第2話 期待
一人暮らしだという青年を家に引き留め、夕飯を共にする。食事の間は終始雑談に花を咲かせ、久しぶりに楽しい夜となった。
食後のコーヒーを飲みながら話を切り出す。
「君は、どうして私にこれを教えようと?」
「私は反重力発生器の研究機関に所属しています。そこからの指示で、あなたに接触し、飛べるまでサポートするように、と。また、機関はあなたがこの反重力発生器の研究に参加してくださることを期待しています。」
「他にどれくらいの研究員がいるんだい?」
「現時点では数人です」
「……数人だと?」
青年の話では、ずいぶんと研究は進んでいるようだった。秘密裏に研究をしているにしても、研究機関と言っている以上数人ではおかしい。
「また信じられないような話をしますが、私は未来から来たのです。そのため、この時代には私と同じように、誰かに反重力発生器について教えるために送り込まれた数人の研究員しかいません。……これについては、信じていただくための方法がないのですが」
青年は悲しげにコーヒーカップに目を落とすが、
「今更君が嘘を言うとは思わんよ」
私の一言でパッと顔を上げ、相貌を崩す。
「私の担当があなたでよかったです。話も聞かずに追い出されてもおかしくないと思っていました」
「未来からと言ったが、荷物やなんかはどうしているんだ?住む場所は?」
「期間から受け取った資金で当分ホテル暮らしをしようかと。荷物は運べる量に制限がありまして、この鞄のみです。」
心が決まった。私も一人暮らしの寂しい身、人ひとり増えても問題ない。
「任務が終わるまで、ここに住んだらどうだね。幸い部屋数には余裕があるんだ」
青年はぱちぱちと瞬きを繰り返し、天を仰いだ。
「僕はどこまでも幸運なようですね。」
そこから約一年にわたる、男2人の共同生活が始まった。毎日庭に出て反重力発生器の制御方法を練習し、未来では周知となっているらしい医学的知識も学ぶ。たまに外へ出て、カフェでコーヒーを飲み、好きな豆を選んで帰る。お互い生活に困らない程度の家事能力もあり、うまいつまみと酒、弾む話に晩酌が長くなる日々だった。
青年は時たまどこかへ出かけ、誰かと会っているようだった。出かけると伝えてくる時の態度がどこか後ろめたそうで、何を気にすることがあるのかと思っていた。青年にとっては過去の時代、私がその立場だったらもっとあちこち見て回るだろう。
桜が散って、若葉が青々としてきたある日、
青年が消えた。
とある日、出かけてきますと言い残して帰って来なかった。
それからも夕飯は2人分並べ、食べ終わったら1人分を冷蔵庫に入れた。
翌朝、冷やされた料理をしばし眺めて扉を閉じ、昼に食べる日々が続いた。
そろそろこの習慣をやめなければと思っていたある日、呼び鈴が鳴った。玄関を開けたが誰もおらず、扉のそばに一枚の紙切れが落ちていた。
「彼をよろしくお願いします」
あたりを見回すと桜の下に置いてあるクーハンが目に入り、慌てて駆け寄った。
機嫌良さそうに眠る赤子を前に途方にくれる。
首も座っていない赤子などいつぶりに抱くだろう。
「とりあえず、届出だけはしなければ...」
警察や近所の病院、保険センターなどの手を借りたが両親は見つからず、半年ほど経ったのち、捨て子の里親として正式に育てることが決まった。事情が事情だったせいか、赤子は大きくなるごとに聞き分けがよく聡い子供になっていった。
「おじさん、おじさんはほかの人とはちがうの?」
ある日子供が尋ねてきた。幼稚園で何か言われたか。真っ直ぐな瞳で子供は問う。
「ほかのひとは、みんなとべないみたい。おじさんはどうしてとべるの?」
青年が消えてからも、彼の希望通り研究を進めていた。そのうち他の研究者から接触があり、今は50人ほどで秘密裏に活動している。
いつか教えるにしても幼稚園児には早すぎると思っていたが、あの青年の言う通りなら、いつかは知れ渡ることだ。
「飛んでみたいか?」
目を輝かせて、喜色満面の笑みを浮かべる子供に、潮時だったのだと諦めをつけた。
捨て子だった子供が20歳を超える頃には、世界の常識が変わっていた。飛べる人間と飛べない人間がいることは周知の事実となり、追いつかない法整備に悩まされながらも数々の技術革新が起こった。まさか自分が研究の第一人者として名を馳せることになるとは思っていなかったが、中年から老人になった今、やり残したことがひとつだけある。
以前から感じていた。あの時託された赤子の耳の形が、目の色が、あの青年に似ていると。
大きくなってからは尚更だった。歩き方が、飛び方の癖が、笑う顔が、昔々に見たあの青年に近づいている。
そういうことなのだろう。彼を送り出したのは私、迎えるのも私だ。
「さて、新しい仕事を頼みたい。」
-終-
21gの臓器 漣砂波 @sa_na_mi
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