6月13日(木)

━━━━━━朝



目覚ましが鳴るよりも少し早く目が覚めた。

もう少し眠ろうかとも思ったが、今から寝てしまうとお昼まで寝てしまうだろう。

多少のずれはあっても、せめて起床時間くらいは毎日合わせていないと、いつまでたっても生活リズムが整わない。


まだ暖かなぬくもりを残す羽毛布団に別れを告げて、マリオネットがそうであるように、無理やり体を引き起こす。

まだ重い頭を指先で撫でて、その手のままに、おでこから顎の先までなめまわすように一息に拭う。するとごくごく自然に、口元から少し長めのため息が漏れ出た。

この程度では、目元に張り付いた眠気を払うには力不足だったが、それでも多少はマシになった。


窓のそばまで歩いて行ってカーテンを開け放つと、白みがかった光が部屋の中にじんわりと広がる。最近は日が昇ってくるのが早く感じて仕方がない。


振り返ると、ソファの上に乱雑に脱ぎ捨てられた一張羅が目に付く。ネクタイはなぜか方結びになっているし、ベルトを通したままで裾がバラバラの方向を向いているズボンや、袖をまくったままのシャツはしわが付かないか気にならないこともないが、今は無視して退路を断つつもりでベットの上に投げ入れた。こうしておけば、もう一度寝に戻ることはしまい。


昨晩のうちに作っておいた鶏肉とジャガイモのコンソメスープを火にかけて、少し熱いと感じるくらいまで温めてから、棚の上に置いてある食パンに入ったビニール袋に手を伸ばす。そこから一番外側にあった2枚を抜きとって、ざっくりと九等分に切り分けてから、少し大きめの楕円形のお皿の上にゆっくりと乗せる。

見た目は深みのある木目調の器だが、実際はプラスチックでできていることは知っている。けれでも何かと使い勝手がよく、数少ない手持ちの食器の中では気に入って愛用していた。


そこへ温めたスープを流しいれて、最後に鍋のそこに残った具材をお玉で掬って盛り付ける。パンにスープがじっくりと染み込むのを待ってから、フォークを持ってリビングに戻った。器を通してスープの熱が伝わってくる。


このパン粥のような食べ物が、今の体にはちょうど良い。それを片手間に貪りながら、机の上のパソコンを開いて、昨日の課題に取り掛かる。ついでに今日の欠席の連絡もメールで送ることにする。


ふと画面の端に目をやると、時刻はとっくに9時を回っていた。

どうやら思っていたよりもずっとしっかりと眠れていたらしい。昨日はあえて目覚まし時計をセットしていなかったことを、今更ながら思い出した。どのみち初めから寝坊するつもりだったようだ。昨日のうちに今日の予定をすべて投げ捨てる覚悟をしていなければ、今頃は顔を青くしていたことだろう。


この時間になると、部屋の中の温度も少しずつ上がってくる。

暖かいものを食べて、すこし汗ばんできたところで、パソコンでの作業もひと段落する。


ふう、と一つ息を吐いて、動画配信サイトで適当にニュースでも流しながら、そんなものには気にも留めず、スマホをポチポチと触りながら、さて今日は何をしようかと考える。ひとまず病院には行くかと大雑把な予定を立てて、けれども、こんな熱くなりそうな日に外へ出るのは、それはそれで体がおかしくなりそうな気がしてしまって、いまいち気が向かなかった。


気の利いたことに、ちょうどニュースで今日の天気情報が流れてくる。それをちらっと除いて、あとは耳で聞き流しながら、やっぱりな、と静かに納得した。

それでもやはり病院には行くべきだな、と思い直して、けれども外出したくない自分もいる。じばらくうーん、うーん、と思い悩んで、最終的には数課時間後の自分に決断を押し付けることで解決する。


