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ピザ生地を寝かしつけている間に、私は買ってきた野菜やソーセージの準備を進めておくことにした。買ってきたばかりの包丁とまな板を使って私がピザに載せる具材を切っている間、如月さんは鉛筆をキャンパスに走らせていた。
こちらからではいつもなんの絵を描いているのか見えないけれど、最初に「あれ?」と気付いたのは、描いている絵がいつもと違うことだ。
普段如月さんが描いている絵は風景画だ。動物が入っていることはあるけれど、そのほとんどは躍動感を与えるために動物の動きを利用しているだけで、描いているものはだいたい海だったり空だったりする。でも。
この絵はどうも誰かの似顔絵に見えるのだ。
「如月さん。この絵は依頼ですか?」
「違う」
きっぱりと言われた。しかも食い気味に。私はおずおずともう一度尋ねる。
「如月さん、いつもとモチーフが違うんですね。いつも風景を描いてますから、そういう絵が好きなのかとばかり」
「……いつもは母さんが連れてきたクライアントの依頼を元に描いてるから、僕の意思は含まれていない」
「まあ……」
「でも久しぶりに依頼がないから……学校に行っても課題をする時間が与えられるかわからないけれど、好きな絵を描く時間が与えられたから」
ここからだと、あまりにラフ過ぎる上に、なんの色も載っていないから誰の絵かはわからない。私はそれに「そうなんですねえ」とだけ答えた。
ピザ生地が膨らんだことに気付き、フライパンの上で伸ばして、ケチャップを塗りはじめた。その上に切った具材を乗せて、最後にチーズを満遍なく振りかけると、それを調理台にかけはじめた。
だんだん生地の香ばしい匂いが漂ってくる中、如月さんはようやっと鉛筆から手を離して、こちらに寄ってきてピザを眺めはじめた。
「……本当にピザができてる」
「そりゃできますよ。言ったじゃないですか。つくりますって」
「君って意外となんでもできる?」
「……なんにもはできませんけど、如月さんがよっぽど変なリクエストをしなかったらつくれますよ」
私の知っている限り、如月さんの舌がお子様舌だったからつくれているだけだ。もしいきなり本格フレンチをつくれなんて言われても無理だ。材料も道具もないし、スマホを見ながらつくれるものじゃなかったら無理。
そんなことを思いながら、焼けたピザを大皿に取り出した。それを包丁で切り分けていくと、焼きたてピザ特有のふっくらした感触と、蕩けるチーズが出てきた。
「できましたよ。もう食べますか?」
「食べる。麦茶は冷蔵庫の中にあるから」
「あったんですねえ」
出してもらった麦茶と一緒に、焼きたてのピザをもりもりといただく。久々につくった割にはピザ生地の発酵も上手くいったし、もっちりとした食感が大満足の一品となった。
食べながら、私は描いている絵を見た。
「あれ、なんの絵なんですか?」
「内緒」
「ずるい」
「君だって、いきなり泣きついたと思ったらデートしようだし、その次が食べたいものありますかだし。意味がわからない」
「ああ……」
如月さん視点の私だって、支離滅裂だった。
いきなり押しかけてきたと思ったら目の前で泣かれ、唐突にデートをはじめ、そして今は昼ご飯をつくりに通っている。ストーカーなのか押しかけ彼女なのか、考えてみても訳がわからないし、私もなるべく如月さんの未来のことを言ってないから、彼の謎は彼視点だと解ける訳がないんだ。
私は小さく首を振った。
「あなたに幸せになって欲しいだけですよ」
「なにそれ。初対面のときから君、本当に意味がわからない。でも」
如月さんはザクリとピザを頬張った。目を細めておいしそうに食べる。この人はお子様舌だけれど、出されたものはおいしく食べるし、残すような真似もしない。お母様にアトリエにしているマンションに閉じ込められているのだけは解せないけれど、この人はこの人なりに真っ当な精神の持ち主なのかもしれない。
「君が来てから、結構楽しくなっているかもしれない」
その言葉に、私はトクリとなにかが弾けそうになった。
如月さんは特に笑わないし、暴言ばかり吐くし、自分勝手だ。いいところがあるのかどうかわからないけれど、ただ一緒にいるとなんとなく居心地はいいし、いつしかずっと隣にいられたらいいなと思ってしまった。
私はキャンパスを指差した。
「これ、完成したら見てもいいですか?」
「まあ、描いていったらその内、わかるんじゃない? 明日は来るの?」
「来ます。またここに来ますから。だから」
このとき私は、浮かれに浮かれてしまった。
やっとこの人と気持ちが通じたんだと。この人と会話ができたと。でも、私はどうして彼が死んだのかわかっていた癖に、結局はなにもわかっていなかったんだ。
繊細な人は、本当に繊細過ぎて握ったら簡単に割れてしまう薄い氷のような心でできている。大丈夫そうに見えたとしても、その繊細な心に、ズカズカと土足で入ってしまったら簡単にひび割れてしまうって、このときは気付きもしなかったんだ。
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