08 料理

 ジュノの住むマンションからスーパーまでは歩いて五分くらいの距離だった。入り口に着いて、看板を見上げながらジュノが言った。


「ここはよく来るよ。といっても、冷凍食品と飲み物しか買いにこないんだけど」

「今夜は任せてよ」


 俺がカゴを持ち、売り場を巡って行った。まずは豚肉。タマネギ。チューブのショウガ。醤油やみりんなどの、基本的な調味料すらジュノの家にはなかったので、それらもカゴに入れた。


「ねえ、ジュノ。味噌汁も飲みたい?」

「いいね。一人暮らし始めてから、インスタントばっかりだったから」


 ダシの取り方も思い浮かんだが、面倒だ。ダシ入りの味噌と豆腐と乾燥ワカメも追加。


「っていうか、ジュノの家にお米はあるの?」

「ないよ。食べたいときはおにぎり買ってた。炊飯器は一応ある」

「じゃあそれも買わないと」


 米を買ったので、ビニール袋はずっしりと重くなったが、距離が近いので大した負担ではなかった。帰宅して食材を冷蔵庫に入れた後、米をセットしておいた。今度は駅前に行ってスマホ選び。店頭にあった全ての機種を試してみた。


「メイ、どんな機種使ってたかは覚えてる?」

「触った感じ……しっくりくるのはアンドロイド」

「じゃあそれにしよう」


 手続きには二時間ほどかかったので、途中からだらけてしまい、終わった頃にはジュノに苦笑された。


「メイ、今日は色々動いたもんね。料理も無理して作らなくていいんだよ?」

「ううん、頑張る。俺、ジュノのことを喜ばせたい。その……条件以外のことでも」

「……本当に可愛いね、メイは」


 帰ると夕方になっていたので、このままの勢いで料理開始だ。幸い、包丁やまな板、計量スプーンは揃っていた。


「ジュノって料理しないのに調理器具は持ってたんだね」

「最初はしようと思ったんだよね……」


 豚肉を食べやすい大きさに。タマネギをくし切りに。先に豚肉を炒め、火が通ったら一旦取り出して、次はタマネギ。しんなりしてきたら、豚肉を戻して、合わせておいた調味料を入れ、煮詰める。

 ここまでの工程がスラスラとできた。ジュノはずっと俺の隣にいて、感心しながら見守ってくれていた。


「凄いよ。メイって調理系の仕事してたんじゃない?」

「どうだろう。趣味で料理やってただけなのかも」


 味噌汁もさっと作り、炊きあがった米を盛り付け、食卓を作った。


「……美味しい! メイ、ありがとう!」

「うん、自分でもびっくりしてる。俺、料理は忘れてなかったんだ」

「誰かに作ってもらった料理なんていつ以来だろう。母さんが体調崩す前か……」


 俺は手を止めてジュノを見つめた。


「ねえ、聞いてもいい? ご両親のこと」

「いいよ。父親は交通事故だった。それから母親と二人暮らし。苦労かけたと思うよ。大学までは出してもらって、作曲の道に進んで。一人暮らし始めて。それから……母が乳がんになった」


 ジュノの故郷は田舎らしい。仕事もこなしながら、実家と行き来しており、ついに手の施しようがなくなって緩和ケア病棟に移されたのが去年のクリスマス。


「とうとうお別れなんだな、って思ってさ。ジングルベルを聞くと悲しくて。それから、お正月まではもったんだけど……一月三日に旅立ったよ」

「辛かったね……まだ三十歳なのに、ご両親亡くして」

「うん。実家の後始末が終わって、しばらくは仕事に打ち込んだ」


 ジュノは麦茶を飲み、ふっとため息を漏らした後、続けた。


「お酒飲もうかな、なんて考えられるようになったのが、誕生日の夜だった。そこで出会ったのがメイだよ。神様が天使を遣わせてくれたのかな?」


 味噌汁を吹きそうになった。


「……ジュノってその、やっぱり作曲家だから、そんなこと言えちゃうわけ?」

「あっ、ごめん、思ったことそのまま言っちゃうと、いつもこんな反応されるんだよね……」


 この人、案外天然なのかもしれない。

 片付けも俺がして、買ってもらったばかりのスマホでまずは自分の写真を撮った。あまり写真写りがいい方ではないらしい。眉が細いせいかチンピラっぽい。前髪は目にかかりそうだし、襟足も鬱陶しい。


「ねえジュノ、一緒に撮ろう」

「うん、いいよ」


 肩を寄せて二人で撮った。やっぱりジュノは綺麗だ。


「俺、記憶喪失について調べてみる。けど、まあ、その……」

「なぁに?」

「明日でも、いいかなって。ねえ、今日はジュノとゆっくりしたい」

「そう。シャワー、浴びようか?」


 ゆっくり、と言ったけど、やったことはその真逆だ。じっとりと汗をかき、シャワーを浴びた意味がなくなった。けれど、ぐったりしてしまって、裸のままベッドに横になっていた。


「メイは甘えん坊だね。元々かな? それとも僕のせいかな?」

「どっちなら嬉しい?」

「正直に言っていいの? 僕が染めたっていう方が嬉しいかな……」


 そう言って、ジュノは俺の髪をわしゃわしゃと撫でてきた。俺は言った。


「この髪、鬱陶しいよね」

「美容院行く? お金なら出してあげるし」

「どうしよう。なるべく記憶を失くす直前の見た目は保っておきたいかな……」

「そういう考えもあるね。まあ、気が変わったら言ってよ」


 それから、その夜最後の、そっと触れるだけのキスをした。

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