21 真実
俺の名前は
物心ついた時には、父は亡くなっていて、母と、五歳上の兄――寿乃と一緒に暮らしていた。
娯楽も子供も少ない田舎。俺は兄と一緒に遊ぶことが多かった。いや、遊んでもらっていた、というのが正しいか。子供の頃の五歳差というのは大きい。ブロックでロボットを作ったり、夏に蝉を捕まえに行ったりすることに付き合ってもらっていた。
幼い頃の俺は、兄が構ってくれることを当然だと思っていた。一緒に風呂に入ったり、同じ布団で寝たりすることも。しかし、兄が高校生になった時に母に言われたのだ。
「そろそろお兄ちゃん離れしなさいね」
「えっ……なんで?」
「お兄ちゃん、大学に行きたいって。多分、このまま勉強続けてたらいいところに行けるだろうって先生が。だから、三年後にはこの家を出るんだよ。兄弟なんてね、いつかは他人になるの」
「うん……そっか」
俺は少しずつ、距離を取ることを始めた。お風呂には一緒に入らなくなったし、夜どんなに寂しくても兄の布団に行かなかった。そんな俺の変化に兄はかなり戸惑ったようだ。
「鳴、別にいいんだよ。ギリギリまで甘えても」
「でも、母さんが……兄弟なんていつかは他人になるって」
「僕はそうは思わない。鳴はさ、僕にとって……唯一心を開ける存在なんだよ」
そう言われてから初めて、俺は兄が同世代の子供と交流を持っていないことに気付いた。兄は学校が終わると真っ直ぐ家に帰ってきて、僕に構ったり音楽を聴いたりしていた。話の中で友人の名前が出ることは一切なく、遊びに来たことなんてもちろんなかった。
そして、高校入学祝いに母が買い与えたアコースティックギターに、兄は夢中になっていった。俺はその練習の様子を見ることが楽しくて仕方なかった。
「鳴、次は何弾いてほしい?」
兄は俺のリクエストに次々と応えてくれた。楽譜を調べて練習して、すぐに弾けるようになっていたので、そういうものかと納得していたのだが……よく考えると、兄は相当センスがあったのだろう。兄はDTMも習得し、いくつか曲を作って投稿も始めた。
しかし、兄が高校三年生、俺が中学一年生になると、さすがに兄は受験勉強で音楽をする暇がなくなった。そして、俺だ。中学からの勉強にどんどんついていけなくなった。
大学に行くことは、もうその時点で諦めた。高校にはどうにかして入って、そこを卒業したら働くことに決めた。女手一つで俺たち兄弟を育ててくれている母に、なるべく負担をかけたくなかったという気持ちもあった。
「ごめんな鳴、最近話とかできなくて」
「いいんだよ。兄ちゃん」
クリスマス・イブの夜だった。母は仕事。兄弟二人だけで小さなケーキを食べた。
「鳴はまだ中一だろ? 今から将来決めつけなくてもいいって。母さんだって、お金の心配はないって言ってくれてるんだから」
「いいの。特にやりたいこととか無いしね。早く働いて早く自立したい」
その日は特別な夜だし、と俺は兄の布団に潜り込み、長い間話をした。もうサンタクロースが来なくなって、母からはお金を渡されるようになっていた。
「本当は僕だって、ずっと鳴と一緒にいたい。でも、大学に行くにはどうしたってこの家出るしかないからさ」
「俺なら大丈夫だよ。大学行っても、お盆とかお正月には帰ってくるんでしょう?」
「そのつもりではいるよ。鳴は本当に、耐えられる……?」
「うん。俺は俺で、できること頑張る」
「すっかり大人になったね、鳴……」
そう言って、兄は優しく俺の髪を撫でた。それから、久しぶりの兄の温もりに包まれて眠った。
兄は第一志望の大学に合格した。引っ越しは俺も手伝った。学生街のワンルームが兄の新しい城となり、ちょっぴり羨ましかったのは事実だ。笑って別れ、帰宅した夜。俺は兄が使っていた布団を引っ張り出して、匂いをかぎながら泣いた。
兄の動画のアカウントならフォローしていた。新しい曲が投稿される度に、俺は兄の姿を思い浮かべて勇気を出した。その頃、狭い田舎では、誰と誰が付き合っただの、セックスまでいっただの……そんな話題が流れるようになった。不思議と女の子への関心がなかった俺は、セックスは汚いものだとみなしていた。
そして、兄が大学三年生になった時だ。大晦日に帰ってきた兄が、真剣な話があるからと俺と母に切り出した。
「作曲の道に進もうと思う。せっかく、大学まで行かせてもらったのに……申し訳ないと思ってる」
母は一瞬言葉を失い、それからまくしたてた。
「寿乃。やめておきなさい。あんた、ちゃんとした音楽の学校にも行ったことのない、独学の素人でしょう? あんたの学歴なら大きい会社にも就職できるから。勤め人の方が絶対にいいから。ねっ、お願い、考え直しなさい」
兄は押し黙った。重い雰囲気の年明けだった。
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