さて、いよいよ暇になった。


暇であることをこよなく愛してはいるが、かといって時間を無駄にするのは好ましくない。とはいえ、今日は何もしたくない。

体のことを考えても、今日は大人しくしておくべきだろう。かといって、今から横になるのも面倒だ。生憎とベットの上には先客がいる。


すでに1日のうちの3分の1が過ぎたわけだが、まだ今日は始まったばかりとも言える。少なくとも1日の終わりまではまだまだ時間が有り余っている。


結局何も思い付かず、何のやる気も起きず、とりあえず食器だけは流し台に置いてきて、ソファにぐっと座り込む。ただぼんやりとしているのも居た堪れない気持ちになって、仕方なくスマホに目を落とした。






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『よお。今日もヒマか~?』


【ありさ】「先パイ、こんにちはっす」

【ありさ】「今日は部屋でダラダラしてるっすけど、特に何もしてないっす」

【ありさ】「先パイは何してるんすか?」


『とりあえずさっき宿題を片付けたけど…今日も体調が悪いから、今は部屋でダラダラしてるよ~笑』


【ありさ】「まだ体調治らないんすか…」

【ありさ】「大変そうっすね」

【ありさ】「無理しないで休んでくださいっす」

【ありさ】「何か手伝えることがあったら言ってくださいね」


『ありがとな~…ならちょっと話に付き合ってくれぇ~…』

『ゲームするのも動画みるの疲れちゃってな汗』


【ありさ】「了解っす」

【ありさ】「先パイの話し相手くらいなら全然オッケーっすよ」

【ありさ】「何か話したいこととかあるんすか?」


『うーん…そうだなぁ~、、そういえば服にはそこそこ詳しかったっけ?』


【ありさ】「まあ、地雷系ファッションとか自分の好きなスタイルには結構詳しいっすよ」

【ありさ】「先パイ、何か聞きたいことあるんすか?」


『うーん、俺にも似合うっていうか、、オススメの服とかあるか笑』

『普段は全然服装とかに気を使わないからそういうのに疎くてなぁ~』


【ありさ】「それなら、まずはシンプルなカジュアルスタイルから始めてみるといいかもっすね」

【ありさ】「たとえば、無地のTシャツにデニムとか、パーカーにチノパンとか無難でオシャレっすよ」

【ありさ】「そういうのから少しづつ自分に合うスタイルを見つけてみるといいかもっす」


『思ったよりもしっかりしたアドバイスをありがと笑』

『…そういえばデニムとかチノパンとか、持ってるけどしばらく履いてないな笑』

『下手すると1年くらい?履いてないかも?笑』


【ありさ】「それなら、久々にクローゼットから引っ張り出してみるといいかもっすね」

【ありさ】「意外と新鮮な気分になれるかもっすよ」

【ありさ】「先パイ、おしゃれも楽しんでみてくださいっす!」


『はいよ~!色々試してみるわ!笑』

『そういえばそっちは普段どんな服着てるんだ?』


【ありさ】「うーん、私は地雷系ファッションが好きなんで、チョーカーとかハート型の服とか、ちょっと個性的な感じのを着てるっす」

【ありさ】「でも、普段は古本屋でバイトしてるから、その時は地味めの服も着るっすね」

【ありさ】「中学の頃は普通の地味な服だったんだけどね」


『へぇ~、バイト中は地味な服か~、、』

『今思い出したけど、最近SNSでゴリゴリの地雷系の女の人が、スーパーの店長やってる漫画みたな!笑』


【ありさ】「うけるwそれみたことあるっす!」

【ありさ】「ギャップがすごいっすよね」

【ありさ】「意外と、地雷系ファッションの人も普通の仕事してること多いっすよ」

【ありさ】「それも個性っすね!」


『そうだな笑』

『漫画の中の話だけど、地雷系ファッションの店長が話題になって、お店の売り上げが爆増してたな~笑』

