第20話 お母様と呼べる最後のチャンス
数年後、ユマは教会で働いていた。各地の教会や併設の救護院、孤児院で手が足りないところに派遣され、転々と居場所を移していた。
今日、また新しい教会に赴任してきた。
行方不明の父とはあれから出会えないまま。
弟のオレノとも会うことはなかった。
たった二人の姉弟だったが、父がいなくなってからはお互いにきまずさが消えなかった。オレノとバーバラがいなければ母は殺されずに済んだ。
自分がオレノを可愛がり、バーバラに懐かなければ母が殺されることはなかったかもしれない。二人がいなければ自分は愛する両親を失うことはなかった。
一番憎いのはバーバラなのは間違いない、しかし父も自分も同罪だった。
あのオフェリー様は……お母様だった。でも私のお母さまはもういなくなってしまった。私はお母様と呼べる最後のチャンスを自ら手離したのだ。
それが自分の償いだから。
今日から働く教会に来る前に奉仕していた教会は偶然にもオフェリーのいる地域だった。
ユマが奉仕活動をしていると、そこに大きくなった子供たちの手を引き、オフェリーが礼拝にやってきたのだ。
彼女はユマを見て微笑み、
「まあ、あなた以前王都の教会にいたお嬢さんね」
と笑いかけてくれた。
しかし、オフェリーを見て声が出なかった私を険しい目で隣にいる男が見ていた。
ああ、彼はあのときからずっと全身でオフェリー様を守っているのだと理解した。お父様がお母様になしえなかった事。
もしオフェリー様がお母様だったとしても今のこの幸せを曇らすことはできないと思った。私は自分の我儘でどれだけの人を傷つけてきたのかようやく理解できたのだから。
だから私は
「はい。あの日お声がけいただいたおかげでこうして過ごせております。ありがとうございました」
「そう。嬉しいわ。これからも頑張ってね」
そう言ってオフェリー様は私の手を温かい手で握ってくださった。
そして最後に昔のように飴を下さった。
「子ども扱いしたわけじゃないのよ。昔のあなたが頑張ったご褒美だと思って、ね?もらって下さる?」
「も、もちろんです。ありがとうございます」
私は飴をいただき深く頭を下げた。
零れ落ちる涙を見られないよう、私は頭を下げ続けた。
それを察しただろう隣に立っていた男は
「さ、行こう」
とオフェリー様を促した。
「じゃあ、またね」
そう言って立ち去るオフェリー様の気配がなくなるまで頭を上げなかった。
気配がなくなると飴を握りしめて思いきり泣いた。
それから幾度か、お会いすることがあったがそのたびに飴をくれた。
そして私のお爺様とお婆様と一緒にいる姿を街で見かけた。オフェリー様はお爺様の事をお父様と呼んでいた。あとで司祭様に聞くと、寄り親になったという。
ああ、やはり。やはり本当にオフェリー様はお母様なのだと確信できた。お爺様たちは寄り親という形で、再びお母様と親子関係を結んだのだ。
衝動に駆られて何度、お母様と飛びつこうと思ったか知れないがぐっと我慢した。
いつもお母様の隣にいる男の人の目線は、当初の険しさから哀れを含んだようなものに変わっていった。
そしてある日、お爺様とお婆様が私を訪ねて教会にいらした。
「お爺様!」
と、私はとっさに声をあげてしまったが今の自分の立場を思い出し
「……ブラントーム前侯爵様。私に何か御用でしょうか」
と涙を堪えて言い直した。
お爺様もお婆様も涙を浮かべてらした。
「ユマ、すまなかった。私達は酷い殺され方をしたクラリスのことしか考えられず、お前の事を受け入れる事が出来なかった。お前はまだ子供だったというのに」
「……いいえ。謝らないで下さい。私の愚かさは自分が一番よく知っております。本当にお母様にもお爺様たちにも申し訳なかったと思います」
以前の愚かな言動はもうどこにもない成長をしたユマを祖父母は抱きしめた。
「謝って済むことではないがすまなかった」
「本当にお爺様たちの気持ちはわかります」
「それでだな、今更……本当に今更だとお前は怒るかもしれないが話を聞いて欲しい」
「はい?」
「オフェリー様の夫のルロワ侯爵がお前を養女に迎えても良いとおっしゃっている。お前の意向を聞いてきてほしいとな」
ユマは全身に衝撃が走った。またお母様と暮らせるの? お母様と呼んでいいの?
