6月10日(月)
━━━━━━夜
寝苦しい夜だった。
寝ているのやら、起きているのやらわからないような意識の中でも、それでも何度も寝返りをうっていたことだけはなんとなく覚えている。
もうじき夏が来るというのに、まだしまっていない羽毛布団の位置が気に入らず、ああでもない、こうでもないと、何度も位置を調整した。ついつい蒸し暑くて、下に履いていた半ズボンを剥ぎ取って、ベットの下に放り投げたことも覚えている。
そうこうしているうちに、ついには我慢できず、すっかり目が覚めてしまった。
なんとなく気分が悪い。頭の中に鈍痛が響く。吐き気はないが、お腹が重い。
何度か寝付こうと目を瞑ってはみるものの、寝苦しさには抗えず、気持ち悪さが増していくばかりでどうにもならない。
仕方がないので、一度起きて顔でも洗おうと、のっそりとした動作でベットから起き上がる。とりあえず水でも飲みかと、冷蔵庫で冷しておいた瓶の蓋をあけて、コップに水を注ぐ。口に含んではみるものの、やはり、というべきか、はち切れそうな腹はほとんど水を受け付けず、コップに残った水は洗面台に捨ててしまった。
昨日、寝すぎてしまったせいか、はたまた大して体を動かさなかったせいなのか、あるいはその両方か。
ともかく、有り体に言って最悪の目覚めだったことは言うまでもない。
少なくとも、今からベットに戻ったところで、寝付けないのはあきらかだった。
こうあってはもうどうしようもない。素直に寝ることはあきらめて、自室にある一人掛けのソファに倒れこむようにして腰を下ろす。
なんだかどっと疲れたような気がする。
一つ、ため息でも吐きたいような気分だったが、その直前でグっと堪える。
今、少しでも変に口を開けば、先ほど飲んだ水がたちどころに逆流してきそうな気がしてならなかったからだ。
代わりに諦めと苛立ちの混じった唸り声のような鼻息を一つ吐いて、頭の重さまでソファに預けてしまう。
せめてこの吐き気が落ち着くまでは、ここに留まることにした。どうせベットに戻っても寝付けやしない。
気づけばあっとういう間に1年ほど使っているソファは、主人のことをしっかりと覚えているようで、一度、体重を預ければズブズブと体が沈み込んでいく。
静かに目を閉じたのは、僅かばかりの抵抗だった。
外の方で、微かに雨音がする。室内まで響いてるということは、それなりの強さなのだろうが、不思議と鬱陶しさは感じない。
しばらくの間、目を閉じたまま雨音に耳を傾けていた。
どのくらいそうしていたのか、次に気が付いた時には、昨日のうちにセットしておいた炊飯器の、調理終了を知らせるメロディーが奏でられていた。
振り返って窓の方を見ると、カーテンの隙間から微かに光が漏れ出ている。
どうやら、いつのまにか眠れていたらしい。
先程よりもずっと気分がいい。
食欲はあまりないが、吐き気はすっかり鳴りを潜めている。ゆっくりと立ち上がると、しばらく座ったままだったせいか、腰のあたりが少し痛むが、この程度なら特に気にならないだろう。
たった今ご飯が炊けたとすると、目覚ましのアラームが鳴るまでは今しばらく時間がある。
カーテンをほんの少しめくって外をのぞいてみると、まだ少し雨が降っているようだった。
今ならベットに戻ってもきっと寝付けるだろう。
目覚ましが鳴るまで、もう一眠りするべきか。
今の時刻を確認するために、机の上に置いてあったスマホを手に取りながら、ぼやけた頭でそんなことを考える。
その時、ふと悪戯めいた思いつきが頭の中をよぎった。
まるでスマホを貰いたての、悪童じみた稚拙な期待を込めて、半分は冗談のつもりで、連絡用のチャットアプリを指を叩く。
いくら相手が"いつでも"と言っていたとはいえ、こんな時間にメッセージを送るのは、いくらなんでも非常識だなと、若干の自己嫌悪に陥りつつも、けれども好奇心には勝らず、気が付けば送信ボタンを押していた。
しばらくの間、色々な角度からスマホの画面に表示されているトークルームを眺めて、さすがにこれはダメだな、と思い返すと、今しがた自身が送ったメッセージを長押しして、削除しようと試みる。
