20 記憶

 ジュノが荒い呼吸をしているのに気付いて目が覚めた。

 二人とも裸だった。慌ててジュノの額を触ると、酷く熱かった。


「ジュノ、ジュノ。大丈夫?」

「頭……痛い……」

「絶対に熱あるよ。待ってて。薬と体温計持ってくる」


 勝手知ったるジュノの家。それらの場所はわかっていた。薬を飲ませ、体温をはかると、三十九度をこえていた。


「ジュノ、まずいよ。内科行こう。保険証とか、診察券とか、あるよね?」

「財布に入れてる……もう少し休ませて……それから行く……」


 ジュノを気遣いながらも、とっさに色々と行動できた自分に驚いた。俺は、風邪をひいた時の対処を知っている。一時間ほどして、薬が効いたのか、ジュノが身を起こした。


「メイ……着いてきてもらっていい? 不安……」

「もちろん」


 ジュノはゆっくりとした足取りで住宅地の奥へ向かった。一見普通の戸建てに見えたところに内科の看板がかかっており、そこがジュノのかかりつけらしかった。ジュノは問診表も自分で書けたので一安心した。俺が着いていったのは待合室まで。診察室までは行かなかった。「シンドウさん」と呼ばれてジュノが立ち上がったのを聞いて、今さらジュノの苗字を知った。


「メイ……インフルエンザだった」

「マジか」


 薬は院内処方だった。ジュノをベッドに寝かせた後、急いでドラッグストアに行き、マスクやら消毒液やらスポーツドリンクやらを買ってきた。


「メイ。うつったらいけない。悪いけどソファで寝て。僕は寝室にこもるよ」

「でも、一人にしておけないよ……」

「メイまで倒れたらどうしようもないでしょ? 何かあったらスマホで呼ぶ。言うこと聞いて。ねっ?」

「わかった……」


 それから、ジュノの熱はなかなか下がらなかった。スーパーには行き来していたから、否が応でも年末年始を感じさせられたが、それどころではない。ジュノの食べられそうな雑炊やうどんを作り、それを持っていく時以外はリビングで待機していた。

 そして、二人別々の部屋で年を越した。


「明けましておめでとう、メイ」

「うん。今年もよろしくね」

「もう、動けるかな。メールたまってるだろうから、チェックしないと……」


 そう言って、正月早々ジュノは仕事部屋に行ってしまった。初詣に行きたかった、なんて言い出せる雰囲気ではなかった。

 昼になって、ようやくジュノがリビングに来た。


「忘れてた……新年会だ、今日」

「えっ? やめといた方がいいよ」

「そうはいかない。お世話になった人が主催だから。お酒は飲まないようにするけど、顔だけでも出さなきゃ……」


 そして、着替え始めてしまったのだ。


「ジュノ、本当に行くの?」

「顔出して、すぐ帰る。無理はしない。だからメイは待ってて」

「うん……」


 取り残されたリビングで、俺はぐるぐると歩き回っていた。


 ――俺は、何にもできなかった。


 ジュノが病み上がりの身体で新年会に行ってしまったのは、仕事を絶やさないためというのはきっとあるだろう。俺はジュノの業界について詳しくないけれど、人付き合いが大事なはずだ。


 ――俺は、ちゃんとジュノの力になりたい。頼ってほしい。頼られる男でありたい。


 そのためには、働くことだと思った。しかし、今の俺には身分証明書がない。仮にそれがなくても就ける職場だったとしても、履歴書が書けない。学歴がわからない。適当に書く手もあるが、何かでそれがバレたら。


 ――やっぱり、思い出そう。本当の自分を。


 しかし、どうすれば? 出会った場所に通った。ジュノと一緒に海や山へ行くこともした。それで何も掴めなかったのだ。

 歩き疲れた俺は、ベランダでタバコを吸った。まだ日は高く、柔らかな日差しが俺の顔を照らした。


 ――そうだ。顔。


 タバコを途中で灰皿に押し付けて、洗面所へ向かった。人相の悪い男が鏡に映っていた。これが自分だと、この七ヶ月間でしっかり理解したものの、まだどこか他人の気がしていたのだ。


「俺は、誰なんだよ」


 そう、口に出した。


「思い出せよ……それがジュノのためになるんだよ。俺はジュノを支えたい。ジュノに安心してほしい。だから、記憶を取り戻したい」


 鏡の奥の瞳を見つめ、ハッキリと叫んだ。


「思い出せよ! 全てを!」


 すると、ぐわん、と頭に衝撃が走った。


「えっ……なっ……」


 耐えきれずに、その場にへなへなとうずくまり、頭を抱えた。

 痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。

 この感覚には覚えがあった。六月二日。ジュノの部屋で目覚めたあの日と同じ頭痛だ。


「ぐっ……あっ……」


 続けてやってきたのは、情報の洪水だった。頭の中で、映画が高速で流されているかのように、次から次へとイメージが襲ってきた。俺はとうとう、気を失った。




 そう、長い間ではなかったと思う。俺は洗面所の床で目を覚ました。洗面台のふちに手をかけて立ち上がり、鏡を見た。これは――俺だ。


「えっ……嘘っ……」


 俺は、全てを思い出していた。


寿乃じゅの兄ちゃん……?」

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