第2話 過集中は個性?

私の息子、くーちゃん(仮名)は興味があることなら3時間くらい集中できる子だった。それを変に思っていなかったし、私自身も絵を描き始めたら8時間くらいはいけたし、私の弟もそれくらい勉強する子だったので、誰しもがそうなんだと思っていた。

でも弟家族とキャンプに行った際、弟の奥さんである義妹ちゃんが持ってきてくれた粘土を3時間集中してやり続けたことを

『すごいです。この年齢でこんなに集中できるのは異常ですね。レベチ』

とびっくりと尊敬が混じった顔で義妹ちゃんに言われて、ようやく

(あれ?変わってるのかな?)

と感じた。

それまでは特に意識していなかったし、周りと比べてもいなかったと思う。

あとは兄の家に泊まりに行った時、当時4歳だったくーちゃんが、掛け算ができることを

『あまりにもできるから発達障害かと思ったけど、4かける4を、4たす4たすって足し算してるだけだったから、ああ違うわと思った。』

と言ってきたことがあった。

発達障害…?よくもまあストレートに言ってくるもんだな兄は、と思った。天才だとかほかに表現あっただろうに…本当にデリカシーないんだから。と。

その翌日も、くーちゃんが何か興味あるものをみつけた時にどれだけ大きい声で呼んでも振り返らないことを『あいつ耳が悪いんじゃないか?』

と怒りながら言われた。

「くーちゃんは集中すると声が聞こえなくなるから。目の前で自分の両手を叩いてパンっと音を立てると、はっとしてこっちの世界にもどってくるよ笑。」

と私は答えていた。

『ああ、クラスに1人くらいいたな。集中したら聞こえなくなるやつ。』

と兄も思い出したように言っていた。

そこで私も担任からの″とあること″を思い出しては、考えるようになった。

(くーちゃんが計算できるのは旦那が理系だから、遺伝したんじゃなかったの?人と脳が違う発達障害で天才なの?)

とぐるぐる思考を巡らせるようになった。

そもそも発達障害についての知識があまりなかった。たしかアスペルガーなら何か苦手なことがある分,飛び抜けて得意なことがあって天才だって聞いたことがあるとか、自分自身が注意欠陥なところがあって、ADHDを疑ったことがあったとか…その程度の知識だった。

担任との保護者会ではくーちゃんが先生の言うことを聞いているか質問をした。少し顔を歪めてとても言いにくそうに

『言うことですか…んーあまり…そうですね、聞か…ないですかね。頑張ってくれてることは伝わるのですが。』と正直に教えてくれた。

ああまた何か興味のあることに気を取られて聞いてなかったんだろうなあと思った私は笑いながらこう言った。

「くーちゃんは何かに集中すると声が届かなくなるんです。なので目の前で先生の両手を叩いてこっちの世界に戻してあげてください。」と。私の両手をパンっと叩いて、こんなふうにって説明をした。あくまでも彼の個性であって、それを理解してほしいと思ったからだった。

なんだそうだったのかと先生も笑うのかと思った。でもとても深刻な顔をして質問をしてきた。

『そういう病院に行ったことはありますか?』と。

「そういう…?発達障害を調べたかってことですか?」

『はい』

この質問にはかなりの衝撃を受けた。

なんのクッションもなく遠回しもしないで直接聞いてきたので心の準備が出来てなかったからだと思う。

「えっ?ないですけど?」

(いきなり何?)

と私はとても混乱していた。

「先生が受けた方がいいと思うくらい、くーちゃんはヤバいんですか?」

となんとも語彙力のない返しをしてしまった。この時のヤバいという表現は私にとってあまりにも人と変わっているのとか、社会性がなく集団行動ができていないのか?という思いが含まれていた。

なぜなら以前に地方に住む母親とテーマパークに行ったとき、どのアトラクションも30分〜1時間待ちだったため、くーちゃんは待てずにウロチョロ歩いていた。それを4歳にしては社会性がないだとか言われて頭にきたことがあったからだ。その時は、逆に4歳なんだから待てなくて当然だし待ててる子は親のスマホで動画観てるからであって、退屈だったら誰だってそうなるんだからもっとじゃんけんとか、手遊びとか孫を楽しませる努力をしたら?と思っていた。

