第5話 輝之

 会えたと思ったのに、この手に掴むことができなかった。これほど望んでも、運命は味方をしてはくれない。

 ミツキのいない日常を、俺はまだ続けなければならない。


 ミツキらしい姿を見つけてから一週間が過ぎた。

 無論、俺は馬池公園の周辺を探し回ったし、あれから毎日、馬池公園に来てはミツキが再びやってくるのを待った。

 ミツキは現れなかった。

 焦りと失望を堪え、自分に言い聞かせる。ミツキはこの町にいる。しかもこの周辺に。これは希望のはずだ。


 公園を出て大学に向かう。10月から赴任が決まっている俺の職場だ。

 俺は地理学を専門にあちこちの土地を調査してきた。フィールドワークは楽しいし、出歩くのが好きな俺の性分にも合っていると思う。大学講師の仕事は任期が限られているのが難点だが、その分、色々な土地で教えることができる。

 大学に着き、総務課と同僚となる教授陣に挨拶を済ませる。今は夏休みだから、生徒の数は少ない。

 非常勤講師用に与えられた小部屋に自分の荷物を運び込む。学術書に地図、論文、その他諸々。他の非常勤講師とも共有だが、研究用のスペースを与えられるのはありがたい。


 荷物を整理していると、声をかけられた。

「輝之君?秋野輝之君ですよね?」

 戸谷綾香が驚いた顔をして立っていた。

「戸谷、懐かしいな。元気?どうしてここに?」

 戸谷は大学時代の同期だ。

「ここの大学院に通っているの」

 聞けば戸谷は大学を出た後、一度就職したものの、学問の世界で食いたいと大学に戻ってきたらしい。

「専攻は?」

「歴史地理学。輝之君と同じ。輝之君がここの講師をするなら師弟になるわね」

 クツクツと嬉しそうに笑う。

「ところで輝之君は、天文部に興味はある?」

「天文部?」

 もちろん興味はある。

「学生サークルよ。この大学だけでなく他の大学の天文部とも繋がっているから、結構大きなサークルなの。科学館とも提携してるわ」

 それは楽しそうだ。

「興味があるなら今度覗いてみるといいわ。私も所属しているの。今月は中秋の名月があるから、観月会をするのよ」

 中秋の名月。ミツキとの約束を思い出す。

「その日は予定があるけど、天文部には興味ある。今度伺ってもいいかな?」

「大歓迎。案内するわね」


 戸谷と別れて図書館に向かう。戸谷はしきりにお茶に誘ってきたが、用事があるからと断った。図書館の郷土資料コーナーで、仕事の資料探しをしなければならない。半日はかかるだろう。

 図書館は町の中央に位置し、大きな公園に囲まれた自然豊かな場所にある。隣には科学館と美術館も併設されており、一つのアミューズメントパークのような設計だ。科学館の壁に「今秋の名月」のポスターが貼られている。主催には市の他に大学天文部も掲載されている。

 観月会の他にも、市民主催の催し物コーナーと称した看板が目に止まる。市民サークルやお稽古事のポスターが並んでいる。合唱コンクールに、詩吟の発表会、子どもバレエ、バザーなどなど。そこで俺は一枚のポスターに目を止めた。


 「月照らす夜 日出る朝」と題された展覧会だ。二週間の開催期間のうち、一週間を「夜中」をテーマに、残る一週間を「日中」をテーマに展示するらしい。グループ展のようで複数の作家の名前が並ぶ。その中に「山岡美月」の文字があった。  

 ミツキに違いない、と思った。ミツキは絵が好きで芸大に行ったから、画家として活動しているのなら納得がいく。


 見つけた。

 嬉しさで顔がにやけそうになる。愛しさが込み上げる。途端に会いたい想いが溢れる。待ち焦がれてへとへとだった心に、期待の光が差す。


 読めば、中秋の名月の初日にレセプションパーティを開くという。この会にミツキも出席するだろう。だが。俺は待てなかった。一刻も早くミツキに会いたい。会って気持ちを伝えたい。

「月照らす夜 日出る朝」の主催者を探す。画廊のようだ。携帯で検索すると、ここから近い。町の中心にあるということは、大きな画廊なのだろうか。この10年の間にこんな場所で展覧会を開けるほどにミツキは立派になったのか。

 画廊に電話で問い合わせると、作家の個人情報は教えられないと断られた。当然だろう。だが、立花伸という男がこの展覧会の火付け役で、彼に会えば山岡先生にも連絡が取れるかも知れないという。立花伸は新進気鋭の作家で、制作だけでなく企画や展示にも関わり、他の作家との繋がりも深いのだとか。

 彼がミツキとどんな関係か知らないが、ミツキの居所を知っているのは確かだろう。尋ねてみようと決心した。

 画廊の主人が彼に連絡をし、アトリエ訪問の許可を取ってくれた。親切なことに、アトリエまで案内してくれるという。俺は画廊を訪ねた。主人はタクシーを呼んで目的地を告げる。馬池公園に近い。やはりミツキはこの近所にいたのだ。

 

 アトリエは大きな一軒家のように見えた。センスがない俺にもおしゃれな外観をしているとわかった。茶色い外壁に黒い金属フレームが使われ、外構は植木で覆っている。庭もあるようだ。

 しばらく待つ。ここは静かな住宅街だからか、車も人通りも少ない。

 と、坂道の向こうから男女の笑う声が聞こえてきた。男性が何か抱えている。美術で使う木の棒を組み合わせた絵を固定する道具のようだ。女性は紙袋とビニール袋を両手に下げている。デート帰りのカップルらしい。

 男女が談笑しながらこちらに近づいてきて、息をのんだ。

 ミツキだ。

 楽しそうに笑っている。10年前と変わらない笑顔。

 だが、この男は?

 見たことがある。10年前もミツキと一緒にいた、あの男ではないのか?芸大の先輩だと言っていたか。二人は夫婦なのだろうか。

「ああ、あの方が立花先生で、隣にいらっしゃるのが山岡先生ですよ。お二人とも仲が良いんですねぇ。」

 ニコニコと画廊の主人が悪気なく言う。主人は立花伸に声をかける。

「立花先生、先ほど連絡させていただいた方をお連れしました」

 立花伸は長身の目鼻立ちが整った男だった。優男だが、油断したら刺されそうな気配から、仕事ができるタイプだと直感した。女性にもウケが良さそうだ。


 声をかけられて二人はこちらをみる。

 立花伸が挨拶をしようとした、その時。

「ミツキ」

 俺は恐る恐る声をかけた。立花伸を無視して。

 ミツキの動きが止まりこちらをじっと見つめている。

「テル」

 か細い声で俺の名を呼ぶ。

 立花伸は怪訝な顔を一瞬したが、俺にはそれどころではない。会いたかった女が目の前にいるのだ。

「お二人は知り合いかな?良ければアトリへの中へどうぞ」

 笑顔を作り快く招き入れてくれたその余裕が、俺の癪に障ったのは言うまでもない。

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