第十六話 政元慈雲院会談之事

 文亀三年(一五〇三)九月、政元の姿は阿波にあった。元一が独断で交渉した六郎養子の件について、慈雲院じうんいんと会談するためであった。

 言うまでもなく京兆家は細川の嫡流であり、当主政元は細川全体の惣領として君臨していた。いかに阿波守護家とはいっても家格でいえば京兆家に次ぐ。なので本当なら阿波守護家の方から京都に足を運ぶのが筋だったが、この当時、阿波守護家の実質的統率者は慈雲院道空だった。慈雲院といえば政元より三十歳以上年上のいわば一族の長老だ。この年齢差と累年の武勲は家格ですら覆すに十分だったのであり、慈雲院相手に「上洛せよ」と命じることができない政元は、自ら阿波に足を運ぶ次第となった。

 文明五年(一四七三)五月に父勝元が没したとき政元は八歳の小童こわっぱに過ぎなかった。しかし大乱の真っ只中ということもあり、時代はそんな少年にも安穏を許さなかった。政元は典厩政国と、そして慈雲院(当時は成之)に伴われ幕府に出仕し、総大将として東軍を総攬しなければならない立場に立たされたのであった。

 遡ればこの当時の記憶が、政元の隠遁志向の根本になったのではないかと思う。

 閑さえあれば略奪狼藉、味方同士での乱闘騒ぎは日常茶飯事。戦いに勝つためとはいえどこの馬の骨ともしれぬ足軽を大量に囲い込んだがゆえに陣中は常に物騒だった。騒ぎが起こるたびに政元を叱責する慈雲院ほか周りの大人たち。

「総大将のそなたがしっかりしてないからこうなるのじゃ」

 政元はたしかに父の跡を継いで東軍総大将になりはしたが、だからといって諸人すんなり言うことを聞いてくれるわけでもなく、自分には責任のない味方同士のいざこざが原因で親戚の怖いおじさんにこっぴどく叱られる日々が続くと

(誰も言うことを聞いてくれない総大将に、何の意味があるのか)

 湧いてくる疑問を抑えられなかったことだろう。

 政元少年にとっては、ときおり攻め寄せてくる敵よりも、常に周囲にあってトラブルの種を蒔き続ける味方の方がよっぽど怖かったに違いない。

 誰を頼ることもなく、また誰に担がれることもなく、家や幕府といった面倒な諸事から逃れるためには、空を飛んで逃げるしかない――。こんな考えに至るのはごく自然のことだったように思う。

 政元の奇行の第一に、天狗の修法を身に着けるため自らに女犯にょぼんの禁を課したことを挙げる人は多い。しかし当時の政元が置かれていた、あまりにもままにならない状況を改めて鑑みれば、子を成すことで生じる様々な社会的制約を嫌った結果ではないかと思われてくる。

 現代でも

「嫁や子供さえいなければこんな会社辞めてやるのに……」

 から始まるサラリーマンの愚痴は定番だ。政元も似たようなことを考えていたのだろう。

 あまりに卑近な例にたとえて歴史上の偉人を貶めるのが本稿の目的ではない。余談はこれくらいにして本題に戻ろう。

 挨拶もそこそこに本題を切り出す慈雲院。

「屋形は先般、実相院じっそういん義忠ぎちゅう殿を生害したそうじゃがまことか」

「はい。大樹御意向に従って。本意ではございませなんだが……」

「そのうえで六郎を養子に欲しいと……」

「はい」

 嘘である。六郎を養子になどと言った覚えはない。元一が澄之の処遇を勝手に解釈し、独断専行したことだ。

 しかし政元は慈雲院に対してだけはそんなことを言えなかった。

 もし正直に

「こたびの申し入れは元一が勝手にしたこと」

 などと言おうものなら、内衆の行動を制御できていないことを咎められて

「そなたがしっかりしてないからこうなるのじゃ」

 またぞろそのように叱責されることは間違いがないことだった。

 元一の行動は政元の与り知らぬ事ではあったが、もはや既成事実として、政元から正式に六郎養子を申し入れるしかなかったのである。家中の輿論もそれを求めている。忌々しいが仕方がない。

 鋭い眼光を政元に向けて続ける慈雲院。

「大内との争いに当家を巻き込むおつもりか」

「さにあらず」

「嫌でもそうなる」

「そもそも大内と当家は不倶戴天の敵。義忠殿を生害しようがしまいが、どのみちいくさは避けられない運命にあるのです。そして讃州殿(阿波守護家)も当一族であってみれば、大内といくさするにあたって当家に味方しないというわけには参りますまい。六郎養子の件と大内とのいくさとはまったく関係がございませぬ。それとも慈雲院殿は、当家と大内がいくさになっても、当家に味方していただけないと、まさかこう仰せなのですか」

「そのようなことはないが……」

 政元にとって元一の独断専行が忌々しいことに変わりはなかったが、しかし冷静になって考えてみれば六郎養子には有形無形の利点があることに気付かされる。阿波守護家の武力をアテにできるというのもそのひとつだったし、なにより澄之を一代限りの主と定めることさえ出来たならば、やがて血統を細川に戻すことができるというのは大きな利点だった。

 政元は畳みかけた。

「摂関家の血を引く貴人とは申せ細川の血が流れていないために、九郎(澄之)に対する家中の風当たりは強うございます。家中に動揺が生じていることは事実でありそれがしの不徳のいたすところ。どうかどうか、慈雲院殿にご助力賜り六郎を当家養子に迎えとうございます」

 慈雲院から見ればかつて面倒を見た頼りない少年だった政元も、いまや三十九歳の壮年。京都では将軍義澄を支えて「半将軍」と呼ばれるほどの権勢を誇る京兆家当主が頭を下げたのだ。慈雲院自身も、澄之派さえ打倒できれば六郎の血統が京兆家を継いでいくことになるわけだから、そもそも悪い話とは思っていない。

 政元と慈雲院というトップ同士の会談によって、六郎養子の件は正式に決定した。政元が元一の独断を追認した形だ。

 一方で、発案自体が優れているからといって越権行為に及んでいい道理はない。政元の元一に対する憎悪は頂点に達しつつあった。

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