第22話:僕は君の力になりたい
◆
「君は……本当は歌いたくないんだろう?」
何気ない様子で言ったジョンのその言葉に、サラは固まった。
「え?」
「大丈夫、誰にも言わないから。これは僕の個人的な推理だよ」
「そんなことないです。だって、私は……」
「でも、君の歌いたい歌は、許可されていない」
「……っ!」
ジョンはまるでチェスの達人のように、サラの逃げ道を塞ぐ。
「分かるんだ。僕もちょっとだけ似たような境遇だからね。同病相憐れむ、といった感じさ。全体の秩序のためには、少数の個性的な人間の満足は追求を妨げられる。レイヤードとはそういうものだ」
サラは動悸がしてきた。ジョンには全てを見抜かれている。今のスランプを。自分の望みを。……成功の裏に隠れた、八方塞がりの状況を。
歌いたくない、と言えばそれは嘘になる。サラにとって歌うことはジョンの言葉を借りれば「満足」だ。でも、幼い頃、純粋な気持ちで歌ってきたあの時から、ずいぶんと自分は遠ざかってしまった。初心が消えつつあり、それは彼女の才能を脅かしている。どうしてだろう? 父母やコナーの言う通り、我が身を削って歌に打ち込んできたのに。
「でも、君は立派だよ。僕みたいに中途半端じゃない。君はガラテアとして、多くの人の心を動かす素晴らしい歌手になった。心から尊敬するよ」
「違います!」
うっすらとジョンは笑みを浮かべた。まるで、釣り針にかかった魚を引き寄せる釣り人のように。恐らく彼は、サラが否定の言葉を口にするように誘導していたのだ。
「私はそんな立派な人じゃありません。私は自分一人じゃ何もできないんです。ずっとそう言われてきました。だから私は、自分が何を本当は歌いたいのか、そんなことさえ分からなくなってきたんです!」
ガラテアのペルソナを捨てて、サラは一人のサラ・ノースロップとして叫ぶ。今歩いているところが人通りの少ない道で本当によかった。
「可哀そうなサラ」
サラの必死な様子を見て、ジョンはその目に優しげな光を灯らせる。彼の手が伸びて頬に触れそうになるので、慌ててサラは一歩下がった。
「……駄目です。コナーさんに怒られてしまいます」
ジョンは囁く。
「僕は君の力になりたい」
サラの全身がぞくりと震えた。聖人を堕落させる悪魔とはこういう声なんだろう、とふと思った。
「それはアウトカムのお仕事だからですか?」
「それもある。それ以上に、僕は君に共感しているんだ。シンパシーって奴だよ」
「でも、ジョンさんは自分の作りたい作品が何か、はっきりと分かっているんでしょう?」
「ああ、僕には分かる。自分がそれを渇望しているってことを。きっと完成した暁には、僕だけの満足が待ち受けているってことも」
ジョンは一瞬サラから目を離した。まるで最上級のワインを口にしたかのようなうっとりとした顔になるのを、サラは見逃さなかった。まだ目にしていない自分だけの芸術品。それを脳内にありありと思い描いて、ここまで陶酔できるなんて。それが絵画なのか小説なのか映像作品なのかは分からないが、サラには彼の情熱だけは伝わった。
「うらやましいです。私にはとても、そこまで強く求めるものなんてないんですから」
うつむく弱気な彼女をジョンは嘲笑しなかった。
「――笑ってみて?」
「え?」
顔を上げると、ジョンはいつものように柔和な笑みを浮かべていた。
「ほら、スマイルだよスマイル。苦しみながら創作する時間はもう終わり。難しかったら僕を参考にしてもいいよ」
そんな風に促されてしまえば、サラとしても笑うしかなかった。つられてぎこちなく笑う彼女を見て、ジョンの顔がほころぶ。
「そう、そんな感じ。いいね。苦しみが与える芸術じゃなくて、アプローチを変えてみようじゃないか。楽しみが与える芸術だ。きっとその先には、君が本当に歌いたい――」
その時だった。
◆
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