マルクス・アウレリウス「自省録」を読んで省みた自分の深奥

 物語を紡ぐ時に気を付けるべき人としての支配欲。

 まずは自分優先で良い。

 目的に一直線に向かう為の考え方。

なぜこの本を読んで十枚書こうと思ったのか?

 この本を手に取る数ヶ月前から私は鬱屈とした状態を過ごしており社会的な活動を健全に行う事が不可能か極めて困難な状態に陥っていた。具体的に書くのは憚られる事だがその頃の自分が単独で可能だったのは生理的欲求の解消とテレビゲームで遊ぶ事だけだった。日がな一日それらの快楽に耽る事によって逃避するしかない現実は当時の私にとって怖く厳しく恐ろしい外界であった。春先からそんな生活を続け初夏が過ぎ盛夏に至る頃には私の心魂の鬱屈は小康状態を保っていた。自分の人生をやり直そうとして動き出すにあたってかねてより気になっていた本書に手を伸ばした。読了した今だからこそ書ける事だが、我が人生において本書をなぜ読む必要があったかは以下の一文に集約されている。

 

❝心内を掘れ。心内には善の、そしておまえが常に掘る限り常にほとばしり出る力をもつ泉がある。❞第七巻

 

人間と非人間の違いを考え始めたら辿り着いた物書きとしての戒め

 

❝人間が人間に対して懐く気持ちと同じような気持ちを非人間に対して懐かぬよう心せよ。❞第七巻

 

 恐らく著者は私のような読者を想定していない(なにせ『自省録』だ)、そこまで考えていない。たとえピグマリオン伝説を知っていたとしても。著者が想定していた非人間というのはきっと動植物や道具類の事なのだろう。そしてその非人間と人間との境界線を跨いで人形が存在すると私はみなした。だから物語を紡ごうとしている私にとってこの文章は狼狽せざるを得なかった。私が描こうとしている物語の登場人物ははたして人間なのだろうか、と。彼らは私が自身やその周囲に似せて造った人形に過ぎないのではないか、それを動かす事によってしか人間として扱われない人形に他ならないものではなかったか、とも。

 この文章を別の角度から言い換えると次のようになるだろう。

「人間が非人間に対して懐く気持ちと同じような気持ちを人間に対して懐かぬよう心せよ」

 では人間が非人間に対して懐く気持ちとは何だ? それは集約すると「支配したい・弄びたい」という気持ちになるに違いない。確かにそういった気持ちは人間に対して懐いてしまうと不埒と言わざるを得ない。そういった邪な内容の気持ちを当人達に悟られずに実践する為の形式こそ物語と呼ばれるものなのだろう。

 人間と非人間の差異を考え出したら気は人間の占有物ではないかと思い至った。だがそれは勘違いだった。人だけが持てる気──それは感情や知性とも言い換えられるだろう──という捉え方こそ人間が非人間に対して抱いてしまう「支配したい・弄びたい」という気持ちの一端に違いない。

 確かに我々人間は非人間よりも気を多く強く持ちやすい性質を持ってはいるのだろう。だからと言って非人間を徹頭徹尾支配する資格を有しているわけではない。それら非人間にも気はある。それは気と言うよりは念と言うべきなのかもしれない。それでも現代人の感性や科学技術では知覚できないが決してゼロではない。仮に気というものが我々人間の占有物だとしても、我らと接する非人間にそれがうつらないとは誰が断言できようか。こう言った内容を戒めたのが俚諺に言う「一寸の虫にも五分の魂」なのだろう、きっと。

 だからこそ生半可な覚悟や技量でメタ・フィクションに手を出してはいけない。もし出すのならば時宜を迎えてしまったら殺すか殺されるかという覚悟で腹を括って取り組まないといけない。生身の子育てと同じように。

 以上の事を踏まえて私が物書きの端くれとして思い至ったのは「人が虐めて良いのは筋肉と主人公だけ」という境地である。

 

まず私。公に尽くすのはそれに飽き足りてから。

 世の中順番というものが大事だ。あらゆる二者間で先後を付けておいた方が原則的に都合がいい。勿論その先後になるべく尊卑や優劣を付け加えないように注意しなければならない。たまには原則的な先後が例外的にひっくり返ったり並列になる事もあるだろう。それでも原則的な順番は尊重優先されるべきである。とりわけ公私という二者間においてはその先後が特に大事である。

 

❝おまえの生の目的に向かって一路急げ。あだな望みを捨て、おまえにとって自分が何ほどか大事なものと思われたら、自分自身を支援せよ、お前にできる間に。❞第三巻

 

