ベリー・ベリー・ホワイト

西奈 りゆ

差し向かい

「けっきょく、自分のこと過信してたんですよ」


最近作ったという曲を披露して、彼女はそう締めくくった。曲は単調で、歌詞もたどたどしいというより、無理やり繋げたつぎはぎのようだった。そのままややもすれば暗くなりそうな雰囲気を察した番組MCが無難な答えを返し、周囲も訳知り顔で頷き合う。

次のコーナーに差し掛かるであろう場面で動画は切り替わり、銀行融資の宣伝動画が流れ始めたので、停止ボタンを押した。


つけっぱなしにしていた、スマホ画面の動画サイトに、たまたま流れてきた動画だった。過去の番組の一部を切り取って流したであろうその動画は、昔の有名人が、転落した自分の人生を面白おかしく暴露する、というのがウリのこのコーナーで、俺はそれをカップ麺を啜りながらぼんやりと眺めていた。


このコーナーは追いかけるほどではないが、流れてくればたいてい見るし、先人の知恵とまではいわないが、「気をつけよう」と思わされることもある。

入社式は、数日後に迫っている。これから揉まれる社会の荒波を前に、事前に用心は重ねても過ぎることはないだろう。


俺は、失敗したくない。巻き返すのに必要なエネルギーや、転がるかもわからない運を考えるとうんざりするし、苦労して取った内定先に濡れた布団のようになって通う自分の姿など、想像したくもないからだ。


自分が苦労しているのかなんて考えたことはないが、画面上で20分に切り貼りされた彼らの人生は、ときに波乱万丈の大海原であり、ときに秒針のずれたままの時計のように歪な時を刻んでいるように見える。

前回の特集は、一時話題になった芸人がインタビューに答えていて、合間に何度も昔のネタを挟んできていたのに、逆に痛々しくて見ていられなかった。


風呂上りの髪を、意味もなくがしがしと搔きまわす。

立ち上がろうとしてテーブルに脚があたり、箸が転がる。焼きそばソースが絨毯についてしまい、舌打ちをする。


「自分のこと過信してたんですよ」


いまいち隠しきれない影を見せて笑っていたのは、かつての俺が大好きで憧れた、ソロアーティストだった。


バンドが解散してからファンになり、解散後もボーカリストとして活動する彼女の情報を、高校生だった俺はまばゆいような思いで追いかけていた。

まあ、ぶっちゃけ、恋愛感情のようなものだったが、もちろんアーティストとして、歌い手としての彼女にも、強く惹かれていた。

妹の有希奈ゆきなには思い切り気持ち悪がられたが、フリマサイトで非売品のポスターまで買って、勉強机の隣に飾る程度には、ファンだった。


切れ長の目とショートカットの金髪。気の強そうな顔立ちで、ハスキーボイスでときにしっとりと、ときに豪快に叫びまくる。

4人組バンドでメジャーデビューしてから3年目、8曲目となるシングルでヒットし、その後は何度か、CMソングや、アニメ映画のテーマソングに起用されている。

一回り歳が違う計算になるが、彼女たちの曲は等身大の自分をこれでもかと叩き出していて、自由で、格好良くて。さして道を外さない、言ってしまえばつまらない高校生活を送っていた俺は、ふと手にしたその8曲目に見事にドはまりしてしまい、現役のアーティストを差し置いて、彼女たちの曲に夢中になった。

けれど、ある時期を境にだんだんと彼女たちの音楽は失速していき、14曲目の発表の2か月後、彼女たちのバンドは解散した。


その後の彼女たちの情報は、当然ながらほとんどない。

大学生になった俺は熱が冷めたように音楽を聴かなくなり、仲間とカラオケに行けば無難に流行っている曲を適当に歌うくらいで、音楽そのものと距離ができていた。


だから、その小さなネットニュースの記事で、ボーカリストだった彼女がソロ活動を開始したと知ったときにも、さして何かを思うわけでもなかった。

貼られていた新曲のリンクもクリックして聴いてはみたがいまいち関心がわかず、たまたま目にしたどぎつい顔の新種の深海魚の記事を読み終えると、その頃にはほとんど彼女のことを忘れていた。


「お兄ちゃんの好きだった人っぽい人、この間見たよ」


母親からの電話を奪って有希奈が放った第一声は、それだった。


「は? どこの誰よ?」


地元や大学の何人かの女子の顔が浮かんだが(どこから勘づくのか、有希奈はその手のことを正確に言い当てるのだった)、有希奈の口から出たのはその誰にも当てはまらないものだった。


