6月16日(日)
━━━━━━夕暮れ
ゆったりとした鼓動が響く電車に揺られながら、ぼんやりと外の景色を眺めていた。夕焼けはとっくに山向こうへ過ぎ去って、今は太陽の残り火がほんのりと空を照らしているだけだ。もうあと数十分もしないうちに夜がやってくる。
最寄り駅に着いたことには、完全に日も落ちているだろう。
外の街並みにはちらほらと街灯の光が見えている。
重くなった目蓋が閉じてしまわないように、睨め付つるように天井からぶら下がったつり革を見上げて、それでも抑えきれなかった眠気が、口元からあくびとして漏れ出てしまった。
こりゃいかんな、と思い起こして、胸元のポケットからスマホを取り出す。
今は今朝とはかなり違う印象の装いをしている。
最初に着ていたデニムのジャケットには、スマホが収まる深さの胸ポケットはなかった。だが、今の服は全体的にゆったりとしていて、胸ポケットはスマホがすっぽりと収まってしまうくらいゆとりがある。
黒よりの焦げ茶色で、半袖のワイシャツのようなシンプルな服だ。
半袖という割には肘の先くらいまで裾がある、いわゆるオーバーサイズというやつだが、むしろ普通の半袖のシャツよりも、これくらいの方が個人的には好きかもしれない。
前側に縫い付けられたボタンはすべてコルクみたいな色合いと質感で、この服のお気に入りポイントだったりもする。
これを朝から着ていた白いシャツの上に重ねて着て、下のジーンズと合わせてカジュアルな雰囲気でまとめていた。
この格好をお店の鏡でみて、気に入ったのでそのまま着てきてしまったのだ。
ありさにも「とてもよく似合っている」と言われて、世事であっても嬉しく感じられた。
他にも帽子も被っていた。
濃い抹茶色の、サウナハットみたな形の帽子だ。
普段は帽子など被らないのだが、これもなかなか面白い形をしていたので、気に入って買ってきてしまった。
他にもいろいろな服を買って、持って行ったリュックに丁寧に詰めて、今は足元で挟むようにして置いてある。
新品の服も多少はあるが、ほとんどは古着屋を巡って見つけたもので、どれもこれもありさに見繕ってもらったものだ。
1日でここまで服にお金を使ったのは初めてかもしれない。
そう思えるくらいには様々な服を買ってきた。
目の前の席に座る少女も朝とは異なる恰好をしている。
朝のパンツスタイルとは打って変わって、今は腰回りからお臍のあたりまでカバーできてしまいそうな、コルセットみたいデザインの黒のミニスカートを履いている。
途中まではタイトスカートのようにすらっとしていながら、裾のあたりになると、すこし控え目にフリルが付いているのが印象的だ。
また、恐らくは装飾だろうが、腰回りには細めの皮のベルトが2本並んで入っているのもポイントだったりする。
このスカートに合わせるのは、袖がふんわりと膨らんだ襟付きの白いブラウスだ。
さらりとした肌触りで、肩から胸元にかけてや、袖の切り替え部分にもレースの意匠が施されており、どことなくクラシカルな印象を与えてくれる。
朝の装いも夏らしい軽さのある服装だったが、今は同じく夏らしさや軽さを感じさせながら、どこか種類の違う雰囲気をまとっていた。
形容はし難いが、朝がポップな雰囲気であったのなら、今は大人しさを感じさせるものに変わったように感じられる。
どちらかと言えば、彼女の好きな地雷系よりのファッションになったのだろうか。(ファッションに疎い身としては、安易に判断できるものでもないのだが。)
さて、そんな彼女も、今日の戦利品がいっぱいに詰まった紙袋を膝の上に抱えて、どことなく上機嫌な様子でスマホの画面を覗き込んでいる。
耳にはワイヤレスのイヤホンが嵌められているから、何か動画でも見ているのかもしれない。
そんあ彼女の様子を観察していると、自分のスマホを見ているより格段に有意義な気がして、ついじっと見つめてしまっていた。
そんな様子にいつ気が付いてのか、手に握るスマホに通知が届く。
----------------------------------------------------------------
【ありさ】「先パイ、さっきから何をそんなに見てるんですか?」
【ありさ】「ちょっと恥ずいっす」
『うお!気づいてたの?!』
『いやさ…すごいなと思ってさ』
【ありさ】「すごいっすか?」
『うん』
『うまく言えないんだけど…』
『うーん…なんだろうな笑』
【ありさ】「それじゃわからないっすよw」
『ごめんwごめんw』
『1日服選びに付き合ってもらって、いろんな服とかみて、いろんなことを聞いて、なんかそれがすごい楽しそう?だったのかな?笑』
[-メッセージの送信を取り消しました-]
『なんかそれが羨ましかったっていうか…やっぱうまく言えないんだけど笑』
【ありさ】「先パイは今日1日楽しかったっすか?」
『うん。たのしかったよ!…なんかすごい久々に』
【ありさ】「わたしも楽しかったっす!」
【ありさ】「ならそれでいいんじゃないっすか?」
【ありさ】「わたしもうまく言えないけど、ファッションは自分を表現する手段っすかね」
【ありさ】「わたしも地雷系ファッションにしてから、自分らしさが見つけられた気がするっす」
【ありさ】「あっ、でもたまに、大人っぽいのも挑戦してみたいなぁって思ったりもするんすよw」
【ありさ】「とにかく新しい自分を見つけるのってけっこう楽しいんすよ」
【ありさ】「だから先パイもファッションを楽しんでみるといいっすよ!」
【ありさ】「先パイ?」
----------------------------------------------------------------
文字を打つ指が止まってしまう。
何か言葉を返したいのに、何も言葉が紡げない。
頭の中でぐらぐらと思考が揺れて喉が渇く。
視界がぼやける。
きっとこれは寝不足のせいだ。きっとそうだ。
