09 検索

 翌朝、朝食と喫煙を終えた後、ジュノは作業をしたいということで仕事部屋へこもることになった。


「この部屋にだけは入らないでほしいんだ。それは守ってくれる?」

「もちろん。俺は寝室でゴロゴロしながらスマホいじるよ」


 俺は記憶喪失について検索し続けた。体験談を見つけた。俺のように、知らない場所で目覚めた男性の話だ。彼は役所に助けを求めたという。それから、警察、病院……。原因はわからなかったらしい。最終的には新しい戸籍を作り、就職することができたという。

 

 ――俺、運が良かったんだな。


 ジュノが一緒にいてくれたことで、一晩のこととはいえ記憶を失くす前の自分の情報はある。そして、安心して暮らすことができている。こうしてスマホまで与えてもらって、ジュノには感謝しかない。

 記憶喪失のメカニズムについての記事も読んだのだが、医療用語が多いしちんぷんかんぷんだった。それに、知ったところで記憶の戻し方がわかるわけでもないし、とスマホを放り投げた。

 寝室の扉がノックされた。


「メイ、入るよ」

「いいよ」


 部屋に入ってきたジュノは、茶色い前髪をかきあげた。たったそれだけの所作なのに、色っぽくて見とれてしまう。


「お昼、何がいい? 冷凍食品でよければあるけど……」

「あっ、俺、昨日のスーパー行ってきて、何か買ってくるよ。それから夕飯の食材も買うね」

「一人で行ける? ちょっと作業に集中したいんだよね」

「大丈夫。スマホもあるし、困ったら連絡する」


 俺は部屋着から、昨日買ってもらったTシャツと細身のパンツに着替えた。ジュノからお金を預かり、自分の財布に入れてスーパーに行った。

 昨日は豚。なら今日は魚にするか、という発想になり、シャケの切り身やホウレンソウ、油揚げを買った。それと惣菜コーナーで二人分の唐揚げ弁当。記憶を失ってから、初めての一人での行動だが、スマホがお守りになっているのだろう。落ち着いて会計を済ませることができた。


「ジュノ、ただいま。お弁当買ってきた。すぐ食べる?」


 俺は扉越しに声をかけた。


「ん……少ししたらリビング行くね」


 俺は冷蔵庫に食材を詰め、弁当を一つずつレンジで温めた。ジュノがやってきた。


「ありがとう、メイ。買い物大丈夫だったみたいだね」

「うん。食べようか」


 先にジュノに食べてもらおうと思い、弁当を置いた。


「仕事もあるでしょ。早く食べちゃいなよ」

「そうする」


 ジュノが米の上に乗っていた梅干しを真っ先に端によけたのを見て、俺は言った。


「嫌いなの? 食べようか?」

「あっ、メイは梅干しいけるんだ。はい、あーん」


 端でつまんで俺の方に向けてきた。恋人なんだから、それくらいのことでたじろぐ必要はないというのに、俺は少し反応が遅れてしまった。


「あーん」

「はい……」


 ぱくりと食いついた。何てことの無い、こういう弁当によく入っている、安っぽい梅干しだ。そのはずなのに、美味しい。


「そういえば、メイって嫌いな食べ物思いつく?」

「あれ? えっと……何だろう。パッと出てこない」

「今さらだけど、食物アレルギーとか大丈夫かな」

「うーん……どうなんだろう」


 俺は今まで食べたものを思い返した。食物アレルギーで有名なものといえば卵だが、昨日オムライスを食べて何もなかったので大丈夫なのだろう。俺の分の弁当が温まり、それを食べ始めた。俺は言った。


「まあ、食べ物が出てきた時点で嫌いかどうかはわかる気がする。といっても、わかったところで何の糸口にもならないよね……」

「そうだね。風景の記憶が戻ると、それが手がかりになりそう。行ったことある場所とかがわかれば、住所とか家族の居場所とか掴めないかな」

「色々、試してみるよ」


 それから、ジュノは仕事。俺は炊飯器に米をセットしてから検索再開。日本の有名なスポットなんかを見てみた。しかし、知っているな、と思えるものがあっても、行ったから記憶があるのか、写真を見て得た知識なのかが判別がつかなかった。この方法もあまり有効ではなさそうだ。

 夕方になったので、シャケを焼き始めた。ホウレンソウはおひたしに。油揚げとワカメの味噌汁も作った。我ながら手際がいい。この三品を作る間に、調理器具の片付けまで済ませてしまった。日常的に料理をしていたのは間違いないだろう。

 そこから導き出されることは何だろう。一人暮らしだった? いや、家族のために作っていたのかもしれない。ジュノの言うように、調理関係の仕事をしていたという可能性もある。

 こうしてヒントを見つけても、謎は深まるばかりだ。俺はどこで産まれて、どこで育ったのか。家族は。今の職業は。もしかすると学生か。わからない。何もかも、もやがかかっている。

 支度を終えた俺は、ジュノの仕事部屋の扉をノックした。


「ジュノ、できたよ」

「すぐ行く」


 ジュノは今夜の夕飯も気に入ってくれた。完食して、満足そうにタバコを吸う横顔を見ると、作ったこちらとしては達成感があった。


「ジュノ。条件……」

「わかってる」


 気の利いた誘い方なんかわからないから、「条件」という言葉の意味が、二人の間で共有されているのは便利だ。その夜も、俺はしっかりとそれを果たした。

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