11 ユミ
ジュノの歌を聞いた翌日。打ち合わせで外出すると聞かされた。その後は飲みに行くのだという。
「じゃあ夕飯要らないんだ?」
「そう。面倒なんだけどね、飲み会なんて。断れないんだよ」
記憶を失ってから、一人で夜を過ごすのは初めてだ。自分だけのために料理をする気が起きなかったので、冷凍のチャーハンを食べた。
――落ち着かないな。酒でも飲みに行こうかな。
俺はジュノに連れて行ってもらったショットバーに行くことにした。
「いらっしゃいませ」
あのマスターが出迎えてくれた。客は誰もおらず、俺は隅の方の席に腰かけた。
「メイさん、ですよね」
「はい」
「今日はお一人で?」
「はい。ジュノが飲み会なので」
俺はビールを注文した。タバコとライターをカウンターの上に置くと、すぐに灰皿が差し出された。
さて……勢いでここに来てしまったものの、どうマスターと話そうか。記憶喪失だということは伏せておきたい。俺はビールが来るまでの間に設定を考えた。
「お待たせいたしました」
「ありがとうございます」
ビールを一口飲み、俺の演技が始まった。
「俺、失業しちゃって。ジュノの部屋に厄介になることにしたんです。その代わり、家事やってます」
「そうでしたか。お二人、気が合いそうでしたものね」
こんなもんだろう。俺だってジュノのように上手くやれる。それに、職がないのは本当だし。俺はマスターに、気になっていることを尋ねた。
「ジュノってここの常連ですよね。いつから来てるんですか?」
「五年か六年前ですね。作曲家さんだと聞いていますが」
「はい、そうなんです。仕事部屋には絶対に入らないように言われています」
男と……来たことはあるのだろうか。あるいはこの場で出会って、とか。しかし、それは絶対に知りたくなかった。ジュノに過去の男がいる、という事実だけで、どうにかなりそうな気分だから。
少しして、客が来た。女性だった。ストレートの黒髪を腰まで伸ばしており、華やかな顔立ちをしていた。
「いらっしゃいませ、ユミさん」
「マスター、こんばんは。あっ、若い子がいる」
俺のことらしい。若い子、と女性は言ったが、彼女だって俺と同じく二十代前半くらいに見えた。
「隣、いいですか?」
「……ええ、どうぞ」
先ほどマスターは、女性をユミさんと呼んだな。彼女も常連なのだろう。マスターが言った。
「ユミさん、ビールですか?」
「もちろん!」
快活に答えたユミさん。Tシャツに細身のデニム、スニーカーというラフな服装だし、元気そうな人だな、というのが俺の印象だ。ユミさんは俺に言った。
「初めまして、ですよね? あたしったら、酔うと人の顔忘れるから」
「初めてですよ。俺はメイです」
「ユミです。よろしく」
こんな風に、スラスラと初対面の人と自己紹介ができるくらいには、俺はこういう場に慣れているらしい。ずっとジュノとべったりだったから、気付かなかった。
「あっ、メイさんもビールですか?」
「はい。一杯目はとりあえず」
「あたしもです。せっかくここ、ウイスキー多い店なんですけど、やっぱり飲みたくなるんですよね、ビール!」
「わかります」
こういう時は、ひとまず酒の話をするのが無難。ユミさんもそう考えているのだろう。俺とジュノも、最初はそうしたらしいし。
ユミさんのビールが届き、俺たちは乾杯した。
「メイさんってこの店はよく来るんですか?」
「三回目ですよ。ユミさんは?」
「あたし、あちこち飲み歩いてるから、ここへは一ヶ月に一度くらいですね」
「へぇ……」
今度は俺から質問してみようか。そう思った時、デニムのポケットに入れていたスマホが振動した。
「あっ、済みません……」
ジュノからの電話だった。
「メイ、今どこ?」
「ああ、この前のバー行ってた」
「帰ったらいなかったから……びっくりしたじゃないか。早く帰ってきて」
「ごめんって。そうするからさ」
俺は残り少なくなっていたビールを一気に飲み干した。
「済みません。同居人に怒られたんで、帰ります」
本当は、もう一杯くらいは飲みたかったし、ユミさんとも話してみたかった。後ろ髪引かれる思いでショットバーを後にして、マンションへと急いだ。
「ただいま……」
「メイ!」
ジュノが玄関で抱きついてきた。
「わっ、ジュノ……」
「心配したんだからね? また記憶失くしちゃったのかとか、色々考えちゃって……」
「本当にごめん。ジュノに連絡してから行けばよかったね」
よく顔を見ると、ジュノは子供みたいにむくれていた。
「ジュノ……今度からはちゃんと連絡する。だから機嫌直して。ねっ?」
「メイのバカ。元はと言えば僕が飲み会だったからかもしれないけど、勝手に行動しないで。不安になる……」
可愛い人だ。俺は埋め合わせをするかのように、ジュノを甘やかした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます