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 その日の夜、私はスマホで料理サイトを検索しながら、次はなにをつくってあげようかなと考えていた。

 如月さんはお子様舌で、いわゆる横文字の凝った料理には興味なさそうだった。横文字でもグラタンとかピザとかオムライスとか、もう輸入されて日本食と変わらなくなってしまった洋食じゃないとあまり食べたがらない

 なにを食べてもらおう。

 私だとあの人の孤独を全部はわからない。ただ、あの人が絵だけに閉じ込められて、それ以外がないのはよくないと思う。

 大学に行きたいとか、絵以外のことをしたいとか。

 あの人がポロリと漏らした言葉の中に、あの人が我慢してきたものがあるはずだ。

 私だとあの人の隣にいること以外なにもできないから、せめてあの人が自分で結論を出せるようになるまでは傍にいたい。

 ……この感覚を好きって言うのかな。

 最初はただ、死んでほしくないだけだった。自分が別れた直後に飛び降りてしまったというショックに振り回されているだけだった。でも、私はたしかにあの人としゃべって、少しムカついて、少しときめいて。そして少し好きになったんだよ。

 如月さんの家の冷蔵庫に入れてきたものを思い浮かべて、ナポリタンをつくろうかなと思いつく。

 でもパスタを茹でるための鍋がなかったから、これも買ったほうがいいのかな。どんどん如月さんの家の台所に、私が買ったものが増えていくのに、少しだけこそばゆいものを覚えていた。

 私はざっとスマホで近所の店を検索し、安い鍋の値段を確認してから、明日買いに行こうと考えた。

 そして私は自分のベッドで転がりながら考えた。

 如月さんが今書いている絵、当たり以外描いてなかったけれど、人の絵みたいだった。あれはいったい誰なんだろう。そう思いながら目を閉じたんだった。


****


 次の日、私はうきうきしながら、買い物行くための段取りを考え、お母さんに学校をサボッていることを悟らせない時間の潰し方を考えながら朝ごはんを食べている中。

 パートに行く前のお母さんがテレビを見ていた。


「あらぁ、この近所?」


 その言葉にデジャブを覚え、私はおそるおそるテレビを見た。

 あのときとは曜日が違う。あのときと違って如月さんは追い詰められていない。絵だって完成させたし……飛び降りる衝動になんて駆られてないはずなのに。

 私は脂汗が背中を伝うのを我慢しながら、恐々とテレビを見た。


【次のニュースです。本日午前六時、N市N町にて、投身自殺遺体が発見されました。これは早朝ジョギングした人が発見し、救急車に運ばれ検査をしたところ、昨日亡くなったとのこと……亡くなったのは如月大和さん。新進気鋭の油彩画家で……】


「え……」


 途端に私は言葉を失った。

 どうして。昨日はあれだけ元気だったじゃない。次の絵を描く準備もしてたし。私のつくったピザも一緒に食べたじゃない。でも。でも……。

 テレビを見ていたお父さんは「ほう」と息を吐いた。


「まだ大学生で画家なんて大したものなのになんで……しかもここ結構近所じゃ……晴夏、どうした?」


 私は前のときと同じく、目尻に涙を溜めて、とうとう決壊していた。シクシク泣き出すのに、お父さんもお母さんも狼狽える。


「あら、晴夏。あなたあの画家さんのファンだったの?」

「……前に、あの人と会ったことがあって」


 まさか学校をサボッた先で出会ったなんて言えなかった。でもそれにお父さんは「ああ……」と納得したような声を上げた。


「前に言ってたスランプの人、彼だったのか……」

「お父さん、晴夏から聞いてたの?」

「ちょっとなあ……難しいな」

「……あの人、悩んでたんだよ。悩んでたけど、私はなんと言ったら声をかけられるかわからなかった。当たり障りのないことしか言えなかった。自分には絵を描くこと以外に価値がないって思い込んでるみたいだったけど、そんなことないよって言っても……なかなか聞いてもらえなかった。最近ちょっと元気になったと思ってたのに……でも、駄目だったのかなあ」


 こんなこと言ったら、娘がおかしくなったと慌てるかもしれない。お母さんはオロオロしているばかりだったけれど、お父さんは腕を組んで黙って私の話を聞いてくれていた。


「そうだなあ……絵の話や仕事の話っていうのは、当事者じゃないと理解が及ばないところがあるから、晴夏の言葉は的外れかもしれない」

「ちょっとお父さん」


 お母さんは咎めるようなことを言うけれど、私は「いいの」とお母さんを止める。

 私が余計なことをしたから……そう思い詰めたけれど。


「だけどなあ。絵を描いてるときって、基本的に孤独なんだよ。他の人に作業を変わってもらう訳にもいかないし。それは分業制の広告の仕事であったとしても、油彩でも変わらないはずだよ。その孤独を受け止めてくれる人がいるといないだと、精神の削られ方はずいぶんと変わってくるから。ましてやまだ年若い子が才能一本だけで食べていくとなったら、どれだけ周りからやっかみを買い、ストレスを溜め込むかなんて、想像しただけでおそろしいよ。晴夏は、そんな彼に声をかけられた。それは本当に素晴らしいことだと思うよ」

「……でも、如月さん……死んじゃった」

「晴夏」


 お父さんは泣く私になおも声をかける。


「悩んでいる人に声をかけるっていうのは、誰でもできることではないよ。天才じゃなくっても悩むし、悩んでいるときにただ世間話をするだけでも気が晴れるときはある。これは絶対に晴夏のせいではないから」

「……ありがとう」


 私は目を擦った。そしてなんとか涙を止める。

 ……全部は間違ってなかったはずなんだよ。如月さんの絵が完成できずに、キャンパスが叩き割られることなく、完成させられた。きっと、そこにはなにか意味があったんだ。

 あの人は神経質で、思い詰めやすくって、すぐ不機嫌になる。どうしてあの人の目にはあれだけ色が溢れていて、あの人の手はあれだけの色を具現化できるのか、私にはさっぱりわからないけれど。

 あの人の悩みって、たしかに形を変えていたはずなんだ。

 ……好きだって思った途端にいなくなってしまうのは、嫌だなあ。

 日曜日になり、私はノートを書きながら、必死に祈った。


 お願いだから、ちゃんと次の周回がありますように。

 お願いだから、ちゃんとやり直せますように。

 お願いだから、もう一度如月さんと話をさせてください。


 今まで徒労に終わってキレて、ダラダラと一週間を繰り返していた私とは思えないくらい、必死に祈っていた。

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