しかし、すんでのところで、彼女は期待を裏切らなかった。
彼女も早起きなのか、あるいはまだ就寝時間ではないのかは定かではないが、彼女の性格を考えるに、恐らく後者だろう。
やはり!と思わず口元が緩んでしまいながら、まさか!と内心で驚いている自分もいる。
自分からメッセージを送った手前、そんなことを指摘するのはどうにも格好がつかないような気がして、あくまでメッセージ上は平静を装いながらも、今の顔は見せられないな、と自分自身に苦笑する。
少なくとも、彼女からの返信は、それだけで感傷的になっていた心を満足させるには十分だった。
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『おはよ。予想通り今日は雨だな…でも登校までに止むか?』
『まあ、この感じだとどのみち洗濯物は乾かないだろうけど涙』
【ありさ】「おはようっす、先パイ」
【ありさ】「雨やだなあ…登校までにやむといいけど」
【ありあ】「洗濯物も困るっすね」
『ほんと参ったよ』
『…てか、学校行く気になったのか?!笑』
【ありさ】「うーん、まだちょっと気が乗らなっすね…」
【ありさ】「でも、先パイが言うなら考えるっす」
『お~?ほんとか~?』
『なら今日の昼食は奢ってやるよ~!今ならデザートにハーゲンダッツもつける!!』
『どうだ?悪くない取引だろ?ニヤリッ』
【ありさ】「え?マジっすか?」
【ありさ】「でも外出るのはだるいなぁ…」
【ありさ】「ちょっと考えてみるっす…」
『あ!それ行かないやつやん!くっ…この程度じゃ陥ちないか、、』
『まあでも、無理はすんなよ~!』
『学校で学べることもそれなりにあるけど、学校じゃないから学べることも多いからな~笑』
『いざとなったら学校の勉強くらいいくらでも教えてやるから笑』
【ありさ】「ありがとうございます、先パイ」
【ありさ】「でもやっぱり家でゆっくりするのも悪くないっすね」
【ありさ】「勉強のことは頼りにしてるっす!」
『あっ!コイツッ!笑…結局、学校に行く気なくなってやがるな!笑』
【ありさ】「だって、外に出るのって結構しんどいっすもん」
【ありさ】「でも…先パイがそこまで言うなら、ちょっとだけ考えてみてもいいっすよw」
『おいおい、その手には乗らねーぞ笑』
『これでも一応はお前の先輩だからな!おちょくろうとしたって、その程度じゃ揺るがないぞ?笑』
『…それはさておき、とりあえず今日も1日家にいるから暇ってことでいいか?』
【ありさ】「先パイ、しぶといっすね」
【ありさ】「今日は家でまったりする予定っす」
【ありさ】「何か楽しいことでも考えてるんすか?」
『お?よくわかったな!笑』
『俺はお前としゃべってりのが一番楽しいからな笑…授業中、退屈でつまらないから時間が空いた時に話し相手になって貰おうと思って!』
『昼間、連絡してもいいか?』
【ありさ】「先パイ、そんなこと言われると照れるっす…」
【ありさ】「連絡、全然オッケーっすよ」
【ありさ】「でも授業中にバレないように気を付けてくださいね」
『テレるなよ笑、こっちまで恥ずかしくなる笑』
『…さて、俺もそろそろ朝飯作って学校の準備するわ~』
『じゃ!また暇なときに連絡する!』
【ありさ】「はい、先パイ!」
【ありさ】「朝ごはんしっかり食べて学校行ってらっしゃいっす」
【ありさ】「またね!」
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チャットアプリを閉じて、スマホを元あった通りに机に戻す。
いつの間にか上がっていた自分の口角に気が付き、緩んだ穂を親指と人差し指で軽く摘まんでみる。
満足感なのか、安心感なのか、うまく言葉には言い表せないが、とにかく心がほっこりしているような気がして、少なくともそれほど悪い気分ではない。
外を見ると、雨もほとんど止んでいる。
今ならばきっと、よく眠れることだろう。
幸いにも、目覚まし時計のアラームが鳴るまでは、まだ時間があった。
-終-
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