第十五話 慈雲院道空之事

 文亀二年(一五〇二)九月、聡明丸そうめいまるは新たに九郎くろう澄之すみゆきの名乗りを挙げ、丹波守護に任じられた。政元は澄之を嫡子と定め、内外に広く告知したのであった。

 これを伝え聞いた薬師寺元一は

「すみもと殿ではなく、すみゆき殿と名乗られたか」

 と呟いた。

 字を読めない元一だったが音は聞けば分かる。

 澄は将軍義澄から賜った偏諱である。幾つかの例外はあるが、京兆家当主は代々将軍から偏諱を賜り、その下に京兆家の通字である「元」を組み合わせるのが通例となっていた。

  義満(三代)→満元

  義持(四代)→持元

  義勝(七代)→勝元

  義政(八代)→政元

  義晴(十二代)→晴元

  義昭(十五代)→昭元

 このような具合だ。

 通例どおりであれば聡明丸は「澄元」を名乗るはずだった。それが何故「澄之」なのか。

(或いは先の話、汲んでいただいたのかもしれん……)

 名前だけではない。澄之が摂津ではなく丹波守護に任じられたことも、澄之廃嫡を願う元一視点から見れば、廃嫡に向けて政元が張った伏線のように思われてくる。

 摂津といえば京兆家の基幹領国だ。ここを継承して初めて京兆家当主としての実質を備えるのであって、それが丹波守護に任じられたということは、やはり澄之は政元の勘気を蒙って冷遇されていると元一は解釈した。

 しかし政元から見れば、摂津守護代薬師寺元一が澄之を見限っていることは、先の問答を経たいま明らかであり、そんな守護代と澄之をペアにできないという、ただそれだけの話だった。 

 政元ははっきり

「澄之を嫡子とする」

 と宣言しているのに

「澄之は政元の後釜ではない。六郎養子の件、了承してくれたに相違ない」

 かくのごとく早合点してしまったのであった。諸般の情勢を無視して己が願望ひとつにすがるあたり、人間とはまことに業の深い生き物と思われる。

 この人事を受けて、元一は波々伯部ほうかべ盛郷もりさと等と相語らってさっそく阿波に渡った。慈雲院に談判し、六郎を養子にもらい受けるためであった。政元も与り知らぬ明かな越権行為であった。

 ここで阿波守護家について簡記しておこう。阿波守護家は幕府第二代管領細川頼之の弟詮春を祖とする。ちなみに「詮」は二代将軍足利義詮からの偏諱である。

 慈雲院じうんいん道空どうくうこと細川成之しげゆきは阿波守護家第五代当主であり、永享六年(一四三四)年生まれでこのとき既に六十九歳、当時としては異例の長命だった。先にも少し触れたが、経歴が長いぶん誇る武勲も並大抵ではなく、さすがに高齢とあって家督こそ孫の之持ゆきもちに譲っていたものの、未だ若年の孫を後見して家中に隠然たる影響力を保持していたのだった。

 もちろん元一も、慈雲院を動かさなければ阿波守護家が動かないことなど重々承知している。主君政元の上意を騙ってまんまと慈雲院との談判にこぎ着けたのであった。

 しかしそこは歴戦の古強者慈雲院。若年の元一ごときにそう易々と騙されない。

 痩せて、かつ禿げ上がった頭の形状は生きた髑髏しゃれこうべのごとく。歯のすべて抜け落ちた口をもごつかせている様子はそこらの田舎爺いなかじじいそのものであったが、放つ妖気と眼光の鋭さだけは尋常ではない。元一の言葉に籠められた裏の裏まで見透すかのごとき視線であった。

 不意に慈雲院が口を開いた。

「屋形(政元)が六郎を養子に欲しているという話は分かった。家中の意見もあるよってにすぐにはどうこう言えぬ。いま少し待て。ところで先般屋形が実相院じっそういん殿を生害したと聞いたがまことか」

 慈雲院は、年齢を思わせないほど力強い声で問うた。歯をほとんど失っていた慈雲院は、他者にとって自分の言葉が聞き取りづらいものであることを良く知っており、腹の底から声を発するように心がけていたのだった。年齢と較べて不自然なほどにはきはきとした物言いが、聞く人をよりいっそう威圧する。

 元一は答えた。

「まことでございます。大樹御意向に従って……」

 聞いて何やら独り言のように口をもごつかせる慈雲院。聞き取ることができなかったが、元一には

「ふうむ、大樹御意向のう……」

 と独りごちたように聞こえた。慈雲院は続けた。

「六郎養子にこと寄せて、我らを大内との合戦に引き摺り込むか」

 図星であった。慈雲院が警戒するのも無理はない。もとより元一とて隠すつもりはなかった。

「御明察のとおりでございます。聡明殿では心許ないがゆえに、先般それがしが屋形に諫言申し上げましたところ、その場ではかえって叱責賜りました。しかしこたび聡明殿は新たに澄之の名乗りを与えられ、敢えて澄元の名乗りを与えられなんだ所以は、それがしの諫言申し上げた次第を屋形に汲んでいただいたゆえでございます。どうか阿波守護家のご助力を賜り、大樹御為おんために馳走あらせられんことを……」

 元一が本当に政元の意を受けてここにいるのか、それとも単なる騙りなのか。それはいますぐには知り得ないことであった。

 幾多の戦塵をくぐり抜けてきたリアリスト慈雲院にとって重要なことは、降って湧いたようないまの状況を、阿波守護家有利になるよう如何にコントロールするかだ。

 自分が政元だったらどうするだろうか。

 元一に代表される反澄之派の言い分は

「澄之では血統も力量も足りず、後継者としての資質を欠いている」

 これである。

 六郎を養子にできれば阿波守護家の武力が加わることになり、武的力量の不足を補うことができるし、加えて澄之を一代限りの当主と定めることさえできれば、以後を六郎系で継承させてゆき、血統を細川に戻すことができる。

 たしかに京兆家にとっては利点が大きい案であった。

 しかし京兆家と一体化することにより、阿波守護家は京兆家の天敵大内との対決に引き摺り込まれることになるのである。もとより京兆家もその効果を狙っている。なにより六郎を京兆家に放り込めば、すでに形成されているだろう澄之派との、血で血を洗う抗争は避けられまい。

 しかし……とも思う慈雲院。

 義忠を殺したのは飽くまで政元だ。六郎は義忠殺害にはなんの関係もない。阿波守護家と大内との対決は決して不可避ではないはずだった。

 さすがに澄之派との抗争は不可避だろうが、それに打ち克つことさえできれば京兆家の家督すら簒奪できる可能性があるわけだから、六郎養子の件は阿波守護家にとって悪い話ばかりとは言えなかった。

「相分かった。六郎養子の件は家中によろしく諮ったうえで沙汰いたすゆえ、いちど国へ帰れ。屋形によろしく伝えてくれ」

 元一に帰国を促してから慈雲院は右筆を呼んだ。大内おおうち義興よしおき宛に文書をしたためるためであった。

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