もはや、影がない

佐々井 サイジ

第1話

 昔、年長くらいだったとき、ガラス張りのドアがあることに気づかず思い切り激突してしばらく鼻血が止まらなかったことがある。注意力もまだそんなになかったからガラス張りドアが透明で見えなかったのだろう。まさか、その後の人生、僕がガラス張りのドアのように全く気付かれない側になるとは思わなかった。

 手のひらを太陽に透かして見たことがある。ちゃんと光を遮って、やや色素が薄めではあるが人間の肌が確かにあった。その手のひらを胸にあてると服越しでも鼓動が伝わってきた。いっそ死んでいる方が納得できた。

 存在感がないことを〈影が薄い〉と表現するけど、僕の場合は薄いで済むものじゃなく、もはや影が無かった。それくらい僕はずっとずっと地味だった。

 小学生のとき、朝の会の最初は点呼から始まった。先生から名前を呼ばれると「はい元気です」と答える習慣があった。僕は一週間の半分くらいは先生から名前を飛ばされていた。途中で先生自身かクラスメイトが気づいてくれると思いきや先生は最後まで気づかずに授業に入るのが恒例だった。極めつけは卒業証書授与のときさえ名前が呼ばれずに壇上の脇で突っ立ったまま、僕の名簿の一つ後の子に後ろから抜かされる事態になった。

 中三の修学旅行中に撮られた集合写真は僕だけ映っていなかった。影が薄すぎて写真に映らなかったわけではない。僕がトイレに行っている間に集合写真を撮ることになり、誰も僕がいないことに気づかないまま写真を撮って終わってしまった。せめていないことに気づいてほしかったけど、先生も同級生も気づかないまま卒業式を迎えた。

 高校では誰も僕のことを知らないから、かえって友人ができるかもしれない。影ができるかもしれないってひそかに期待していた。それも見事に裏切られることになる。

 当然、目立つ同級生たちの輪に入ることはなかった。それは毛頭諦めている。僕が狙いを定めたのは今まで影が薄い人生を歩んできていそうな人たちと絡むことだ。クラスで浮き始めている俯き加減の男子生徒たち。その人たちならいけるはず。

 でも結局、その人たちはその人たちで輪を作って、僕だけが入れない状態になってしまった。別のクラスにも行こうと思ったけど、クラスで孤立しているヤツが別のクラスに行ったところで誰も話しかけてくれない。いや、変な目で見られるなら良い方でどうせ誰も僕の存在に気づいてくれるわけがないって思った。

 席に座って目立つ生徒たちを漫然と見つめていると、ふざけあった拍子に男子生徒が僕の机に当たって大きく傾いた。

「ここ誰の机だっけ?」

 僕は男子生徒の目の前で大きく手を振ったけど、男子生徒は視線が合わず、僕をすり抜けてじゃれあいの輪に戻っていった。

 さすがに死ねば注目してくれるだろうと思ったけど、自分の肉体が物理的にもなくなってしまっただけだった。生きていても死んでも存在感なんて変わらないんだ。

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もはや、影がない 佐々井 サイジ @sasaisaiji

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