15 細胞

 ユミさんと連絡先を交換した翌日。ジュノに髪を撫でられて目が覚めた。


「あ……おはよ、ジュノ」

「おはよう。ごめんね、昨日は遅くなった」

「何時くらいに帰ってきたの……?」

「一時過ぎちゃった。付き合わされてね……」

「仕事関係でしょ? 仕方ないよ」


 短くなった髪はすぐに慣れそうにない。ジュノはお気に入りの様子で、子犬でも扱うかのようにわしゃわしゃと手を動かしてきた。


「ジュノ、そんなにこの髪好き?」

「うん、好き。大人っぽくなったよ」

「あっ、そうだ……」


 俺は昨日、ユミさんの名前は伏せ、一緒になった客に自分が二十三歳だと言ってしまったことを告げた。


「まあ、メイそのくらいに見えるよ。実際わからないけどさ」

「教科書の話ふられて、わかんなかったから焦っちゃった」

「息抜きに行くのはいいけど、あまり僕以外の人と話さない方がいいんじゃないかな。ボロが出る」


 これはジュノには言えないが――たまにはジュノ以外の人と関わってみたいのが本音だった。だから、ユミさんとの連絡先交換は、戸惑ったが嬉しくはあった。しかし、ボロが出るというのは昨日実感した。人付き合いをするなら、浅く広くがいいかもしれない。

 あとは、これ以上自分の設定を作りたくない。しょうがないとはいえ、嘘をつくことに罪悪感はあった。となると、一刻も早く記憶を取り戻すのが自分のためになるだろう。それに、ジュノのためにも。俺はきっと、他に恋人なんていなかっただろうし、本当の自分でジュノと接したいという気持ちがより強くなってきた。




 今年の夏は猛暑らしい。電気代なら気にしなくていいから、とジュノが言うので、全ての部屋のエアコンをつけていた。何か手がかりを、と思うものの、外に行く気は起きず、家事を終わらせた後はぼんやりとスマホでネットを見るだけになっていた。そして、八月も終わりを迎えようとしていた。

 自分の歳が本当に二十三歳くらいだと仮定して。子供の頃に流行っていたであろう商品やテレビ番組を調べてみたが、まるで懐かしさなどこみあげてこなかった。ここまでくると、ある一つの可能性に思い当たる。

 俺は……特殊な環境で育ってきたんじゃないのか。学校にも行っていなかったのかもしれない。もしかしたら、最初から戸籍などなく、それで身分証明書がなかったのかも。それを考えると、どんどん気が塞いできた。


「メイ、明日は仕事空けれそう。どこか行かない?」


 夕飯の時に、ジュノが言った。


「行きたい。また、自然っぽい方がいいな。せっかくの夏だし」

「海行ったし、山は? バーベキュー場があるとこ知ってる」


 片付けの後に、ジュノがスマホを見せてきた。


「ほら、ここ。アスレチックもある」

「へえ……いいね。大人の男二人でやってたら痛いかな」

「僕は自信ないから、メイがやってるの見てる。保護者役で」

「保護者かよ」


 実際、そうなんだけど。俺はジュノの肩に頭を預け、最近ぐるぐる考えていることについて吐露し始めた。


「俺さ……元々誰でもなかったのかもな。メイっていうのも自分で名乗ってた名前でさ。もしかしたら、犯罪担がされてたのかもしれない」

「あまり暗いこと考えないでよ、メイ」

「でもさ。何かこう、やっちまったのかもしれない、っていう気がするんだよ」


 詐欺や窃盗ならまだマシだろう。こわいのが殺人だ。それくらいのこと、やっていてもおかしくない。過去を知りたい。知りたいけど、こわい。ジュノは俺の肩を抱いてきて、ぴったりと密着した。


「何回も言うけど、僕はメイがどんな罪を犯していても受け入れる。警察に突き出したりなんてしない。僕がかくまってあげる」

「ねえ……ジュノ。そこまでしてくれるのは、なぜ?」

「惚れたから。それ以上の理由、いる?」


 そして、そっと重ねるだけのキスをした。


「ジュノ。好き。好きだけど、俺のこと、重荷になってない? それが不安」

「なってない。メイは僕の孤独を埋めてくれた。僕が見つけた最後のパズルのピースかもしれない」


 ……出た。俺は吹き出した。


「ジュノのそういうとこ、本当に芸術家肌なんだなっていうか、何ていうか……」

「えっ、また僕変なこと言った?」

「言った。いいよ、それがジュノだもん」


 俺は立ち上がった。


「シャワー浴びに行こう」

「うん」


 俺の身体はすっかりジュノが洗うようになってしまった。特にシャンプーをするのが楽しいらしい。耳の近くを指でこすられ、気持ちよくて何度もそこをおねだりしてしまった。


「ねえ、メイ」

「どうしたの」

「人間の細胞は日々生まれ変わるんだよ。数年で全て入れ替わる」

「ふぅん。それが?」

「だからさ。メイも数年経てば、僕と出会った時とは違う存在になるんだよ」

「そうなのかな」


 シャワーでのんびりしている時に、そんな難しい話をされても困る。俺はジュノがそんな話をした意図が掴めないでいた。


「ジュノ、それよりさ。今日はどうしてほしい? ちゃんと言って?」

「また……手錠使って?」

「ふふっ、いいよ」


 明日は山へ。体力は残しておかねばならないな、とは思いつつも、ジュノの求めにどこまでも応えてしまった。

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