 まず自分という私的な領域を調和させてから、外に広がる公的な領域に働きかけるべきなのである。自我をしっかり育て上げられていない者に向かって公共に尽くせというのは、幼稚園児に見合話を持ってくるようなものであり時期尚早である。また次のようにも考えが及んだ。先の大戦における我が国の敗因は滅私奉公というその言葉と心構えに集約されていたとも言える。公共という高い理想に辿り着く為には自我という足場を固めて積み上げていく必要があるのに、滅私奉公という号令は折角積み上げた自我を達磨落としのように叩きのめして公共の価値を下落させていた。わたくしというものは滅するのではなく飽きたものから公共に尽くすべきだったのだ。即ちあの頃掲げるべきは滅私奉公ではなく、飽私奉公とでも言うべきではなかったか。

 

❝身近にいる者が何を行い何を考えたかということには目もくれず、専ら自己の行為に注意して、それが正しく敬虔でありあるいは善人流のものであるようにと、心掛ける者には、どれほどの閑暇という利得を得ていることか。腹黒き性格であるな。右顧左眄うこさべんせずただ目標へと一路邁進して脇に逸れぬように。❞第四巻

 

 自己を磨き始めたらそれを周りが妨害してくる場合がある。それが悪意から来るならまだ致し方ないが、善意から諌めようとしてくる場合、そっちの方が厄介極まりない。だから距離を取らねばならない。自分を守る為に。その領域を脅かす他者から心身を守る境界線を作らないといけない。その線を越えようとしてくる者は自分を人間ではなく非人間として扱おうとしているのであり、距離を取るのが困難ならあしらいやり過ごす。それが耐えられなくなったらやむにやまれず歯向かうしかない。けどそれは想定されうる最悪の事態だ。そういった事態の遠因は自己研鑽を始めた自分が迂闊だった面少なからずある。自己を優先する事で驕り高ぶって周囲を軽侮してしまっている場合と異質なものを排除しようとする集団の免疫機能の網に掛かってしまった場合である。前者に対してはたとえ思ってしまったとしてもおくびにも出さないように細心の注意を払って周囲と上手く過ごせるようにも自己研鑽を重ねるべきであり、後者に対しては感謝とともに敬して遠ざけるべきだろう。これらが自分自身に対して可能な支援というものだろう。

 自分で自分を助けられるからこそ他人を助けられる人間になれるのだ。そうでなければ他人に助けを求めるしかなくなる。それは人間だとしても動物よりは剪定され得る植物に近い生命ではあるまいか。ここで牽制すべきは公平や平等の尖兵達である。昨今では是正されてきているようだが、私の学生時代には教室には空調機が付けられていなかった。しかし、職員室には付いていたので幼心に(先生だけずるい)と思っていたものだ。当時は不平不満を抱きもしたが、今にして思えばやむを得なかったのだろうとも思う。勿論生徒職員間に優劣なく学校内のすべての部屋に空調機が備え付けられておくべきなのが理想的だろう。しかし、予算の都合をはじめとする致し方ない面も多々あったとも大人になった今なら察せられるし、それに加えて加えて生徒は教育を受ける被助者であり、職員は教育する援助者である。前者が不調に陥っても後者が無事なら手の施しようがあるが、その逆は必ずしも助けられるとも限らない。故に職員室から空調機の導入が優先されるのは現実的には致し方ない事である。これは二次災害の予防という面からも正しいと言わざるを得ない。こういう訳で私は他人に対して(狡い!)や(羨ましい!)と内心に懐く事があろうとも決してそれらの言葉に筆舌を尽くすまいと決めたのであった。

 

矢継ぎ早に放たれる矢を止める事が出来ないのなら

 

❝矢と知性の動き方はそれぞれ異なる。とはいえ、知性が注意力を集中する場合でも探求に想いを巡らす場合でも矢に劣らず一直線にそして考察の対象へと向かって飛ぶ。❞第八巻

 

 私は自身の知性を持て余していると思った。耳目が受け取る刺激に引き摺られて情報を貪り時間を無為に過ごしてしまっている。なるべく外からの刺激を受け取らないようにインターネットブラウザの機能を拡張し特定サイトにアクセスしにくくするように試みたりもしているが、隙あらば新情報を求めて蜘蛛の巣に絡め取られてしまう。

 これは自分の生の目的というものがハッキリしていないせいだと考えられる。と言うよりハッキリさせてしまうのを怖がっているのかもしれない。もっと上手に知性を動かす必要がある。奔放においても古くから「光陰矢の如し」と言い習わされているが、光陰即ち時間が矢だとするなら私達の肉体は弓で精神は弦であろう。時間の矢はそれこそ矢継ぎ早で私達が死ぬまで止まる事はない。私達に出来るのはその矢を如何なる的に放つかの選択と選んだ的を射抜くだけの技量を磨き、射抜きやすいように身心という弓弦の手入れを日々怠らず続ける事である。

 こうした事を踏まえて私は毎日を振り返り、恥ずべき放縦に耽ったり暇潰しに溺れたりしたとしてもそういった弱味を他者に見せないようになっていった。

 

※引用部はすべて講談社学術文庫版第十八刷・鈴木照雄訳による。

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