『お前もバイトでやってみたら、意外とお客さんにうけるんじゃないか笑』

『少なくとも俺は見に行くぞー笑』


【ありさ】「ありがとうっす」

【ありさ】「でもバイト中に地雷系の服ってちょっと勇気いるっすね」

【ありさ】「でも先パイが見に来るって言うなら、考えてみようかな…」

【ありさ】「それにしても、漫画みたいにお店の売り上げ上がったら面白いっすね!」


『そうだな笑…まあ、無理はすんなよ?笑』

『あ!でも、もしやる時は言ってくれ!笑』

『絶対に見に行くわ!笑』


【ありさ】「ありがとうっす、先パイ」

【ありさ】「無理せず考えてみるっすね」

【ありさ】「でも、もしやるって決めたら先パイには絶対教えるっす!」

【ありさ】「楽しみにしててくださいっす♪」


『おう!楽しみにしてるよ笑』

『…にしてもあの漫画みると、地雷系もいいなって思えてきたわ!笑』

『前まではちょっと地雷系は苦手だったんだけどな笑』


【ありさ】「うけるw 先パイも地雷系ファッションに興味持つようになったんすね」

【ありさ】「漫画の影響ってすごいっす」

【ありさ】「地雷系も可愛いところいっぱいあるっすよ!」

【ありさ】「もっと知ってもらえたら嬉しいっす」


『ああ、もっと教えてくれ!』

『これまであんまりファッションに興味なかったから、そういうの全然だめでな笑』


【ありさ】「任せてっす、先パイ!」

【ありさ】「地雷系は可愛い服が多いんすけど、黒とかピンクが多めで、アクセサリーも結構派手なんすよ」

【ありさ】「あと、メイクもポイントっすね」

【ありさ】「今度、先パイと一緒に服選びとかできたら楽しそうっすね!」


『お?じゃあ今度の休みにでも遊びに行くか?この前話したアメ横とか?』


【ありさ】「う、うん、いいっすね」

【ありさ】「先パイと一緒ならどこでもOKっす!」

【ありさ】「アメ横も楽しそうっすね」

【ありさ】「そのとき、いろいろ教えてあげるっすよ!」


『…いいのか?』

『こんなこと言うのもなんだけど、先輩から誘われたからって無理して付き合なくていいんだぞ?』

『今のはちょっとした冗談のつもりだったから』


【ありさ】「え、そんなことないっすよ!」

【ありさ】「先パイと一緒に過ごせるなら本当にうれしいっす」

【ありさ】「無理なんて全然してないから、行きたいっす!」


『ありがとなぁ~、お前はほんといいやつだよ(涙目』


【ありさ】「そんな、涙目にならないでくださっす…」

【ありさ】「先パイがそう言ってくれて、私もうれしいっすよ」

【ありさ】「これから一緒に楽しいことたくさんしようね!」


『ああ、ありがと!本当に!…これからもよろしくな!』

『じゃあ、今度の休みはアメ横に遊びにいくか~!』

『いつも話し相手になってくれるお礼に、飯でも奢ってやるよ~笑』


【ありさ】「本当っすか⁉めっちゃ楽しみっす!」

【ありさ】「何食べようかな~」

【ありさ】「先パイと一緒に何でも楽しいっす!」


『お前はほんとにそういうところが上手だよ笑』

『…さて、じゃあ昼飯でも食べてくるわ!』

『また、あとでなぁ~!』


【ありさ】『ありがとっす!先パイ!』

【ありさ】『お昼ご飯、しっかり食べてね』

【ありさ】『あとでまた話しましょうっす!』



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一通り終わって、さて困ったな、と苦笑する。


ひょいなことから、後輩と遊びに行くことになってしまった。

お互いに知り合っている間柄だ。特に動揺することもないのだが、何かモヤモヤしたものが胸のうちで揺らいでいるのは確かだ。思えばここ1年ほどは、純粋な遊び目的で休日に出歩いたこともない。休日であろうと何かしら用事はあるもので、暇なら暇で何かすることを考えてしまうものだから、結局何かと忙しかった。