目の前に座る少女が、ちらりとこちらを一瞥したのを肌で感じた。
心配をかけてしまったかもしれない。だけど、今は顔を合わせたくはない。
早く返信しなきゃいけないのに、なんと返したらいいのか分からなかった。
情けない。本当に情けない。そんな言葉を自分に向けて突き刺した。
この気持ちをなんと表現すればいいものか。痛い、のかもしれない。
整理の付かない気持ちに見切りをつけて、意地かプライドか、とにかく今持てるすべてを総動員して、なんとか言葉をひねり出す。
無難でもいい、と。とにかく何でもいいから、と。
決して今の様子を悟られるな。何か出せれば、きっといつも通りに戻れるはずだから。
それでも何度も文章を書いては消して、消しては書いてを繰り返して、やっとのことで送信ボタンをタップする。
---------------------------------------------------------------
【ありさ】「先パイ?」
『ごめんw…返信に迷った笑』
『なんか色々と考えちゃった笑』
『でも、ありがとう!いつも助かるよ!』
【ありさ】「いえ、こちらこそいつもありがとうございます」
【ありさ】「ちょっとでも参考になればよかったっす!」
【ありさ】「もし何かあれば、いつでも相談に乗るんでいってくださいっす!」
『ほんとありがとな!笑』
『今日は本当に楽しかった!』
『いい服が買えた!これからは自分探しのファッションでもやってみるよ!笑』
【ありさ】「喜んでもらえてよかったっす!」
【ありさ】「先パイのセンスもよかったっす!」
【ありさ】「また今度一緒にショッピングとかどうすか?」
『おう!また行くか!』
【ありさ】「ありがとっす、先パイ!」
【ありさ】「どこか行きたいところとかありますか?」
『うーん、今度は原宿とかどうだ?』
【ありさ】「原宿いいっすね!」
【ありさ】「オシャレなお店もたくさんあるし、いろんなスタイル試せるし」
【ありさ】「あと、古着も探してみたいっす」
『古着も案外いいよな!今日知ったよ笑』
【ありさ】「古着って一つ一つがユニークだから、探すのが楽しいんすよね~」
【ありさ】「先パイも一緒に探してくれると嬉しいっす!」
『おけ!俺なんかでよければいくらでも付き合うよ!』
『今日は俺の服選びを手伝ってくれたからそのお礼だ笑』
【ありさ】「そんなの気にしないでいいっすよw」
【ありさ】「じゃあ、決まりっすね!また予定が合う時に行きましょう!」
---------------------------------------------------------------
「自分をみつける」━━━━━━その言葉が頭の中でループする。胸の中に消毒液みたいに染み渡る。自分らしさとはなんなのか、その答えは未だに分からない。
少しだけ苦しかった。でも、きっとこの苦しさはそう簡単には取れないのだろう。
だから羨ましいんだ。自分らしさを見つけられた彼女のことが。
だから惹かれるのだ。自分らしくあれる彼女の姿に。
情けない。本当に情けない。今度は自嘲気味に心の中で呟いた。
自分よりも一回りも二回りも小さな彼女に憧れをいだくなんて。だけど、その気持ちを否定はしたくなくて。
気付けば外は真っ暗になっている。長い夜の始まりだ。
だけど今日は短く超えられるかもしれない。
だって今日はこんなにも疲れているのだから。
きっとぐっすり眠れるだろう。
最寄り駅にたどり着くまで、彼女とのやり取りは続いた。
-終-
-------------------------《おまけ》-----------------------
『ところでさっきから何見てるの?』
【ありさ】「いろいろすっよ」
【ありさ】「なんか移動中でも暇は嫌っす」
【ありさ】「先パイはどうっすか?」
『俺も暇はいやかな~』
【ありさ】「やっぱそうっすよね」
【ありさ】「最近何か面白いアプリとか見つけたっすか?」
『特にないかな~』
『逆になにかあったらおしえてほしい笑』
【ありさ】「了解っす」
【ありさ】「最近だと音楽アプリとかよく使ってるっす」
『音楽アプリ?なに使ってるの?』
【ありさ】「O`ztifyとかO`ztube Musicとかけっこう使うっすよ」
【ありさ】「自分の好きな曲とかプレイリスト作るのが楽しいっす」
【ありさ】「先パイも音楽好きっすか?」
『聞かないわけじゃないけど、あんまり詳しくはないかな~』
『好きか嫌いかで言えば好きな方だけどw』
『O`ztube Musicとかどうなの?』
【ありさ】「O`ztube Music、けっこう便利っすよ」
【ありさ】「無料で使えるし、自分の好きなアーティストの新曲とかすぐにチェックできるっす」
【ありさ】「試してめて損はないっすよ」
『ほーん…ありさは好きはアーティストとかいるの?』
【ありさ】「うん、いるっすよ」
【ありさ】「最近はYORUASOBIとかずっと聞いてるっす」
【ありさ】「歌詞が深くて気持ちに響くんすよね」
【ありさ】「先パイはどんなアーティストが好きなんすか?」
『好きなアーティストか…』
『なかなか選べないかも笑』
【ありさ】「わかるっす、音楽って好みがいろいろだから難しいっすよね」
【ありさ】「でも、何か気なるジャンルとか試してみると新しい発見があって楽しいかもっすよ」
【ありさ】「今度一緒に音楽探しとかどうすっか?w」
『いいね~笑、一緒に探してみるか!』
【ありさ】「よし!これも決まりっすよ!」
【ありさ】「今度、いろんな曲を試してみるの楽しみにしてるっす」
【ありさ】「なんか元気出てきたかも…ありがと、先パイ」
---------------------------------------------------------------
-終-
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます