第十三話 聡明之事
「そのような大事をなぜ屋形お一人でお決めになったか」
と諫言めいたことを言うので、政元は老臣の剣幕を前に
「大樹のご命令じゃ。仕方があるまい」
釈明しなければならないほどであった。
義忠殺害は、元家のみならず家中の多くに不安を抱かせた。不安を抱いた一人が摂津守護代
義忠を殺害したことによって、政元は
今もその関係に変わりはない。大内義興が今回の義忠殺害を奇貨として、義尹を奉じ政元討伐と号して上洛の軍を起こしたならば、主戦場になるのは摂津だった。いくら武勇自慢の元一でも、大内分国である周防、長門、筑前、豊前四ヵ国の軍勢を受けて勝てる自信はさすがにない。
(単独では抗いがたい。頼れる相手が欲しい)
要衝摂津を預かる元一にとって、政元が義尹陣営と和睦できなくなった状況は、切実な問題であった。
ここで政元の後継者問題に触れておかねばなるまい。
修験道に凝るあまり、政元が自らに
本邦において摂政、関白、太政大臣に就くことができるのは、藤原北家嫡流の近衛、九条、一条、二条、鷹司の五家(五摂家)とされた。
細川京兆家からしてみれば、五摂家に連なる貴人の血が入るわけだから家格の上昇が見込まれる利点があったし、九条家からしてみれば、荘園押領が横行して貧窮するなか、諸大名のうちでも比較的裕福だった細川京兆家の後ろ盾を得られる利点があった。
ちなみに聡明丸の父政基は、貧乏が行き過ぎたことで
少々乱暴な言い方になるが、これを現代風にたとえるならば、本社社長或いは会長クラスが、フランチャイズオーナーの経営する一コンビニエンスストアに自ら乗り込んできて、経営に関しあれこれ口出ししてくるような事態に似ている。相当な異常事態であり、五摂家の当主クラスでさえここまでしなければ収入が得られないほど困窮していた当時の事情を物語っている。
銭の流通量が不足して日本全体が貧困化していた当時の事情は先に述べたとおりで、そんななかでも荘園経営は、安定して収入が得られる数少ないツールのひとつだった。
得体の知れない怪しげな連中が荘園経営に名乗りをあげ、
「ならばやってみせい」
とばかりに任せてみたら、契約どおりに年貢を納めたのは最初の数年だけ。あとはやれ飢饉がどうだの荘民の
これを嫌って政基のように直接家領に赴き、年貢収公を試みることを
政基にしてみれば、今後も続くはずだった直務の参考書として書いたつもりだったものが、思いもよらないかたちで重宝されているかたちだ。あの世の政基が知れば閲覧代を請求してくるかもしれない。
後継者聡明丸の実家はかくも貧乏。薬師寺元一はその聡明丸の後見に付けられ、九条の実態を知ってしまったからかどうかは分からないけれども
「銭も武力も持たぬ九条は頼りにならぬ。御家(細川京兆家)に血が繋がってもいない聡明殿よりも、讃州家(細川阿波守護家)より六郎殿をお迎えした方が良いのではないか」
との考えを持つに至った。
ちなみに讃州家の「讃州」は、細川阿波守護家当主が代々讃岐守の官名を名乗ってきたことに由来する。讃州家は朝廷から讃岐守の官職を賜り、幕府から阿波守護職を任され阿波を支配し、讃岐は京兆家の分国だった。少しややこしい。
あるとき元一が、同僚
「近年の聡明殿と屋形(政元)のご関係はいかがであろう」
と心配する風を装って訊ねると、盛郷は答えた。
「大きな声では言えぬが相当悪い。なにが悪いと言って、聡明殿にこと寄せてあれこれ銭を無心してくる九条の
「聡明殿はお気づきか」
「無論。近年の冷遇を察し、これもすべて公家の出ゆえかとひとり得心なされ、勇ましく振る舞わねばならぬと心がけておられるのは分かるのだが、それが空回りしてむしろ蛮勇を振りかざすがごとき行いが目にあまる。ゆえにますます屋形より遠ざけられている。良くない流れだ」
「……なんとかせねばならんな」
「そうはいってもどうする」
盛郷は良策を思い浮かばないようだった。元一は言った。
「わしはつねづね、讃州家の六郎殿をと考えておる」
「屋形の跡取りにか……!?」
政元と聡明丸の関係改善を図るのではなく廃嫡――。論理の飛躍に盛郷が驚くのも無理はなかった。しかし元一は思うところを滔々と語るばかりであった。
「左様。まずもって持っている武力のほどが違う。讃州家ともなれば西国でも屈指の武家。九条が持たぬ力を讃州は持っている」
いまは隠居の身だったが、
「それに阿波という領国の位置が良い」
義尹を擁して瀬戸内を東進してくるであろう大内を真っ先に迎え撃つのは讃岐武士団になるはずだった。讃州家の領国阿波は南から讃岐武士団の後ろを支える位置にある。万がいち讃岐が抜かれた場合でも、摂津と阿波から大内を挟撃できる。
敵四ヵ国に対し阿波一国という不安要素こそあったものの、京兆家は摂津、丹波、讃岐、土佐の四ヵ国支配だ。六郎を養子に迎えることで京兆家と阿波守護家が一体になれば、五ヵ国となり大内を上回ることになる。これ以上の良策はないように思われた。
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