第11話 約束の日

 グループ展の会場は賑わっていた。伸を筆頭に人気作家が集っていたためだ。「月照らす夜」のテーマに掛けて「夜中」の作品が華々しく飾られている。

 美月も3点を出品した。うち1点は美月が没頭して描いていた新作だ。


「そろそろ月が出ますよ。パーティ会場に移りましょう」

 伸が皆を促した。

 出品作家たちや画廊のオーナー、この展覧会の協賛企業の職員、それから美術雑誌の編集者に芸大教授陣、フランスから来日しているマルタン巨匠も席を移す。[[rb:錚々 > そうそう]]たる面々が揃っていた。美月もパーティ会場へ向かう。まだ月は東の空に昇ったばかりだ。

 


 藍色の空に静かに浮かぶ満月。

 秋晴れの夜の名月はひどく美しく、馬池公園にも天体観測のために人が集まっていた。

 輝之は一足先にお月見をしながら美月を待っていた。

 今日の月はいつもより大きい。スーパームーンだと騒いで喜ぶ子ども。望遠鏡を持ち込んで観測する親子もいる。輝之は懐かしい気持ちでそれらを見つめた。

 そうしているうちに、月は天頂に登り、辺り一帯を照らした。星も見える。

 10年前の約束を思い返す。

 美月を待ったが、なかなか現れない。携帯電話を鳴らすが応答はない。

 それでも輝之は辛抱強く美月を待った。



 美月は会場を抜け出しタクシーを拾おうと努力したが、捕まらなかった。今日の月見で利用客が多いのだろう。仕方がないので地下鉄で向かうことにした。

 しかし科学館前広場を通り抜けようとしたのは間違いであった。近道になると思ったのが災いした。通り抜けるには人が多すぎた。

「痛っ」

 慣れないハイヒールで足をくじいた。軽く捻挫したようだ。それでも美月は立ち上がり先を目指す。

「美月!」

 走って追いかけてきた伸が呼び止める。

「美月の作品、皆に好評だよ!特にあの新作!」

 興奮した声をあげながら伸が追いついた。けれども美月の歩き方がいつもと違うことに気づくと、心配そうに眉を下げ、顔色を覗う。

「怪我をしているのか?」

「…挫きました」

「冷やすものを持ってこよう」

「いえ、大丈夫、歩けますし」

「その靴では歩きにくいだろう?」

 美月のハイヒールを見る。少し迷ってから、伸は美月を抱き上げた。

「きゃっ?」

 美月が小さな悲鳴を漏らす。

 伸は美月を軽く抱きしめた。心音が伝わる。しかしすぐに力を緩め、そのまま美月を抱えて地下鉄の方へと歩き出す。

「先輩?」

「あいつのところへ行きたいんだろう?」

「…ごめんなさい」

「初めからわかってさ」

 わかっていて告白したの?

 伸の目をじっと見つめる。美月は伸の目が潤んでいるのを認めた。

「ごめんなさい」

「謝らないで。僕の立場がない」

「…ありがとう」

「うん」

「私、先輩のおかげで学べたんです」

「学んだ?」

「はい」

「何を?」

「…伝えること」

 伝えること。伸は小さく口ごもる。

「そうか。それなら頑張れよ」

 振られてもなお、伸はどこまでも紳士だった。



 輝之は美月からの着信を待っていた。おかしい。ミツキは遅れる時は必ず連絡を入れる性格だ。輝之が怪訝に思ったその時、メールが届いた。


 ごめん、足を挫いちゃったの。

 今、会場から馬池公園に向かってます。必ず行くから待ってて。


 必ず行くから。その足で?

 輝之は咄嗟に馬池公園を出て、グループ展の会場がある街の中心へと向かった。



 地下鉄の入り口は混雑していた。月見帰りの客たちだろう。しかし正装の二人は目立ったのか、美月を探しにやってきた輝之は難なく二人を見つけた。伸が美月を抱えているのも注目を集めていた。

「テル!遅くなってごめん」

「ミツキ!」

 輝之は伸をじろりと睨み付けた。この男から美月を取り戻すためにここに来たのだ。殺気立つ目線を伸に刺した。

 だが、伸は応じなかった。

「自分のお姫さまはちゃんと捕まえておけ」

 伸は美月を離すと、輝之に押し付け、そのままパーティ会場に戻っていった。



「テル」

「うん?」

 輝之は美月を支えながら、道路脇のベンチに座らせた。

 ハンカチは持っていなかったから、自分のシャツを割き、濡らして冷やすことにした。美月の足に添える。

 月は西に傾き始めていた。

「ありがとう」

「いいよ」

「お月見、ここでするか?」

「テル、月を眺める前に行きたい場所があるの。いいかな?」

「どこ?」




 二人はグループ展の会場にいた。

 主要な来場者はほとんどがパーティに参加しているためか、展覧会の会場に残っていたのは一人二人ほどだった。

 夜も深まった。ホウホウと鳴く鳥の音が響く。

「テルに見てほしいものがあるの。来て」

 美月は輝之の手を引っ張った。一枚の絵の前に二人は並んだ。「月と星が交わる夜空」と題されたその作品は、夜空で輝く満月と星の絵だった。

 その光景に輝之は見覚えがあった。

「これ、あの時の?」

 10年前の観測会で美月がスケッチしていた月と星だ。

「そう。私、ちゃんと覚えてるよ。あの時のこと」

 美月はそう言って輝之の手を取った。

「私、ずっと待ってたの。10年間。ずっと。テルが好きだから」

 テルが好きだから。

 輝之は美月の言葉に息を呑んだ。心に水が与えられる感覚を味わう。そして彼女の手を握り返し、そのまま自分に向かって引いた。

 あっと言う暇もなく、美月は輝之の腕の中に収まった。

「テル?」

「うん?」

「大好き」

「うん。俺も。大好きどころじゃないな。愛してる」

 10年間、胸にしまってきた言葉を二人は確かめ合った。

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