「それが嫌なら、私たちのもとへ来て欲しい。身勝手なことは承知だがまた私たちの家族になってくれないだろうか」
アルマンが行方不明になり、ユマたちが孤児院へ引きとられたことなど、王都から遠く離れたこの場所にいた二人は知らなかったのだ。クラリスの事がばれないように昔の知人たちとは縁を切っていたから。
ユマがこの教会に赴任してきて、それを知り、またユマの様子をレナルドから聞いて胸を痛めた。
自分たちが引き取ってもいいか?と言ったブラントーム前侯爵にレナルドはオフェリーの養女にしてもいいと言ってくれたのだ。
しかし
「……いいえ。とても嬉しい……でも、お断りさせてください。私はこうして教会の一員として国中をまわることに喜びを感じています」
ユマはこぼれる涙を抑えてそう言った。
今のユマは祖父母が必死でクラリスに会わせなかったわけが理解できていた。
自分の事しか考えない愚かな自分がクラリスだと言い続け、それが世間に広まったなら……それでは死んだとされていたクラリスの遺体は誰なのか? では犯人は? 被害者であるはずのお母さまが殺人犯とされてしまうことを祖父母は恐れたのだ。
今もお母様に抱きしめて欲しい、お母様と呼ばせてほしい。
でも、私もお母様を守りたい。私とお父様が傷つけたお母様に罪滅ぼしができる唯一の機会なのだ。
「ユマ……」
「心配しないで下さい。私はこうした色んな所をめぐり、勉強をさせていただいています。辛い境遇の子供たちや病気やけがで保護が必要な方々の支援をさせていただいて成長できた気がするのです。もう少し勉強をして人として恥ずかしくないその時が来たら……また会いに行ってもいいですか? お母……オフェリー様にも」
唇を震わせながらそう言うユマを祖母は抱きしめた。
「ユマ。いつでも待っているわ。きっとオフェリー様も」
それからの二人は何度も教会に足を運び、色々と話をしてくれた。私はお爺様たちを恨む気持なんかなかったから、ただ嬉しい気持ちでいっぱいだった。
レナルド様も私を険しい目で見ることはなくなり、以前より頻回にオフェリー様を連れて来てくださるようになった。
それだけでも私は嬉しかったのだけど。
そんなある日、また異動があり別の救護院に行くことになった。
ここから随分離れたところになるが、祖父母はいつでもこちらに戻ってこいと言って見送ってくれた。
私は内心、ここを離れるのが辛くてたまらなかったが私の贖罪と成長のためだと、自らに喝を入れて赴任先に赴いた。
それが今日から働く教会併設の救護院。
信じられない事に、この新天地で父と再会したのだ。
父アルマンはすっかりやせこけ、弱っていた。身体のいたるところに痛みがあり思うように動けないようだった。
「お…とう様。どうして……」
私の目からは涙がこぼれ出た。
私たちを捨てて姿を消したお父様を憎んでいた。けれど、こんな姿を見たらそんなものはすべて吹っ飛んだ。
「ユマ……」
お父様の目にも涙が浮かんでいた。
「立派になって。……すまなかった」
「どうして! どうして私たちを捨てたのですか! 三人で頑張れば良かったのに!」
「今更言い訳しても仕方がないが……お前たちを捨てるつもりはなかった」
「じゃあ、どうして!」
お父様の話を聞いて愕然とした。
アルマンはある日、街でクラリスの宝石が売られているのを見た。盗んだメイドが売り払ったと考えたアルマンは買い戻そうとしたが今のアルマンには手の出ないほどの金額だった。
だからこれは殺された妻の形見で盗品なのだと訴えた。犯人を追う手掛かりになるかもしれないから、売らないでほしいと言いおいて店を出て、騎士を呼びに行った。
しかしその直後、アルマンは暴漢に襲われた。数日間意識を失い、気がついた時には自分の力ではほとんど動くことができないほどの状態で、命を取り留めたのが奇跡だったという。
後で聞いたところによると、盗品と知って取り扱っていた店の手の者が店にも捜査の目が向けられるのを恐れての犯行だったという。
ぼろ布のように倒れていたアルマンは身元不明のまま救護院で保護されていたが、このような状態で帰るとユマやオレノに今以上に負担と迷惑が掛かると思ったアルマンはそのままここの世話になっていたのだと涙を落として語った。
父に捨てられたのではなかったと、父が母の事を思って行動しようとしたのだと知りユマは父へと抱き着いた。
「私たちは家族ではありませんか。迷惑だなんて……」
今だからこそそう言えるが、確かにまだ子供であったその時に介護が必要で生活能力のない父がいれば一家は立ち行かなかっただろう。
辛く悲しい思いはしたが、ユマは真実がわかりほんの少し救われた思いだった。
その後、アルマンを引き取ったユマは二人で肩を寄せ合って暮らし始めた。
ユマは一生懸命働き、アルマンの身体をもみほぐしたり、マッサージをしたりと献身的に面倒を見た。
二人は家族と言えどもお互いに思いやりを持つことの大切さ、一緒にいれることがどれだけ幸せな事なのか身に染みていた。
もうお爺様たちにもオフェリー様にも会うことはないかもしれない。
後悔と過去の過ちはもう取り返すことができないが、それでも彼らに恥じない生き方をしようとユマは心に強く誓った。
父と暮らし始めてしばらくすると、時々匿名でお金が届くようになった。
何の根拠もないがおそらくオレノではないかと思った。彼もどこかで元気にやっているのだろう。
今の私ならオレノが一番の被害者だと判る。あの子にも謝りたいし、幸せになっていて欲しい。
いつか会いに来てほしいと思う。自分たちは家族なのだから。
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