「『コート・ボウル』の『ステア』。しばらくオタクだったじゃん」


それを言うなら、「ファン」だ。が、言い返しても無駄なことは分かっている。塀から見下ろすネコに、わざわざ高級缶詰めを差しだすようなものだ。そうして反論がないことをいいことに、ポスターを貼って以来、有希奈の中では俺は、「コート・ボウル」、ひいてはボーカルの「ステア」の「元オタク」認定されている。


「ほんとにステアか? つーか、何でお前がそれ知ってんの?」


「んー、似てる。というか、ぜんぜん違うくなってるけど、たぶん本人。それがさー、この前叔母さんに叔父さんのお見舞い届けに行ったんだけどさ、近道して駅裏通ってみたの。そしたらぜんっぜん流行ってなさそうな喫茶店?があって。叔母さんからお金もらったし、喉乾いたから入ってみたら、店員やってたっぽい」


マジか・・・・・・とつぶやいている間に、「有希奈、お金のことなんて聞いてないわよ!」と、母親の声が聞こえてくる。


「やば! 言っちゃった! あ、特別に教えてあげるけど、花添駅の路地裏ね。名前は『からん』。帰ったらなんかおごってね! じゃあね!」


勢いだろう、母親との会話の最中だったのに、通話は切れてしまっていた。

祖父母がやっている畑で取れた野菜を送ってくれるという話は、どうなったんだ。


一人暮らしをして、分かったことがある。

自炊というのが、とにかく面倒くさい。


そして、引っ越したこの町では、何もかもが高い。

実家では100円で買っていたキャベツ1玉が、400円もする。

飛び出るような値段の刺身も皆どんどんかごに入れていくので、半額を狙うこともできない。ベタだが、もやしの消費量が格段に増えた。

べつにもやしの悪口を言いたいわけではないが(むしろ感謝している)、つまり最近、これというものを食べていない。

真新しい革靴の横に置いた、履きつぶしたスニーカーを履いて、俺は玄関を出た。


各駅停車の電車で6駅先。有希奈のざっくりした、案内ともいえない案内を頼りに路地裏に足を運んでみたら、意外にも目指す店はすぐに見つかった。

なぜなら、通りに開いている店がほとんどなかったからだ。


「喫茶 からん」


勝手に木目調の建物を想像していたが、プラスチックのようなそっけない白の看板に、赤文字でそれだけ書いてある。メニュープレートはなく、店先のショーウインドーには、いつの時代の代物か分からないオムライスとパフェのレプリカが、うっすらほこりを被ったまま並んでいる。

シャッターだらけのこの通りでは、もはや「からん」というより、「がらん」だ。

斜め向かいの八百屋では、ひっくり返した酒屋のケースに座って、じいちゃんとばあちゃんが何やら話している。ばあちゃんの手提げカバンからは、少し葉がしなびた大根がのぞいている。

いつも思うのだが、こういう店はどうやって経営しているのだろう。客足に対して、品物が多すぎるんじゃないか。

余計なことを考えているとばあちゃんとばっちり目が合ってしまい、慌てて俺は店のドアを開いた。


はたして、「ステア」は、いた。

茶髪になっているし髪も長くなっていて、番組の過去回で見たときの印象と若干違っているが、切れ長の目と、注文を取りにきたときに訊いた独特のハスキーボイス。

おそらくだが、間違っていない。


「オムライスー、コーヒーでーす」


カウンター越しに初老の店主らしき男に声をかけると、ステアはなんと、そのままカウンターに座ってしまった。ちなみに俺の席は、一番奥の4人掛けだ。

出入り口を向いて座ってしまった俺は、必然的にステアが視界に入る格好となり、目のやり場に困った。窓の外を見ようにもなにやら曇っていてよく見えないし、必勝アイテムのスマホは、充電器が外れていたのか、充電がほとんど残っていない。こういう店には週刊誌や雑誌みたいなものがあるんじゃないかと思ってみたら、昭和の時代から拾ってきたんじゃないかというような褪せた新聞が乱雑に積み上げられているだけで、目を通すものがない。


とうのステアはというと、コーヒーを運んだきり、Gパンの脚を組んでなんとスマホを眺めている。とりあえず、コーヒーを口に含む。さして特徴のない、「うん、まあ、コーヒーだよね」というような、ようするに可もなく不可もない味がした。


これで一杯500円は、高いのか、安いのか。

カウンターの中では、この場合「マスター」というべきか、店の主人が卵をとく音が聞こえている。

















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