そういったこともあって、心が躍らないかと言えばそれは違うのだが、どちらかと言えば、あれ?どうすればいいんだっけ?という軽い困惑が勝っていた。素直に楽しみだと喜ぶのも、それはそれで何か違う気がする。


はて、自分はこんなにも不器用だっただろうか、と思いながら首を傾げる。


複雑に絡み合った、交わり合った、あるいは溶け合った心を眺めながら、それを『不器用』と言い表した自分自身に。


それはさておき、病院にはちゃんと行こう、と改めて思い直す。いつまでもグダグダしているわけにもいかなくなった。幸運にも、先ほどよりは元気が出てきたような気がする。これなら少しは頑張れるだろう。病気は気から、とも言うのだし。


ついでに、髭も剃った方がいいだろう。爪も切った方がいい。


せっかく”アドバイス”を貰ったのだ。久しぶりにデニムでも履いていこうか。


思い立ったらすぐに行動した方がいい。ベットの下のタンスの引き出しを引いて、中からデニムのズボンを取り出した。ベットの上に広げてみると、しばらく履いていなかったせいか、くっきりと折れ目がついてしまっている。

どれだけ服に無頓着だったのかが窺い知れるいい例だ。

これをそのまま履いていくのはどことなく恥ずかしい気がして、けれども今日はこれを履いて過ごそうと心に決める。そうすれば、少しはこのこびりついた折り目も和らぐだろう。


それと、今日は思わずスキップでもしないように気をつけよう。


ちなみに、スーツはちゃんと片づけた。



-終-



-------------------------《おまけ》-------------------------



(-画像を送信しました-)

『みてこれw』

『病院に来たらなんか大事になっちゃった笑』


【ありさ】「え!?大丈夫っすか、先パイ…?」

【ありさ】「無理しないで、しっかり休みんすよ」


『今ヒマしてるか…?』

『ちょうど点滴中で暇だから、少し話し相手になってくれるとありがたい!笑』


【ありさ】「えぇ?ヒマですけど…」

【ありさ】「わかりました、少し話しましょうか」

【ありさ】「なんか気分転換になる話題とかあるっすか?」


『そーだなー…』

『昼飯の話とかか?ちょうどお腹空いてきたし笑』


【ありさ】「先パイは相変わらずですねw」

【ありさ】「病院のご飯ってどうなんすか?」

【ありさ】「普通に美味しいっすか?」

【ありさ】「アリサは最近、家で簡単に作れるパスタにハマってるっすよ」


『あー、一応入院するわけじゃないから、飯はこの後帰って食べるよ笑』

『…てか自分で料理するんだな?そっちの方が驚きなんだけど?笑』


【ありさ】「入院じゃないならよかったっす、安心したっすよ」

【ありさ】「アリサも実はあんまり料理上手じゃないけど、さすがにパスタくらいならつくれるっすよ」

【ありさ】「あとはインスタントラーメンとかっすかね」

【ありさ】「先パイは料理するんすか?」


『一人暮らしだからな~』

『最低限は自炊してる笑』


【ありさ】「偉いっすね!」

【ありさ】「自炊とかさすがっす」

【ありさ】「アリサもちょっとは上手になりたいんですけど」

【ありさ】「今度一緒に料理したりとか、なんてありすかね?」


『お!いいぞ~!』

『じゃあ、今度そっちに遊びに行ったときになんか作るか~笑』


【ありさ】「ほんとっすか?」

【ありさ】「めっちゃ楽しみっす」

【ありさ】「あ、でも作るのは簡単なやつでお願いします…」

【ありさ】「またあとで予定教えてくださいっす!」


『はいよ!じゃあそろそろ点滴終わるから、また後でな!』


【ありさ】「了解っす!」

【ありさ】「楽しみにしてるっすよ~」

【ありさ】「また後でね、先パイ!」



-終-

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