ。


「なるほど、交渉決裂ね。つまらないわ」


 自分たちの提案を完膚無きまでに否定されたヴァイオレットが苛立たしげに言って席を立つ。


「しかし、君はこうされることを予期していない」


 次の瞬間、セーブルが指を動かしたのと同時に、私は自分の体が見えない何かに押さえつけられたのを感じた。恐らくメイガスの異能だ。意想でできた糸だろう。


「イニシアチブは変わらず私にある。ちなみに私もヴァイオレットもあのメイドと同じく人形だ。君は私――メイガスに触れられない」


 どうやら私を人質にして本格的に脅迫するつもりらしい。確かに、メイガスという本体はここにはいない。つまりメイガスは安全圏から私たちに一方的に交渉できる立ち位置だ。


「メアリー、どうかな?」


 脅されているにもかかわらず、のんきな口調でジョンはそう言う。


「ジョン、今日の私は予定の変更に次ぐ変更で苛立っています。――処理しなさい」

「どれくらい?」

「何もかも全部。ただし、殺人は許可しません」


 私の命令にジョンは笑った。肉食性の昆虫――あるいは猛毒の蛇のような、冷たい殺意を秘めた顔で。





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