ヘッドフォン

 結果として、小川さんとユリさんが顔を合わせることはなかった。庭を覗いたけれど梔子の樹のそばには姿がない。部屋の中にも気配はなくて、さっきまで壁に立てかけてあったギターとウクレレも不思議とどこかへ消えてしまった。

「お仏壇、ずいぶん簡素なのね」

「そうかも知れません」

 お線香をあげて貰うともうする事もなくて、ユリさんのために買ったカルピスを作って小川さんの前に置く。

 不思議なことはもうひとつあって、仏壇に置かれたユリさんの遺影と、目の前でカルピスを飲んでいる小川さんの顔は、全くと言っていいほど似ていなかった。あれほど瓜二つに見えたのに。まるで初対面の人を部屋に上げてしまったような居心地の悪さがある。

 それでも、小川さんの語るユリさんは僕の知っているユリさんと同じ。奔放で人懐こく、ギターとウクレレが上手で、甘いものが好き。

「そうだ、これ。ユリさんのお供えにして」

 小川さんが紙袋から取り出したのはデラウェアだった。紫色の実がぎっしりと詰まっていて、いかにも美味しそうに見える。

「葡萄と言えば、昔ユリちゃんが」

 と小川さんが口を開いた時、不意に僕の耳が外側から抑えられる感触がした。ヘッドフォンを被せられたかのような不器用な閉塞感。これは、絶対にユリさんの仕業だ。小川さんの語っている内容はきっとユリさんにとって都合の悪いエピソードなのだ。

 仕方ないなぁと思いながら、テーブルの上のカルピスに手を伸ばした。

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