それが…母親の言っていた通り他の子と比べて社会性がないのか?と思い、そのような発言をした。頭が真っ白になっていてうまく言語化できなかったのだ。

担任は少し笑って胸の前で両手のひらを左右に振って″やばいのか″という質問にこう答えた。

『違います。お母さんが気になるなら病院に行った方がいいという意味です。』

と。私は即答した。

「いえ気になってないので行きません。個性と思っています。」

担任は

『そうですか。でも、早く分かることがくーちゃんのためです。年長になると、もっと難しいことをします。集団生活ですし…』

と言った。

その後のことはあまり覚えていないが、普段くーちゃんを見てくれていることに感謝して帰ったんだと思う。

胸が苦しかったし、悲しい気持ちだった。

家に着いてベットに横たわり、両手でスマホを持ちながら友達に返信をした。毎日メールをしている友達だった。特に何も考えずに、いつも通り今日あった出来事を送った。

″面談おわったよー!なんか発達障害のことで病院行った方がいいって言われた。脳神経外科予約すればいいのかな?とりあえず検索するわ″

私はインターネットを立ち上げて家から1番近い病院の脳神経外科の予約方法を見た。その時メールを送った友人から電話がかかってきたので慌てて出た。

「どうしたー?」

『ごめん今電話いい?』

「うん、脳神経外科予約しようとしたところー」

『しなくていいよ』

「えっなんで?」

『私出産前まで保育士してたから多分詳しい方だと思うけど、くーちゃんと遊んだ時、全然普通だったよ?発達障害と思わない!会話できるし焦点も合うし脳神経外科行かなくていいと思う』

元保育士とは…なんと頼もしいのだろう。

その一言にどれだけ安心したことか…。

「ほんとー?じゃあ予約するのやめる!」

電話を切った後、もう一度心から安心した。

(なんだ。先生が心配しすぎただけじゃん。)

思い過ごしだったな、ということで、様子を見ることにした。

でも結果的に私はこの先、診断を決意することになる。

くーちゃんと計算ごっこをして遊んでいくうちに、やっぱり他の子とは違うんだなと思うようになった。

教えてもいない計算ができた。例えば1−5を

『マイナス4でしょ?』と答えてきて、あれ?私マイナスなんて言葉教えてないのに、なんでわかるんだろう?と疑問を持ち始めた。でも(やっぱ理系遺伝したわ)とか(天才児うんじゃったかな)という程度だったと思う。それが変わっていったのはくーちゃんが5歳になった頃だった。

その頃には簡単な方程式、割り算,掛け算ができるようになっていた。

仲良い友達からは

『ギフテッドじゃないの?』

と言われて何故か私が自分のことのように嬉しかった。

確かに進化論も理解できてるし、重力も理解していた。

科学について詳しく書かれている絵本をよく読み聞かせていたので、暗記しているだけだと思っていたのだが、滑り台から滑り落ちる際に

『あーっ!地球の引っ張る力で落ちていく〜』

と叫んでいて、この子は理解もしていたんだなと思った。

そういう驚きがどんどん重なっていくと、私の頭の中がよくある表現のような状況になっていった。

″バラバラだったパズルに最後のピースが…″

一つ一つが本当にピースが合わさっていく感じだった。

(そうなんじゃないか)

と思うようになっていった。

先生の言葉が毎日頭の中から離れなくなった。

(くーちゃんのためになるなら、いこう)

あれから時間はかかったが、ようやく決意ができた。

私は区役所に電話をした。

知り合いから

『子供が発達障害かどうか調べるときには、区役所とか市役所に聞くんだよ』

と教えてもらっていた。

本当に知識がなくて、何課にかけたらいいのかもわからなかった。そこからどうすればいいのかもわからない。とりあえずかけてみた。

「子供が発達障害かどうか知りたいのですが…」

そこからは早かった。

心理士と会う日程を決めた。

区役所に問い合わせたものの、実際に心理士と会ったのは別の場所だった。

午前中に会う約束だったので、幼稚園には経緯を説明して遅刻することを伝えた。


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