マルクス・アウレリウス「自省録」を読んで省みた復讐を誓う際に考えるべき復讐の身勝手さ
なぜ私はこの本から再び十枚書こうと決めたのか。それは初めて読んだ時からずっと次の一文が心に引っかかって、どうにも据わりが悪いからである。
❝復讐する最良の方法は、[相手と]同じような者にならぬこと。❞第六巻
アウレリウスは「復讐するな」とは言っていない。たとえ皮肉や反語だとして復讐をしないように牽制しようとしているとしても、相手のどのような部分と同じようにならないように気をつけないといけないかを明確にしておくのは有意義だと思われる。
まず相手と同様に復讐されるような人物にならないように、相手の存在を徹頭徹尾否定して心を折ろうとしても禍根は絶やせない。なら一族郎党
それなら復讐したくなっても耐えなければならないのか? 沈黙を守って耐え難きを耐え続けたら堪忍を甘受だと誤認されれるならまだ良い方で、我慢しているとは露とも知られず掛け替えのない自分という存在を踏み躙られてしまい、やがて心魂が踏み固められて上昇したくなっても出来なくなってしまう。だから耐えられないのなら声を上げないといけない。ただその声の上げ方を考える必要があるだろう。
そもそも人は何故他者から復讐されるのか? 理由は様々あろうが、敢えて収束させれば知ってか知らずか他者に危害を加えてしまったのが巡り巡って還って来ているのだろう。逆から考えると人が他者に復讐するのは、自分が受けた不当な被害に対して相手に正当な補償を求めた結果、それが認められなかったからやむにやまれず辿り着いた末路の一つなのだろう。ここから言えるのは復讐されてしまうのは不当な加害を他者にしてしまっていたという事だ。
別の概念で例えると他人に余計な支払いをさせ過ぎて溜まりに溜まったツケの請求が来たようなものだ。
しかし、はたしてそれだけなのだろうか? 人が復讐をやめられないのは「自分の支払いは不当で、請求は正当だ」と復讐する者もされる者も思っているからではないか? 原告は常に被害者とは限らないし、被告は常に加害者とは限らない。法や倫理的に正当であろうとも、請求し過ぎると、相手が帳簿への記帳が出来なくなるかもしれないし、彼我の境なく帳簿を破り捨てたり焼き払おうとしてくるかもしれない。
だから古の聖賢は「許せ」「やり返すな」と教える事で
これは勿論「不当だと思っても黙って支払え」「正当だと確信していても請求するな」と言っているわけでは決してない。「その収支が正当か不当かは自分だけでは決められない」と言っているのだ。これに異を唱える者はいずれ復讐するかされるのかの当事者になっても不思議ではない。
自分の勘定だけで他者を仕訳し、それが間違っているかもしれないとは露ほども思い至らず、間違っているとしたら自分以外に違いないと頑なに信じている、その様こそ正にアウレリウスが書き留めようとしていた「なってはならない相手の同じようなところ」に相違ない。
では何故彼らは 「自分の支払いは不当で、請求は正当だ」と自分だけで決めつけて復讐に走るのか? 結論から言うと彼らは自分を律する力が弱すぎるのに他者を律しようとする力が強すぎるが故に、常在戦場の心構えを解こうにも解けないからである。
どういう事かと言うと、第一に我々人間というものは禁止や否定形といった文章を脳や意識でしか認識できない。例えば……、
エジプトのピラミッドの事を考えるな。
ニューヨークの女神像の事を考えるな。
奈良の大仏の事を考えるな。
このような文章を読んだら、考えてしまったはずだ。エジプトのピラミッドやニューヨークの女神像や奈良の大仏の事を。まず心魂が情景を思い浮かべてから、それを考え続けるか否かを頭脳が遅れて判断するというのが人の意識というものの根本的な仕組みである。
つまり、禁止や否定形を繰り返し耳目に入れれば入れるほど否定しようとしているものを肯定してしまう恐れが常に付き纏い、禁止令を破ってしまう可能性が高まっていってしまうという事だ。言い換えると、その恐れに打ち克ち可能性のまま未達成にしておくには尋常ならざる頭脳の労力が必須であるし、やり過ごせようが過ごせまいが少なくとも脳の血管には負荷が掛かり続ける。
ならば禁止や否定形なんか使ってはいけないかと問われれば、それはそれで早計である。正確には使わずに済むのなら使わないに越した事はないであり、ここぞという時には使う他ない。そこで先人達は禁止や否定の網の目を細かくする為に用いたのが二重否定という修辞技法である。そうする事で負の数同士を掛け合わせたら正の数が積み上げられるように、まわりくどくとも禁止や否定を押し通そうとしたのだ。
第二にこれは私見ではあるが、この二重否定による禁止や否定の推進は三段階の様相があるように見受けられる。即ち……、
平時「やってはいけない、やられてはいけない」
有事「やってはいけない、やらせてはいけない」
