07 喫煙

 二日酔いもなく、爽やかに目覚めた朝。ジュノはもうベッドにはいなくて、少し寂しかった。昨夜のあの熱を思い返し、胸がいっぱいになった。


 ――恋人が、できてしまった。


 記憶が戻れば終わる関係かもしれない。不安定で刹那的で儚いものだ。それでも、今の俺を支えるよすがになる。


「おはよう、ジュノ!」


 キッチンにいたジュノに声をかけた。


「おはよう。そろそろ起こしに行こうと思ってたんだ。食パン買ってきたから食べよう」

「うん!」


 ジュノはコーヒーメーカーに豆をセットしていた。俺は邪魔にならない程度にジュノに寄った。


「今日はそれ使うんだ?」

「うん。時間はかかるけどね。椅子に座って待ってて」


 豆を削るけたたましい音と、立ち上る豆の香り。俺はすることもないのでジュノの様子を眺めていた。ジュノはトースターに食パンを入れ、今度は冷蔵庫を開けて色々と取り出し、ダイニングテーブルの上に置いた。


「ジャムが好きでね。色々あるよ。イチゴにブルーベリー、ユズ」

「ユズ? 珍しいね」

「美味しいよ。これにする?」

「うん!」


 先にトーストができあがった。ユズのジャムは、フタを開けたとたんに瑞々しい匂いがした。スプーンでたっぷりと取り、塗りたくっていく。


「メイったら、多すぎない?」

「……そう?」


 俺はジャムで口をベタベタにしながらトーストを頬張った。電子音がして、コーヒーができたのだとわかった。ジュノが二つのマグカップにコーヒーを注ぎ、俺に出してくれた。


「ジュノ、美味しい。トーストもコーヒーも」

「ありがとう。考えてたんだけど、今日は買い物に行かない? 僕の服貸してもいいけど、メイのもちゃんとあった方がいいよ。それに、近所を散策してみれば何か思い出すかも」

「仕事は大丈夫なの?」

「大きな案件が終わったばかりでね。しばらくは休めるな、って思ってたところなんだ」


 食後、ジュノがベランダに行くのについていった。


「俺も吸えるようになりたい……」

「ええ? なんで」

「ジュノが吸ってる間、寂しくて」

「もう……そんなこと言われたらあげるしかないじゃない。はい」


 俺はマルボロを受け取った。今度はすぐに火をつけることができたのだが……煙たい。本当に煙たい。目に染みる。


「ううっ……」

「無理しちゃって。まだまだガキだね。何歳なんだろう。僕からは二十歳そこそこに見えるけど」

「多分、それくらいだよね」


 買い物へは、ジュノの服を着て行った。電車に乗り、四駅。大きなショッピングモールに着いた。服代もジュノが払ってくれるというので、悪い気がした俺は一番安価な量販店を選んだ。そこで下着や部屋着や外出着一式を買い、大きな紙袋二つ分になった。

 カフェで腰を落ち着け、アイスコーヒーを飲んだ。ジュノが言った。


「どう、メイ。この街に見覚えあった?」

「ううん、全然。ただ、服の選び方や買い方はわかってた」

「不思議だね。日常生活を営む知識は抜けてなくて、自分に関する記憶がない、か……」


 ストローでアイスコーヒーをすすった。本当に何もかもを忘れてしまっていたのなら、こうした動作もできないだろう。


「メイ、昼は何食べたい?」

「そうだなぁ……こういうところってフードコートとかあるんじゃないの? なんか、そういうことはわかる」

「その発想が出てくるってことは、よく行ってたのかな。そこにしようか」


 フードコートへ移動した。まだ午前十一時と早いこともあって、席はすいていた。ぐるりと店舗を見渡してみて、俺はオムライスに決めた。ジュノは焼きそばだ。食べ終わってから、室内の喫煙所に行き、またタバコに挑戦だ。


「ジュノ……これで吸えてる?」

「メイのはまだフカシだね。肺に入れてない。まあ、入れない方がいいと思うけど」

「それは何かカッコ悪い。ちゃんと吸う」


 俺は胸を意識して大きく煙を吸った。


「……げふっ!」

「ほら。やめときなってば」


 それから、ジュノがこんな提案をしてきた。


「僕名義でスマホ買ってあげようか。ないと不便だし、調べものもできるでしょ」

「でも……いいの? そこまでお金出してもらって」

「条件守ってくれればね」

「あっ……うん」


 ジュノとのセックスは、既に病みつきになってしまっていた。条件だとジュノは言うが、今の俺にとっては苦役でも何でもないわけで。これでは釣り合いが取れないのでは、と考え込んでしまった。

 記憶もない。金もない。そんな俺に、できること――。


「そうだ! ジュノ、俺、多分料理はできる」

「そうなの?」

「今夜さ、何か作ってあげる。何がいい?」

「そうだなぁ。和食とか……できそう?」

「えっとね……」


 思いつくレシピがいくつもあった。しかし、本当にできるのか不安でもある。なるべく失敗しないものがいい。


「豚の生姜焼きとかどう? あれなら焼いて味付けするだけ」

「じゃあ、一旦帰って服置いて、スーパー行こう。それからスマホかな」


 そんなわけで、料理に挑戦だ。

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