30 荒波

 それから、俺がやってみたのは、とにかく色んな場所に足を運んでみることだった。もちろん、ジュノにはきちんと行き先を告げた上で。

 駅前の店に全部入ってみて、タバコが吸える喫茶店でコーヒーを飲んでみることもした。公園に行って、周りに怪しまれない程度に遊具を触ってみることもした。

 それらのことは全部日記に書いた。どういう行動を取ったか。どう感じたか。しかし、結局出てくるのは「わからない」という感想だ。

 何の収穫もないまま二月になり、ジュノの仕事に余裕ができたというので、車を借りて海に連れて行ってもらった。二人の初めての遠出だったという思い出の地に。


「あれ……俺、車は運転できるかも」

「そうなんだ。どのみち免許証ないから運転させられないけど」


 助手席で俺は写真を見直した。まだ髪が長い頃の俺だ。七月上旬、ジュノによると海開きはまだだったという。スムーズにハンドルをさばきながら、ジュノが言った。


「その時のメイがね、あまり海には行ったことないから僕と見てみたい、って言ってくれて。人が多いのは避けたかったから、その時期に行ったんだ」

「今、行くと……寒いよね」

「そうだね。さすがに海に入っちゃダメだと思う。まあ、あの時は、二人で足つけて遊んだんだけどさ」


 その当時の話を詳しく聞いた。最初から海に入る気満々で、タオルを持って行ったらしい。ただ、海水をかけ合って服はびしょ濡れ。太陽で乾かそうと二人でぼんやりしていたのだとか。


「はぁ……ダメだ。まるで覚えてない」

「実際の風景見たらとっかかりになるかなぁ……」


 車内ではジュノの音楽プレイヤーを繋ぎ、ジュノが今まで手がけたという曲を聴かせてもらった。


「これって俺、聴いたことあるんだよね?」

「うん、何回かね」

「わかんないや。音楽の記憶も消えてるのか……」


 そうしてたどり着いた冬の海。すさまじい風が顔面に吹き付けてきた。ツンとした潮の香りは初めてではないような気がしたが、自信がない。


「わっ……ジュノ、荒れてるね、波」

「そうだね……夏に来た時はこんなのじゃなかった」


 波打ち際まで行こうとしたのだが、恐怖心が勝ってしまって足を止めた。それほどまでに波は高く、激しく打ち付けていたのだ。


「どう? メイ……」

「全然何も感じない。まあ、ほら。一応写真撮っとこうか」


 それから、砂浜を歩いてみた。今は営業していない海の家。朽ちた木のボート。誰かが酒盛りでもしたのだろうか。大量の空き缶。


「……やっぱりダメだよジュノ。せっかくの記念の場所なのに」

「落ち込まないで。僕がしっかり覚えておくから。前のことも。今日のことも」

「ありがとう、ジュノ……」


 そして、二人で服を乾かしたというコンクリートのところに座ってみた。


「うっ……寒いね、メイ……」

「長居はできないね……前はこの後どうしたの?」

「ああ、ラブホ行ったんだよ」

「ラブホかぁ……同じ行動してみようか」


 ラブホテルに着き、ジュノはパネルの前で指をさまよわせた。


「ごめん、メイ。部屋までは覚えてない。喫煙ルームだったとしか」

「うん。それでいいよ。入ってみよう」


 家具がぎゅうぎゅうに詰められた、セックスするための部屋。こういう施設に入ったこと自体、初体験だという気がしてならなかった。ジュノがソファに座り、ローテーブルの上にあったタブレットを操作しながら言った。


「思い出した。二人ともハンバーグ頼んだんだ」

「今回もそうしよう」


 届いたハンバーグは見覚えがあった。


「ジュノ! これは覚えてる! やった!」

「おっ、そうなの?」

「……ん? あれ、違うぞ?」


 俺はスマホのカメラロールを確認した。


「ああ……そうか。前に来た時に俺、ハンバーグ写してるんだよ。その写真のこと覚えてただけだった。っていうか俺、なんでこれ撮ってたわけ?」

「僕にもわかんないや……」


 ハンバーグの写真の次は、ジュノと上半身裸のままで写したツーショット。ジュノの首にはキスマークが大量にあった。つけたのは……俺しかいないわけで。


「ねえ、ジュノ。この時けっこう激しかった?」

「まあ……そうだね。当分人に会う予定ないし、同じことしてもいいんだけど」

「本当に……?」

「メイなら、いいよ」


 ジュノがそう言うなら、と俺は容赦しなかった。普段と違う場所、いうのが余計にそそって、とめどなくあふれ出る欲望を止めることができなかった。


「あ……メイ、そろそろ時間だ」

「服着ないとね……」


 部屋を出る前に一服だけすることにした。


「記憶は戻らなかったけどさ。楽しかったよ、ジュノ」

「うん……僕も……」


 この日の日記は長くなった。字を書くのにも慣れてきて、最初に比べればかなり読みやすくなった。書き終わった頃に、ジュノがコーヒーを出してくれた。


「はい、メイ。何を書いたの?」

「ああ、読んでもいいよ」


 ジュノは俺の字をなぞりながら頬を緩ませていた。


「よく書けてる。メイって文才あるね」

「そうかな? 行動振り返って書いただけ」


 俺はコーヒーを飲みながら、穏やかな表情でページをめくるジュノを、ただ、見つめていた。

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