第九話 大樹御出奔之事(一)
事の次第は
「で、そなたはその話を受けたのか」
政元の顔がみるみる不機嫌に歪んでいく。もとより悪気のない宗益にとって、政元の反応は心外のことだった。
「はい。身に余る栄誉と思い、承りました」
「念のために聞いておくが、そなたいくら必要か知っていて請け負ったのか」
「存じ上げませぬ。いちおう見当はつきますが……」
賄えん額ではあるまい、と見くびっている様子が手に取るように分かる。あからさまに苛立った様子を見せながら、政元が訊ねた。
「言ってみよ」
「およそ一千貫」
「ふんっ!」
鼻であしらって政元が続けた。
「
「一万貫……!」
聞いたことがない巨費だ。ただしこれには少々解説が必要である。
寛正の即位式典費用をもとに政元は一万貫と言ったのだが、今上帝の即位式典はもう少し安く済むはずだった。というのは、前回は後土御門天皇の父、後花園天皇の譲位式典も抱き合わせで執行したから一万貫もの巨費が必要だったのであり、後土御門天皇が崩御あらせられたいま、前回は必要だった譲位費用が今回はかからない。
天皇が譲位して上皇になるためには、
「三十ヵ国で分担したものを、十七ヶや奈良の寺社領ごときで何ができるか。図に乗るのも大概にせよ。今から行ってやっぱりできませんと将軍に詫びてこい」
「そ……それは……」
武士たる者、いちど承った主命を断るわけには参りませぬ云々、この期に及んで建前論を口にする宗益に業を煮やして政元が言った。
「そなたが言えんならわしから将軍に伝えてやる」
「……お願いいたしやす」
「馬鹿者!」
恥じて自ら将軍のもとに行くことを拒んだ宗益に代わり、政元は即位式典の用途捻出を断らねばならなかったが、もとよりそのことで大もめにもめ、政元自身が出仕を拒んでいた折のことだった。ここで義高のところに行き、
「宗益は即位式典の用途は出せないと申しています」
などと直接言上しようものなら、またぞろ義高と不毛のやりとりをしなければならなくなるだろう。
義高と会うことを嫌った政元は一計を案じ、
「分不相応の任を受けた宗益に謀反の心根あり。よって討伐いたす」
と広く宣言することとした。
もとより政元にそんなつもりはなく、宗益も諒解のもとで流した雑説にすぎなかったのだが、これには市井の人々が驚き慌て、また伝え聞いた義高も耳を疑った。
「いま宗益が討たれたら、いったい誰が即位式典費用を負担するのじゃ!」
義高は慌てて政元のもとに使者を派遣した。宗益討伐を思いとどまるよう求める使者であった。
義高の制止を受けて政元は宗益討伐の軍を止めると約し、ことは終熄した。
騒動が終わった後も政元は相変わらず出仕を拒み、宗益による即位式典費用負担の話も、
「主の勘気を蒙った身でありながら、ひとり朝恩の栄誉に浴するあたわず」
などと、らしくもない殊勝なことを言って宗益自ら辞退したことで、うやむやのうちに沙汰止みとなった。宗益からしてみれば、義高に担がれて危うく身の丈を超える巨額の出費を強いられそうになっていたところを、やや乱暴ながら主君政元に救ってもらった形だ。
これで即位大礼の挙行はまたも暗礁に乗り上げることとなった。すべて政元の目論見どおりであった。
義高が金竜寺に出奔したのは、それから三ヶ月ほど経ってからのことであった。なおこの間に、義高から
政元が出仕拒否に及んだのは、到底賄うことなどできない巨費を出すよう求められたからであり、正当な言い分があった。しかし義澄が出奔した行為には、正当な理由がない。少なくとも政元はそう考えている。
大方、久しぶりに出仕した政元と顔を合わせることを嫌ったためであろう。
(いつまでも子供じみた公方よ……)
やれ寺を出たくないだの将軍になどなりたくないだのと騒ぎたて、あげく新帝即位式典にいくらかかるのかも知らず、ない袖を振るよう求めて癇癪を起こす義澄は、政元にとってはいつまで経っても手のかかる出来の悪い子のようなものであった。
とはいうものの、このまま義澄に寺籠もりを続けられたら、困った立場に追いやられるのは政元の方だった。
政元が京都にいられるのは、将軍義澄を輔弼する立場だったからだ。それを自覚していたからこそ、政元は嫌々ながら幕政に復帰したのである。
そして、政元が支えるべき義澄が出奔するということは、政元が京都にいられる根拠がなくなるということを意味していた。
もし義澄が京都から消えたとしても、政元が新帝即位式典を挙行したというならまだ正当性を認められようが、それでさえ怠っているのだ。
寺に入った義澄は、政元に対して
「いつでも出家できるんだぞ」
と脅しをかけている形であった。もし義澄がこのまま本当に出家してしまえば、政元は分国でもない京都に根拠なく居座っているということになる。
いちおう洛中の寺々には、義澄の代わりとなるべき足利の係累もありはしたが、もしそういった連中を新たに将軍として担ぎ上げるとしたら、またぞろ巨額の出費を強いられるのは、他ならぬ政元自身なのだ。
政元は、たとえ嫌いであっても義澄に帰ってきてもらわねばならなかった。
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