戦時「やられてはいけない、やらせてはいけない」
平時を土台にして誰しもがこの三様相のいずれかに重心を置いて日々を生きている。そして大抵の人は戦時になる事は滅多にないし、なったとしてもほとんどが虚構や仮想に閉じ込めておけるだろう。しかし自分の判断だけで復讐に先走る彼らは心の重心が戦時に偏重しているが故に虚実が渾然一体となっており「やられてはいけない、やらせてはいけない(
ちなみに今し方私は(だから自分はやっても良い)と書いたが、賢明な読者の中は「そこは”だから”ではなく”だけど”の方が相応しいのでは?」と疑問に感じられた方も在らせられる事だろう。その感覚は確かに正しい。ただそれは禁止や否定をちゃんと理解していられる健常な脳であり、戦時を虚構や仮想に捉え続けていられる復讐からは縁遠い一般人の感覚だ。私が現在述べているのは、他人には厳しいくせに自分だけには甘い魂が未熟で度し難い復讐者に対してであり、彼らに寄り添った視点で考えたら”だけど”よりも”だから”の方がそれなりに相応しいと思われたのだ。
それはさておき、彼らが禁止や否定を恣意的に解釈して復讐に先走ってしまうのは何故か。それは第三に彼らは一般人よりも心魂の本能が強すぎて人間としての健全な発達に齟齬を来しているからである。
心魂の本能というのは私の造語なので説明すると、それはすくいの本質である。つまり人間という存在は自分自身の直接的な腕力だけで自分自身を持ち上げられない。だが自分にその意思と力があれば自分以外の誰かなら持ち上げられよう。言うなれば、自分で自分を「たかいたかい」とあやす事は不可能である。可能だと言い張れるのは魔法や超能力があると設定された虚構や仮想の中でのみ許される話である。
そしてこれは我々の心魂も同様である。即ち人間は自分で自分自身をすくい上げる事は出来ない。だから自分以外の誰かをすくい上げようとする。きっとそうする事で自分がすくわれた気がするから。これこそが私が定義した心魂の本能である。
言うまでもなく他者をすくおうとしたらその足許からすくわなければすくい様がない。それはすくいの本質が彼の囚われてしまっている固定観念からの解放であるからそうならざるを得ない。すくう側が弁えなければならないのは自身の役割が、彼の足許からすくい上げてその固定観念から一時的に離してやる事までであり、決して他の観念──それは大抵すくう側に都合の良い恣意的な誘導であろう──に植え直してやるではない事である。何故なら固定観念からの解脱は彼自身の足によって一歩を踏み出さなければならないからである。
話を戻すと復讐者はこの心魂の本能が強すぎて御しきれていない。発達の過程で親を始めとする他者から、余りにもあやされすぎたか、全くと言って良い程あやされなさすぎた生育歴を辿ったせいで、すくいの本質を誤学習してしまったか、学ぶ機会に恵まれなかったのだ。なのですくうべきでない他者をすくおうと余計な活動を始める。心魂の本能を制御する頭脳の理性が育っていないので、自他や虚実の境界線を引く術を知る由もなく、知ったとしても生半で恣意的に動かしても恥じる事がない。だから自分が他者に口汚い罵言を浴びせても、他者から自分に苦言諫言を呈されただけで烈火のごとく怒り散らす。
以上のように脳や意識でしか認識できない禁止や否定を、恣意的に運用可能な立場に固執し、心魂の本能から傍若無人に振る舞う、これらの極致こそ「自分の支払いは不当で、請求は正当だ」と自己判断のみを盲信して復讐に先走って憚らない態度に他ならない。
そんな彼らや彼らに関わる者達に現時点で私から言える事は以下の通りである。
「するにしろ、されるにしろ極力復讐の当事者にならないように気を付けろ。復讐しないよりは復讐した方が良い。だが、し過ぎてしない者を馬鹿にするようになる位ならしない方がマシだ。なのでもし復讐するなら、その正当性は自分だけで決めてはいけないし、他者だけに決めさせてはいけない。相手を許すのは愛である。だから相手を許せなくて良いし、愛せなくてもいい。けれど相手にやり返すよりは自分をやり直した方が良い。相手を許せない自分をまず許すべきだし、愛せない自分をまず愛するべきだ。そうやって自分をやり直す努力を怠って、相手にやり返そうと試行錯誤して相手に思い焦がれたままでいるのは恋だよ。盲目のまま当たって砕けるおつもり?」
これが余計なお世話である事は重々承知しているが、アウレリウスも以下のように述べているので、共感出来なくとも理解には努めてほしい。
❝人間は相互のために生まれたものである。されば、教えよ。さもなければ耐えよ。❞第八巻
※引用部はすべて講談社学術文庫版第十八刷・鈴木照雄訳による。
拾枚帖 枕本康弘 @moto_yasu
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