第二話 準備

「やぁ……。」

僕は、総科研に顔を出した。

「早栗…っ!」

一番に涙を流しながら抱き着いてきたのは、大学の同期で同僚の油尾〔あぶらお〕香月〔かづき〕。僕が鬱になった後も、家に来て食事を作ってくれたり、定期的に仕送りをしてくれたりした、恩人だ。

「……。」

僕は、泣きじゃくる彼女の頭を優しく撫でる。そのピンク色のショートヘアーは僕の手に無抵抗に梳かれて小さく揺れる。

「うぇぇぇえええん!!!」

そのか細い声で精いっぱいに感情を示す白衣の少女は、僕の胸に頭を擦りつけて離れない。

「早栗…遅かったじゃねぇか。」

透き通った白い肌をほとんど白衣と長ズボンで隠した黒髪の青年……風の女性。こちらは高校の同輩で同僚、追風〔おいかぜ〕楓〔ふう〕。僕を心配して毎日電話してくれた親友でもある。

「ごめんね。」

泣きじゃくる香月をなだめながら、楓にも謝罪の言葉を述べる。

「心配したのよ~、元気でいてくれてよかった…。」

そして、その横で感涙を静かに流している、青紫色のロングストレートが特徴的な美人。小中の同級生で同僚の春潮楼〔しゅんちょうろう〕彩夏〔さやか〕。僕の為に精神科医を紹介してくれたり、温泉旅行に連れまわしてくれたりした、保護者的な人でもある。

「ありがとう。……香月、頼みがあるんだ。」

僕は、ここに来た本題を香月に切り込む。

「うぅ……なぁに?」

抱き着いたまま上目遣いで尋ねて来る。可愛い奴だよ、本当にさ。

「小和を、獣人化させる。」

そう呟くや否や、香月の顔は満面の笑みに包まれた。

「それが、第一歩なんだね!」

香月は抱き着いていた手を放して、すぐに準備に取り掛かる。

「……本気か?あんなに嫌がってたのに。」

確かに、僕は小和の獣人化に対してとても嫌悪感を抱いていた。香月が初めて提案して来た時には怒って一週間くらい口を利かなかったくらいには。

「僕は、責任を取らなきゃならないんだ。三人を心配させた責任と、全世界市民に恐怖を振り枚た責任を。」



「じゃんじゃかじゃーん!」

「えと…あの…ご主人様…?」

香月が部屋から出てくると、そこにはベージュ色の毛並みの美しい、ケモミミ娘が付き添っていた。

「……やっぱり、獣人は苦手だな。ようこそ、こちら側へ。小和。」

僕は、はにかみながら小和を迎えるべく両手を広げる。小和は、両手を地面についてから僕に飛びついてきた。…ずっしりと重い体重が、そして豊満な胸の感触がしてくる。

「ご主人様ぁ~!!!」

どうやら、こうして抱き着けることに羨望があったらしい。と言うか、香月がさっきやっていたのを見てやりたくなったのだろう。……しかしなぜだろう、女性陣の視線が痛い。何故だ、香月は良くて飼い犬がダメなのは納得いかないんだけどさ。

「僕も抱き着く~!」

っと、その香月が続いて飛び乗ってきた。まだ軽いから耐えられるが、小和の胸のふくらみがより一層押し付けられて、あまり宜しくない状況だ。

「なら俺も」

と、楓が乗ってくる。……まだいける。楓はスレンダーだし身長もそこまで高くない。が、がだ。この流れ。非常にまずいと僕は悟る。

「……私も!」

「まだ死にたくはないね!」

と、僕は彩夏が乗ってくる前に身を捻って小和たちの抱き着きから抜け出す。

「むぅ~…なんで私は駄目なんですかぁ?」

彩夏がぷくーっと頬を膨らませつつ、腰に手を付けてジトーっと目を向けて来る。その視線がやけに痛い。だがしょうがないんだよ、彩夏。その色々と豊満なボディでプレスされてみなよ、僕だけじゃなくて生まれ変わったばかりの小和までつぶれてしまうじゃないか。

っと、説明が遅れたね。小和に今やったのは、【獣人化】と呼ばれる施術。世界でも数人、国内だと僕と香月しかできない、と言っても僕はやらないから実質香月だけの、とても特殊な施術だ。2050年のノーベル生理学・医学賞の受賞項目は【魂の発見】。僕ら総科研のメンバーで見つけた、一代発見だった。魂と言っても、より正確には、脳に存在する記憶システムである、海馬の複製と、他の生物への定着の方法を発見したことだ。これで、人類を含むあらゆる生物は、少なくとも老衰による記憶の喪失から解放された。これを不老不死への前進だと言う人もいるけれど、僕はそうは思わない。この記憶の複製は、海馬を取り出してデータを読み取るために、その本体を殺す必要がある。つまり、それまでの命は死ぬ。受け継がれるのは記憶だけ。決して同じものではない。

「改めて、これからよろしくね。『早栗小和』。」



僕が彼女を獣人にしたのは、決して趣味じゃない。これも全て、復讐の為だ。僕のこれからの生活には、無条件で僕の復讐に付き合ってくれる存在が必要不可欠になる。総科研の仲間たちは、確かに長い付き合いのある友だけれど、各々が意思を持った人間だ。人権もあれば、自由意志の下で動く。

だが、彼女、小和は違う。彼女に、人権はない。ただの飼い犬。その所有権を持つ僕は、動物愛護法の定める『適切な取り扱い』をしてやる限りは、あらゆる事項を命じることが出来る。……あれだけ反対していた獣人の非人認定が、結局僕の役に立つっていうのも皮肉なものだね。

総科研のメンバーと別れた後、僕は小和と家に帰った。

「なんだか、何もかもが小さく見えるっす。」

犬だったのだからそりゃそうだろう。両手を地面について四つん這いで移動しているが、それでも成人女性の平均大の身体だ。

「これからきついよ。君はこれから、本物の獣人になるんだ。限りなく人間に近い愛玩動物として、僕の役に立ってもらうよ、小和。」

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