31 花見
今年は暖冬だということらしいのだが、買い物に行くにはダウンジャケットにマフラーに手袋がないととても出歩けなかった。ジュノが電気代は気にしなくていいと言ってくれたので部屋のエアコンはつけっぱなしだった。
俺は読書に挑戦してみることにした。歩ける範囲に小さな図書館があったのだ。図書カードを作るための身分証明書は、ジュノの保険証を借りた。その時に初めて、ジュノのフルネームが「進藤寿乃」であることを知った。
――うわっ、ダメ。全然頭に入らない。
児童書を適当に選んで借りてきたのだが、それすら読めない。小学生向けと書いてあるのだが。俺は読書は苦手だったらしい。それでも、日記が書けるしネットの記事は読める。物語が合わないのだろうか。
学歴が気になってきたので、理科や社会の本なんかも借りてみた。小学生くらいまでの内容はなんとなくわかったのだが、それ以上になると説明が難しくて投げ出してしまった。
――漢字が書けるし、義務教育くらいは受けてるっぽいんだよな。大学は行ってないだろう。行けてて、高校か。
そんなことをしていたら、あっという間に月日が過ぎて、今年の桜の開花予想がニュースに出るようになっていた。
「ねえ、メイ。お花見しない?」
そろそろ花がほころぶ頃になって、ジュノにそう言われた。
「いいね。場所は?」
「電車で二駅行ったところに大きな川があってね。そこが名所になってるんだ。公園もある」
「じゃあ俺、お弁当作る!」
天気予報とジュノの予定を突き合わせて、平日に出かけることにした。前日に食料の買い出しをして、使い捨ての容器も沢山買った。
当日は朝からキッチンをフル稼働だ。ジュノより先に起きて、おにぎりを握り、唐揚げを揚げ、卵焼きを焼いた。
「おはよ……メイ、今朝は早かったんだね」
「お弁当、できたよ!」
「えっ、朝から揚げ物までしたんだ。凄い」
ジュノのリュックにお弁当を詰めて、いざ出発。二駅だけだし、と電車では立って窓の外を眺めていたら、賑やかな桜色が見えてきた。
「わっ、ジュノ! 見て見て!」
「満開だねぇ」
最高の時期に来たのかもしれない。まずは川沿いを散策した。
「綺麗だね、メイ。春の妖精のプレゼントだね」
「……ジュノ? 今何か変なこと言った?」
「えっ、だから、春の妖精がプレゼントしてくれたんだなって思って」
「あっ……本気で言ってたのか。うん。何でもない」
最近気付いたのだが、ジュノはたまにポエミーなことを言う。作曲家だし、そんなものなのだろうか。
風が弱く、絶好の花見日和だった。歩きながら木々を見ていると、自然と寒さを忘れることができた。
開けた場所に来た。大きな桜の木の下にベンチがあり、そこに腰をおろすことにした。
「ジュノ、早めに来てよかったね。席取れた」
「うん。ここなら食べやすい」
天を仰ぐと、枝と花の間から真っ青な空が見えた。俺の心も清々しい。今日くらいは過去のことを忘れて、ジュノとの「今」を楽しもう。
「遠慮しないでどんどん食べてね、ジュノ。あっ、お箸は割り箸持ってきたから」
俺はリュックを開けて、どんどん容器を取り出してベンチに置いた。飲み物も忘れずに。ジュノは目を細めて言った。
「外でお弁当なんて、小学生以来じゃないかな? わくわくする」
「俺は……ああもう、初めてってことでいいや。細かいことは考えるのやめる」
チチチ、と鳥の鳴き声。ゆるやかな川の流れの音。時折、同じ花見客の会話が聞こえてくるのだが、それも気にならないくらい穏やかなランチだった。
「メイ、この唐揚げ、冷めても美味しいねぇ……」
「まあ、市販の唐揚げ粉使ったんだけどね。間違いないから」
「そうだね。フライヤー、買うだけ買って一度も使ってなかったからなぁ。メイに使ってもらえて良かった」
お弁当は綺麗になくなった。俺とジュノは、桜を背景に何枚も写真を撮った。
「わっ、俺って何回撮っても目付き悪ぅ……」
「そう? メイの目、カッコいいけどな」
「そんなこと言ってくれるの、世界できっとジュノだけだよ」
ベンチに座ったまま、柔らかな日差しを浴びていると、このまま眠ってしまいたい気分になった。二人ともネコなら、このまま木の下で丸くなるのに。
俺は、この瞬間、心に浮かんだことを口にしたくて、そっとジュノの手の甲をさすった。
「ジュノ」
「なぁに?」
「俺さ、過去を探すのやめる」
「……どうして?」
俺はジュノの指の間に自分の指をねじこんで組み合わせた。
「俺にはジュノとのこれからがあればいい。過去に縛られて、ジュノとの生活を楽しめなくなるのは嫌なんだ」
そして、真っ直ぐにジュノの瞳を見つめた。
「それとさ、記憶失くしてから、ちゃんと言ったことなかったよね。好きだよ、ジュノ。ずっと俺の側に居て」
「うん……うん……僕も好き。大好き、メイ」
俺は、新しく生きよう。ジュノの恋人として。それが、俺もジュノも幸せになれる道だ。
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