第十一話 実相院義忠生害之次第(一)

「義忠殿を殺す? いったい何の咎があって……」

 政元は青ざめながら義澄よしずみに訊いた。

 実相院じっそういん義忠ぎちゅう。前将軍義尹よしただの異母弟。

 九年前(明応二年、一四九三)の政変後も、義忠は変わらず在京を許されていた(第十九話『義材公御弟妹之事』参照)。義忠の兄で慈照寺に入った維山いざん周嘉しゅうかも政変後の在京を許されたが、彼はその後、兄義尹を追って北陸に渡っている。在京している義尹の係累は、いまや実相院義忠ただひとりとなっていた。

 もし義尹が上洛の軍を起こせば、洛外に所在する唯一の義尹方拠点として実相院が利用される恐れはたしかにあった。義尹上洛の風聞は定期的に流れ、依然として予断を許さない状況が続いてはいたが、しかしだからといって、たったひとり在京している義忠にいったいなにができるというのか。

 義忠本人も自身の無力をよく理解している。兄と従兄の争いなど自分には関係ないもののごとく恬淡として振る舞い、毎日を仏に尽くして折節将軍への挨拶を欠かさない殊勝な態度からは、義澄に対する逆意などほんの欠片ほども見受けられなかった。

 何度も繰り返すが、政元が義尹を逐ったのは、畠山政長に唆されて起こした河内討伐軍が摂津に対する脅威になっていたからだ。義尹本人に対する個人的な怨恨など政元にはひとつもなく、当時既に僧籍に入っていた義尹の弟妹に対してとなると尚更だった。

 むしろ政元は、変後も変わらず慎ましい生活を送り、今日までおかしな動きひとつ見せてこなかった義忠に感謝したいくらいだった。もし義忠の周辺にきな臭いうわさのひとつも立ち上ってしまったなら、義尹の異母弟という立場からいってもこれを生かしておくわけにはいかなくなり、そうなってしまえば義忠殺害の汚れ仕事は政元のもとに舞いこんできたことだろう。謀反のみならず僧侶殺害の大罪までをも犯すことは、政元の望むところでは断じてなかった。

 義忠の謹厳な態度が、そのような流血の惨事を今日まで防いできたのである。

 どこからどう見ても罪なき義忠を、何の咎があって殺さなければならないのか。

「咎などない」

 冷え切った義澄の声。

「ではなぜ」

「そなたのせいじゃ」

「……」

「そなたが余に忠節を尽くさぬから、義忠を殺さねばならなくなった」

「それはあまりといえばあまりの仰せ。大樹を大樹たらしめたのはそれがしが用途を献上したからではございませぬか。それを不忠とは……」

 政元が色を成して反論する。

 もっとも、政元だって分かっているのである。これまで政元が義澄に対して尽くした忠節など将軍任官くらいしかなかったことを。

 その前段階である加冠の儀ですら

「烏帽子を被りたくない」

 という不可解な理由で延引したのはどこの誰だったか。

 あまつさえ主上の即位式典までをも怠り、それがために義澄は、いまこのときも満天下に恥をさらし続けているのである。

 義澄に言わせれば、政元不忠の証拠は挙げれば切りがなかった。

「帝の即位式典のことはどうなのじゃ。これを怠ることは余のみならず主上に対する不忠の最たるものではないのか。

 もっとも、銭がないゆえに執行できぬ事情は分かった。ないものを求めるほど余も話の分からん男ではない。よってそなたには他の方法で忠節を示してもらうことにしたのじゃ。

 いまいちど政元に命ずる。実相院義忠を殺害せよ。余の命令に従って罪なき義忠を誅殺し、余に対する無二の忠節を示すのじゃ。

 何者か被官人に命じることはまかりならん。必ずそなたの手によって義忠を誅殺いたすべし。一部始終は目付をもって見届けさせる。義忠の死を見届けさえすれば、余は必ずや帰洛するであろう」

 尋常ではない。忠節を求めるに無辜の命をもってするなど……。

 或いは

(血なのか)

 義澄の祖父義教が、「万人恐怖」の政治を敷いたことは当代でも広く知られた事実であった。甥で五代将軍だった足利あしかが義量よしかずが夭折したことにより急遽将軍になった義教は当初、幕府内になんの権力基盤も持っておらず、その義教が権力を掌握するために多用した手段が殺人だった。

 義澄もまた同じことをして、その手を血で染めるつもりなのか。

 義忠殺害の件、断ったとしよう。義澄は本当に出家してしまうかもしれなかった。将軍の地位にこだわったところで、どうせ思いどおりにいかないのなら続けていてもたしかに意味がない。

「神輿は軽いに越したことはない」

 などとよく言われるが、その発想が行き過ぎて神輿そのものをなくしてしまえば、結局は担ぎ手だって必要なくなってしまうのである。新たに神輿をこさえる銭もない。

 なにかにつけて反りが合わない義澄を、政元がそれでも見棄てられない理由がこれだった。

 翻って義澄の視点から見れば、義忠殺害には二つの利点があった。

 ひとつは自分に取って代わる可能性がある潜在的な政敵の排除。

 いまひとつが、政元に義忠殺害の実行を担わせることで、政元と義尹の和睦を不可能たらしめることであった。義尹の、政元に対する敵意を決定的なものにしようとしたわけである。

 そもそも政元と義尹は不倶戴天の敵ではなかった。事実、いちどは和睦が成立しかけたこともあった。義澄はそのことをよく覚えている。政元に請われて昇った梯子を危うく外されそうになった、あの不安な日々を……。

 これら義澄の意図は、政元にとって理解できないことではなかったが、だからといって罪なき義忠を殺せとは……。

「……恐ろしいお人じゃ! 恐ろしい大樹よ!」

 政元の恫喝に怯え、寺を出たくないと喝食かっしきの手を必死に掴んで離さなかったかよわい少年僧の面影は疾うの昔に消え去っていた。恐ろしい大樹を作り上げてしまったのは政元自身なのである。こうなるまでの経緯を客観的に見ればそういうことになる。

 政元は義澄の命令に従わなければならなかった。

 将軍上使が実相院に向けて出発したのは、政元が義忠殺害を承諾してすぐのことだった。金竜寺から実相院までは目と鼻の先、十町(約一〇九〇メートル)にも満たない距離だ。それだけ近くにいるのだから、

「将軍在所まで挨拶に来い」

 というのは、まったく不自然でもなんでもない命令であった。むしろそんな近くに将軍がいるのだから、挨拶に赴くためにも近くまで来ていることを教えてもらわねば困る、というのが当時の常識であった。足利の係累である義忠に対してとなるとなおのことであった。

 かくのごとくして実相院義忠は、単に従兄で将軍の義澄に挨拶するという、ただそれだけのつもりで、しずしずと、実にしずしずと金竜寺に姿を現したのであった。

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