第2話

 ダオツアオレンとは案山子を意味し。広い畑に立つそれは目につきやすく道しるべにもなる。

 春麗たちは〝藍〟という案山子に魅了され集まった。彼の言葉にしっかり耳を傾け、賛意を示す。

「崇拝」という言葉がしっくりくるファミリーであることは間違いない。

 中にはファミリーを名乗る事すらおこがましく出来ないという奴らも居る。

 ファミリーの誰もが彼を慕っている。それは彼の人徳だと言えるだろう。そして、その人柄に惚れた春麗は、彼の為なら何でもする覚悟だった。

 しかし彼は自分の事を語ろうとしないし、また語らせない。

春麗は〝藍〟を尊敬していたし、愛していた。

だから、彼が望む事なら何でもしたいし、自分の存在すべてを捧げたいと思っていた。

「まぁ、何考えてるかわかんない人ではあるけどな」

 だからこそ、藍が〝あの男〟に執着した時は、初めて彼に触れた気がしたし。心臓を掴まれ、そのままどこか遠くへ思いっきり投げられたような気がした。

「セサル・チェントロ。話した時は何も感じなかったが……」

 あんな奴に藍はなにを見出したのか、まぁ、藍の事だ、あの手この手使っても、このマフィアのファミリーに彼を引き込むつもりだろう。

「それからでも、価値を見出すのも悪くない」

「なに言ってんだ? お前」

「独り言だ、気にしないでくれ」

 メンバーのほとんどが、各々の部屋に引き上げたダイニング。数人で片づけをしているなか、春蕾がそう呟く。隣でまだ少し酔っているらしい同僚がそれを聞き首を傾げたが、春蕾は首を横に振って自室に戻るため、ダイニングを後にした。

 彼はすっかり満腹だったし、酒で上がった体温の温かさに、身体を軟体動物のそれのようにぐにゃぐにゃにして、ベッドの上へ毛布をかぶって横たわった。


 くっきりとした朝日の光がまるで、テーブルでも引き払うように闇を消し去るころ、春蕾は目を覚ました。空き缶を振るような感じで何度か頭を振り、ベッドのマットレスから体を引き離す。

「ん~。朝か……」

 春蕾は朝に弱い方だった。あと五分、あと十分……、とだらだら布団に潜っているうちに、朝食の時間になりあわてて飛び起きるというパターンがほとんどだった。

「今日は朝食まで余裕があるな。」

 洗面台で身支度を整えても二十分以上も余裕がある。しかし、ファミリーの誰かしらは起きているだろう。

「おはよう、春蕾。」

 ダイニングに下りてきた春蕾を、すでに着替えをすませて、新聞を読んでいた永が出迎える。

「おはよう」

 春蕾は永と向かい合わせの椅子に腰かけた。

「春蕾、コーヒーでも飲む?」

「そうだな。もらおうか」

 永は薄水色の眺めの髪を揺らしながら、キッチンに入ると、すぐにコーヒーを淹れて持ってきた。

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

 春蕾はカップを受け取ると、一口すすった後、永が読んでいる新聞の一面記事に目をとめたまま尋ねた。

「永、今日は藍がセサルの所へ出向く。何かあるか?」

「いや、今日はそんな記事は見つからないね」

「そうか……。それならいいんだ」

 永はどうでも良さそうな態度で、再び新聞を読み始めた。

「永~、春蕾~。おはよう!」

 自分達より幾分高い声が鼓膜を震わせる。振り向くと金色の細くてふわっとしたコットンキャンディーがニコニコとして立っていた。

「燐か。もう起きたのか?」

「うん、ミルクが飲みたくなってさ!」

そう言って燐はキッチンへと駆けて行くがキッチン側から春蕾達に話しかける。

「そういえば、永? 今日の新聞は何書いてあるの?」

「ん? あぁ、まあ色々だな」

 永は曖昧に濁した。新聞の記事を音読するのは好きじゃない。ましてや燐に話してそれが伝わるのかも不安要素の一つ。

「そっか。じゃあいい!」

 燐はそれ以上深く聞くことはなく、ミルクの入ったコップと一緒に戻ってきて、きちんと着席してから、口を付け飲み始める。

 新聞を丁寧に読む永。足をプラプラさせならミルクを飲む燐。こんな朝の風景を見ていると、樫の木のてっぺんのほらで胡桃を枕にうとうとと春を待っているリスみたいに平穏そのものだった。

 しかし現実はスケジュール通りの時刻を刻んでいて、春蕾はその流れの中に身を委ねなければならない。

 調理師が三人の次に起きてきて、朝の支度を始める。燐はその光景が珍しいのか、手伝いながら調理師が料理を作る所を見学していた。

「料理って面白いねぇ」

「燐さんは、いつもこの時間寝てますからねぇ」

「うん、そだよ。でもこんなに面白い事してるんだ、今まで損してた気分だよ!」

「料理に興味を持ってもらえてうれしいです」

 調理師はしみじみと感心したように燐を見つめたあと、時計を見て、少し慌てた様子を見せる。

「……。(あぁ、そろそろみんなが起きてくる時間か)」

 春蕾は時計と調理師を見比べて一人でうんうんと数回頷いて、勝手に納得した。

 それからファミリーの面子がぞろぞろと起きだし、食卓の席に着く。

「おはよう! 我が愛しい子達! 皆そろっているかな?」

 最後にゆったりとした足取りでやってきたのは、このファミリーのボス。

 皆が席を立ち挨拶するのを彼は一つ一つ丁寧に受け取ってから席に着いた。その頃合いをみて調理師がテーブルに食事を並べていく。

「そろったね。では、いただこう!我先吃啦」

 このファミリーのメンバーは全員揃ってから、必ず食事を始めるのが決まりだ。ボスである藍が最初に食べ始め、残りのメンバーも其れに続いて食事を進める。食事中は和気あいあいとしながら、談笑を交えるのだが、今日は少し違った。

「藍。今日はセサルの所へ行くんだろう?」

「あぁ、そのつもりだよ。今日はお偉いさんとの取引はないからね」

 春蕾がセサルという者の名前を出した瞬間に、皆の話題はそれにしか集中しなかった。その者達は、藍がセサルに執着しているのを良く知っているからだ。

「また行くのか? あまり、あいつと関わるのはよした方がいいんじゃないか?」

「そうそう。分からない奴は危険だ!アイツはこちらに、まだ何も手の内を明かしちゃいない。」

 春蕾と藍以外の者は、皆口々にセサルの危険性を説いていく。しかし、藍はそんな忠告を気にも留めず食事を続ける。

「皆、心配ありがとう。だがね……手の内を明かしていないのは、私たちの方さ」

 藍は余裕の笑みで、皆にそう返した。それに驚きを隠せないのは、面子の数人。春蕾と永、燐は納得したように笑いあった。

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