23 消失
兄の誕生日当日、俺はケーキとありったけの酒を持って兄の部屋に行った。
「兄ちゃん、おめでとう」
「ん。ありがとう」
腑抜けになっていた俺と違い、兄は仕事を再開していた。依頼が絶えなかったのだという。大きな案件を片付けたところだと兄は言い、その日は俺も飲ませることにした。
「ほら、兄ちゃん、チビチビ飲まないでガツンといきなよ!」
「はぁ……鳴、もう酔ってる? 弱いくせに好きなんだから」
そう。俺は酒にそこまで強くはなかった。缶ビール一杯で出来上がり、二杯目から管を巻き出し、三杯目くらいで眠くなる。その日は四杯目に突入してしまって、もうクラクラ。気付けば寝室に移動させられていた。
「兄ちゃん、今日は、泊まるぅ……」
「いいよ。最初から、そのつもりだったしね」
「ん……兄ちゃん……?」
兄がのしかかってきて、唇を奪われた。俺にとって人生で初めてのキスだった。
「えっ、何で、兄ちゃん……?」
「もう、父さんも母さんも死んだし。咎める人は誰もいないんだよ。想い、遂げさせてよ、鳴」
必死に抵抗した。しかし、酔いの回った身体は言うことをきかなかった。何とか兄の腹を蹴ったのだが、それがいけなかった。首を絞められたのだ。
「……かはっ」
「大人しくしてたらこわいことしないよ。ねっ。気持ち良いこと、するだけだから」
その時の兄の目。琥珀色の目。透き通ったその色が大好きだった。それが……情欲に濡れていた。
「やだっ、やだぁ!」
「まだ抵抗するの? また首絞められたい?」
「ひっ……」
身体をいいようにされるしかなかった。兄に脱がされ、身体に触れられながら、一緒に育ってきた二十五年間の思い出が、どす黒く塗りつぶされていくのを感じた。
――どうして? いつから?
涙で兄の顔が見えなくなり、刺激を与えられるようになってからは、嫌なのに、嫌なはずなのに、あられもない声が出てしまった。
そして、とうとう童貞を奪われたのだ。
「酷いよ……酷いよ……」
全てが終わった後、俺は仰向けのまま泣くばかりだった。兄が頭を触ろうとしてきたので払いのけた。兄は、俺が泣き止むまで待っていたようだった。
「鳴。もう遅いんだよ。俺たちはセックスをした」
「何で? 何でなの?」
俺は涙を手の甲でぬぐい、兄をキッと睨みつけた。
「僕は鳴でしか抜けなくてさ。ずっとこうしてやろうと思ってた。母さんが死んだし、もういいやって思ってね」
「いつからだよ、そんな、気持ち悪いこと、考えてたの……」
「さぁ……覚えてない。まあ、今回の計画を思いついたのは母さんの病気がわかってからだよ」
「人でなし……!」
殴ってやろうかと思ったが、身体がついていかなかった。できることは口で罵ることだけだ。
「信じてたのに! 兄ちゃんのこと、信じてたのに!」
「いい兄貴してたでしょ? 全部この日のためだよ」
「もうやだ、こんなの、耐えられない……!」
とめどなく罪悪感が襲ってきた。確かに両親は死んだ。けれど、これは裏切りだ。一生背負わないといけない罪だ。
「ねえ鳴。今回のこと、忘れたい?」
「当たり前じゃないか! 忘れられるもんなら綺麗さっぱり忘れたいよ!」
「できるよ。僕がしてあげる」
「はぁっ……?」
兄が話したのは、にわかに信じがたいことだった。
兄は、他人の記憶を自在に消せるという。
それに気付いたのは偶然だった。母のスマホを勝手に触ったことで酷く叱られ、母の目を見ながら、どうか忘れてくれと願ったのだという。
「あの時……卑猥な単語で検索してたのがバレてね。僕も必死だった。そしたら、母さんが気を失って。目覚めた時には、僕がスマホ
をいじったことを忘れてたんだよ」
それから、兄は他人に幾度も試したという。兄が指定した通りの記憶を失わせることに毎回成功した。そして、このことを誰かに話したのは初めてだという。
「……兄ちゃんの言うことなんて、信用ならないけど。やれるもんならやってみなよ」
「本当に忘れたい? 鳴だって可愛い声出してたじゃない」
「それはっ……」
「一度消した記憶は僕じゃ戻せない。それでもいいの?」
俺はしばし考えた。仮に兄が実際に記憶を消せるのだとして。罪自体も消えるのだろうか。いや、違う。事実は事実。血を分けた兄弟と交わってしまったことに変わりはないのだ。
「それでも俺は……忘れたい」
そう、答えを出した。俺はどこまでも弱い人間だった。逃げたかったのだ。そして、都合のいい記憶だけ残して、今まで通り兄弟としてやっていきたかったのだ。
こんな仕打ちをされてもなお、俺は兄のことを愛していた。
「そう。じゃあ、本当に消すよ。僕の目を見て」
「……うん」
兄の瞳をしっかりと見つめた。
「……うっ……あっ……ああっ!」
脳みそがぐちゃぐちゃにかき混ぜられているような、そんな不快感と痛みで俺はバタバタと手足を動かした。
「大丈夫。目が覚めたら何もかも忘れてる。だから大丈夫だよ、鳴……」
どんどん、気が遠くなっていった。
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