21gの臓器
漣砂波
第1話 青年と中年
「魂の重さ」について、今までも様々な言説があり、しかしどれも確実な証拠はないまま時が経った。
さて、私の目の前には今、一人の青年が座っている。その青年が言うのだ。
「魂の重さが21gなのではありません。臓器の重さが21gなのです」
何を言っているのだろうか。ひと通りの説明を受けたがやはりわからない。
「口頭の説明だけで理解しろというのは無理がありますね。もう少し詳しくご説明しましょう」
柔和な笑みを浮かべた青年は懐から手帳とペンを取り出した。
「科学の発達により、人体に新たな臓器が発見されました。鶏の卵より少し小さいくらいの大きさで、臍の下あたりにあるようです。この臓器が反重力発生器です。」
一筆書きで人型のイラストを描き、臍をバッテン、その下に丸をひとつ。その丸に矢印を向けて、「反重力発生器」と。
「この臓器は人が死ぬと臍から気体となって抜け出ていくそうです。また、生きていても開腹手術等で腹腔に穴が開いた場合にも消滅するようです。観測するには、《アラジン式腹腔鏡手術》の方式を使用して極小の穴からカメラを入れるしかありません。」
全くわからない。わからないが、とりあえず「新しい臓器が存在する」方向で話をしないと先に進めない。
「これはどんな臓器なんだい?人体にどんな影響を与える?」
「反重力発生器と命名されたように、身体にかかる重力を操作し、浮かんだり、飛んだりするための臓器です。進化の過程において、この臓器があったからこそ人類は二足歩行にいたったのだろうという研究結果が出ています」
「人間は……脚力を使って跳ねることはできても浮かぶというには程遠いし、生身で飛ぶならそれは高所からの自由落下だ」
つい反論してしまった。
「信じがたいお気持ちは理解できます。昨日出会ったばかりの男が少しばかり狂っていた、と思うほうがよほど納得できる。ですから、やはり体験していただくのが1番話が早いかと」
話が一周してしまった。先程も言われたのだ。体験してみましょう、やればわかります、と……。
ぬるくなったコーヒーを一口飲んで、嗅ぎ慣れた香りで気を落ち着かせる。
昨日カフェでこの青年に声をかけられ、妙に気が合い、家に遊びに来ないかと誘ってしまった。その時からおかしな「気」であったとしか思えなくなってきた。
「体験するには、屋外で君と向かい合って手を繋ぎ、臓器のあるあたりに意識を集中させればよい、のだったか?」
「その通りです。場所はどこでも良いのですが、浮かんだ時に頭をぶつけないように、屋外がいいかと」
この青年は本当に飛べる気でいるらしい。
まぁいい、このまま二人で外に出て体験とやらに付き合い、そのまま帰してしまおう。
「分かった、やってみよう。」
庭に出て、青々とした芝生の上で向かい合う。
自分より少し高い目線が親しげにこちらを見ている。
「落ちて怪我をしたくなければ、手を離さないでくださいね。慣れるまでは危ないですから」
「あぁ、分かった」
肩の力を抜き、丹田に意識を集中させる。
男にしてはよく手入れされた青年の両手の温かさに、少し気が逸れた。
「おなかに集中してください。手は気にしないで」
バレた。お遊びにしても、真面目にやっていないのが露見すると恥ずかしいものだ。
ふぅと息を吐き姿勢を正す。
「……っこれは、」
「あぁ、さすがですね。さすが…素養があるのでしょう」
足裏から地面の感覚がなくなった。目を閉じたのは失敗だっただろうか。確かな感覚がある両手に力がこもる。
「大丈夫ですよ。20センチほど浮かんだだけなので怪我もしません。ゆっくり降りますね。足首を捻らないように気をつけてください」
靴を通して芝生の感覚が戻ってきた。目を開けて青年を見る。
「君は今……、何をした?」
「そんな顔をしないでください。大丈夫ですよ。今度は目を開けてやってみましょう」
握った手を離すこともなく、今度は見つめあったまま、もう一度「体験」が始まる。
「この感覚はなんだ?丹田だけではない。手から……なにか、しているな?」
「少し身体を呼び起こしているだけですよ。慣れている人の身体から感覚を伝えるだけでも、素養のある人はコツを掴めますから」
また、ふわりと身体が浮かび上がる。先程より少し高く。不安定な感じはしないが、知らない感覚にまた青年の手を強く握ってしまう。
身長より高いウッドフェンスと目線が並んだ。
庭に植えてある梅の木と並んだ。
家を建てた時に植えた桜の木と並んだ。
「ここまでにしましょう」
上がった速度と同じようにゆっくりと降りる。
「……分かった。どうやら人間は飛べるらしい」
ご理解いただけて良かったです。と、青年は朗らかに笑った。
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