呼吸

 ふと目をあげると日暮れが近かった。部屋の中は薄暗く、透明水彩絵の具で重ね塗りしたような淡い闇がいくつも辺りを取り巻いている。読んでいた小説との距離が曖昧になっていて、僕はしずかな混乱を抱えたままで意識が揺蕩うのに任せていた。

 背骨がギシギシと鳴る。壁に背をつけた姿勢で長時間座っていたせいだ。いったい何時からこうしていたのだっけ。大きく深呼吸をすると血液が巡り始め、耳がしぃんとなる。

 すー。

 聞き慣れない音を耳が拾って、僕は部屋の中を見渡す。

 どうやらその音は窓の方向から聴こえてくるようだ。立ちあがろうとしたけれど、腰がこわばる感覚がして、どうにも転びそうな気配がある。そのまま、姿勢を前に倒して畳に膝をついてみる。のそり、のそりと、不恰好な馬の四つん這いですすみ、障子から顔を出して広縁の様子を窺うと、音の発生源はすぐそこにある。

 すー。

 すー。

 ははぁ、わかった。規則正しいそれはユリさんの寝息。

 ゆっくりと明度を奪っていく薄闇の中に目を凝らしてみれば、やがて寝転がるユリさんの輪郭が浮かびあがる。

 すー。

 すー。

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