第21話:僕はこう思う。芸術とは――





 ジョンはその後、完璧にガラテアの親しい友人を演じた。恋人にはなるな、と厳命してよかった。さすがは異常者。人心に取り入るのがとてつもなくうまい。どうせジョンの人格は九割が虚像だ。他人に合わせてその理想的なペルソナを形成するのはお手の物だろう。ジョンはガラテアの良き話し相手、心から優しい理解者として振る舞っている。


(少しまずいかも)


 私は私服で警備しつつ思う。下手をしたらガラテアは本気でジョンに心を奪われかねない。あいつがその気になれば、レイヤードの歌姫の心さえ掴めるのか。そしてジョンが「ちょっとつまみ食いでも――」なんて思いでもしたら、私のせいでガラテアは惨殺死体だ。私の方がストレスで胃に穴が空きそうになっていた時だった。





 レイヤードの一角。小さな隠れ家のような、知る人ぞ知るレストランで夕食を楽しんだ帰りだった。


「いつもありがとうございます、ジョンさん」


 やや人通りの少ない道を歩きつつ、ガラテア――本名サラ・ノースロップは隣にいる美青年にお礼を言った。彼の名前はジョン・ドウ。アウトカムから「友人役」としてやってきた第一級推定犯罪者。


 最初は怖かったけれども、今では昔からの友人のような気さえしてくる。それほどまでに、この青年は完璧だった。


「ああ、気にしないで。僕の方こそ、レイヤードのスターと個人的に親しくなれるなんて、夢みたいな幸福だよ」


 言葉も物腰も穏やかで礼儀正しく、それなのにミステリアスで刺激的。サラにとってジョンは未知の人種だった。


「ほめるのが上手なんですね」

「君には聞き慣れた言葉だろう?」


 何気ないジョンの言葉に、ついサラは自分の本心を吐露してしまう。


「そうでもありませんよ。あまり……身内で歌で誉められた経験はありませんから」


 いつもならば「ええ。ファンの皆さんの声援は心強いです」と言っていたのに。ジョンはあまりにも聞き上手だ。


「おや、それはひどい」


 こんな風に、サラのネガティブな言葉を否定しないで耳を傾けてくれる。それがサラには心地よい。


「芸術は――苦しみの中から現れる。父母もマネージャーのコナーさんも、そう言って私を育ててくれましたから」


 それは常にサラの心にある金言だ。それを今まで疑うことはなかった。なのに――


「それは違うよ」


 あっさりと、ジョンはサラがずっと言い聞かされてきた言葉を切って捨てた。


「芸術は苦悶の炎に晒したら燃えてしまう。残るのは灰だけだ」


 サラは寒気がした。一瞬、隣にいるジョンが人の皮をかぶった毒蛇のように見えたのだ。第一級推定犯罪者。レイヤードの住人であるサラはその危険性について知ってはいる。しかし実感したのは初めてだ。


「僕はこう思う。芸術とは――自分の満足の追求じゃないか、と」


 けれどもその寒気は一瞬だった。すぐにジョンは人当たりの良い笑顔を浮かべてそう言う。


「満足?」

「そう。何よりも自分が満たされるからこそ、美は美となり得る。たとえ誰にも理解されなくても、その美に僕自身が恍惚となれるなら――それでも構わない、とね」


 芸術についての一家言を持つジョンに、サラは興味がわいた。


「ジョンさんも何か作品を作るんですか?」


 彼女の無邪気な質問に、ジョンは恥ずかしそうに笑う。まるで純朴な少年のような無垢な表情だ。


「それがねえ……笑えるだろう? 実は頭の中には完璧な構想ができているのに、一作も作っていないんだ。……まだ、ね」


 レイヤードに溢れている一般人の一人のような意見だ。誰もが頭の中では傑作を描いている。でもそれを実際に現実世界に持ってきて、なおかつ本物の傑作にする人は数少ない。しかし、サラはつい「見てみたいです」と言ってしまった。あたかも果樹に実るおいしそうな果実に惹かれるかのように。その枝の中に、毒蛇が隠れていると知らずに。


「むしろ――モデルになってくれない? 君のありのままの形を、何もかも全て見てみたい」


 ジョンがうっとりするような笑みを浮かべて言った提案は、いささか同意するには恥ずかしいものだった。


「え、あの、あまり過激なものは……」


 困惑するサラに、ジョンはすぐに両手を振って否定する。


「あはは、冗談だよ。本気にしないで」


 しかし――





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