第2章 第1話

ランデル王子が正式な王位継承者として任命される、王太子礼の日が近づいてくる。

そのパーティーのための食材が、大量に運び込まれてきた。

私のように期間限定で働く者たちが、ひっきりなしに出入りしている。

用意された、見たこともないほどの牛の数と七面鳥の干し肉、沢山の卵。焼かれるパンやパイのための小麦粉で、倉庫は一杯だ。

任命式を数日後に控え、盛大なパレードが予定されていた。

私はそれを、忙しく働く王城内の裏庭から見る。


「ほら! マノン見て! 王子さまのパレードよ」


 同じ時期に、臨時で雇われたロッテに引っ張られ、建物の隙間からパレードを覗く。

花で飾り付けられた屋根のない立派な馬車に乗り、紙吹雪が舞う中をきらびやかな行列が通り過ぎてゆく。

その一部が、高くそびえる王城の壁と壁の隙間に見えた。

黄金に彩られた馬車は、日の光を浴びてキラキラと輝く。

王子の誇らしげに微笑む白く高い鼻と白金の髪が、両側から落とされる塔の影の向こうに小さく見えた。


「ね、マノンにも王子さま見えた?」

「う、うん。ちょっとだけね」

「わー。素敵だったね。ランデル王子は、どんな王さまになるんだろうね」

「きっといい王さまになるわ」

「ふふふ。そうだといいけど」


 ロッテは淡い茶色の髪に、そばかすがよく似合う明るい女の子だ。

太陽のようににっこりと大きく笑う笑顔が印象的で、誰とでもすぐに打ち解けた。


「ねね、王太子になると同時に、婚約発表があるっていう噂、知ってる?」

「え……?」


 驚く私に、ロッテは可笑しそうに笑った。


「あはは。そりゃそうでしょ! 王子も18だっけ? もういい歳だもん、そういう話になってもおかしくないでしょ。任命式のパーティーで発表されるのかな? それとも、その時のダンスの相手から選ぶのかしら?」


 ロッテは両手を組み、夢見るように明るい空を見上げた。


「いいわよねー。私も一度は行ってみたいわ。一目見るだけでもいいの。素敵なダンスパーティー!」

「ふふ。そうね……」


 そっか。ランデルが結婚か……。

もしかしたら、今夜のそのパーティーに、自分がいたのかもしれない未来を想像する。

数日前に現れた黒髪の狩人は、確かにランデルだった。

彼が探していたのは……。


「ちょっと! なんでマノンが落ち込んでんのよ。これからが忙しくなる本番なんだからね! 私たちにもお祝いが配られるって話よ。それを楽しみに頑張りましょ」


 パレードを皮切りに、お祝いの宴は7日間続く。

招待されている各国からの使者の数も、過去最大数だと料理長が言っていた。

いつもの3倍以上の仕事量に忙殺されている。

それでも、これだけ盛大に祝われる彼のことを思うと、私は安心する。

よかった。

ランデルが幸福な王子として、王に愛され王太子として任命される証だ。

私はこの厨房から彼のための宴席を用意することで、ささやかなお祝いとしよう。

どうか彼の前途に、よき未来がありますように……。


 実際に祝宴期間が始まると、臨時の増員だけでは間に合わないほどの忙しさだった。

城に各国使者たちが長期滞在しており、それぞれのお国柄に合わせた実に様々な要求が飛び込んでくる。

彼らの舌を満足させる高品質のお酒を探し、十分な量を確保するだけでも大変なことだった。

王室から湯水のように割かれる予算額はまさに天井知らずで、いま世界中どこを見渡しても、この厨房ほど豊かな食材を揃えているところはないように思う。

宴会の席が大規模になればなるほど、厨房が担当する洗濯物の数も増えた。


 朝一番に洗濯して乾したテーブルクロスを取り込み、夜にも洗って朝まで乾しておく。

クロスもナプキンも新たに買い足されてはいたが、それでも一日に二回の洗濯は必須だった。

暖かい季節でよかった。

夜中に踏む洗濯の水も、足に丁度心地いい。

朝一番の洗濯を手伝ってくれる者はいても、夜の二度目の洗濯は私一人だった。

唯一一人きりになれる時間。


 私はタライの中で洗濯物の布巾の山を踏みながら、足が覚えているダンスを踊る。

灰色に塗り固められた夜の城壁を見上げ、華やかなパーティーを夢想する。

きっと彼も今ごろは、こうやって過ごしているに違いない。

私は彼のために一曲踊り終えた後で、タライの中でスカートの裾を持ち上げ膝を折った。


「どうかランデル王子に、よき幸せが訪れますように」


 不意に視界の隅を、何者かが横切った。

頭に私と同じ深い緑の頭巾を被っているみたいだけど、あれはロッテ? 

波打つ豊かな髪が、被った頭巾の端からこぼれ見えている。


「マノンは、ランデル王子のこと好きなの?」


 その声に全身をビクリと震わせる。

声の主は黒髪にボロ布を纏い、狩人の格好をした「トーマス」だった。

耳当てのついた大きすぎるターバンのような帽子を深く被っているのは、きっと顔を隠そうとしているため。


「ラ、ランデル王子が好きだなんて、そんな……。会ったこともない人に?」

「やっぱりマノンも、王子さまには無条件で憧れるのかなーって」


 ランデルはトーマスと名乗った自分が、私にランデルだと気づかれていないと思っているのか、すました顔で近づいてくると、その場で靴を脱ぎ始めた。

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