第八話 政元出奔之事
義高とひとしきりやりあった後、政元の姿は安富元家の邸内にあった。
「大樹は即位式典にいくらかかるかご存じないのであろう!」
怒りが収まらない様子の政元。
これまでたびたび登場している安富元家は、延徳の六角征伐で優勢な幕府方の先陣を務めておきながら陣地を失陥したり、
ほんらいこのような政元の放言は、他人に聞かれるわけにはいかない類いのものであった。
戦国時代といえば下剋上、とイメージされがちだが、儀礼がまったく無視されていたわけではなかった。時代は混沌の度を増しつつあったが、だからといって皆が皆、好きこのんで争っていたのではない。無用の軋轢はなるべく避けようと努力はしていたのである。儀礼はそのために必要だったのであり、下剋上のなんのと言ってはみても、結局武家社会は一貫して高度儀礼社会だった。
このような社会では、本心を隠して他人と接するのが標準的な振る舞いになる。いきおい
「自分はいつも本心と異なることを言っている。他人もそうに違いない」
という疑心暗鬼が芽生えてくることになる。
いわば上下の別なく全員が全員、疑心暗鬼に駆られていたのであり、上の者は、普段どんなおべっか使いの家臣に対してでも、その者に謀反の動きありと察知すれば有無を言わさず即座に誅殺する必要があったし、下の者は謀反を決意したならば、どんなに親しい相手に対してでもギリギリまで秘事を打ち明けてはならず、ここぞというところで実行に移さなければならないというのが不文律だった。
後代の我々から見て、理由がよく分からないまま家臣が誅殺される事件がこの時代に散見されるのは概ねこの理由による。ふと本音を吐露したところ、誰かに聞かれて密告され、謀反の心根ありとして誅されたのであろう。
逆もまた然りで、本能寺の変などが良い例だ。もし明智光秀が天下を確定させておれば、自らの正当性を主張するためにも後代に伝わる方法で謀反に至った理由を書き残しただろうが、そうなる前に秀吉に敗れ去り横死を遂げることとなった。不文律を遵守し、ギリギリになって秘事を打ち明けた数少ない近臣ともども死んだ光秀の本音は、いまもって闇の中にある。
そんな時代の当事者政元が、それでも元家の前では本音を隠さない。それほどまでに老臣に対する政元の信頼は篤かったわけだが、本音を聞かされた元家としてはたまったものではなかった。邸内には安富の中間や小者がうろうろしており、襖一枚隔ててこういった連中が聞き耳を立てていないとも限らなかったからである。
上下関係が強固だった時代、自分が成り上がるに最も安直な方法は、他人の足を引っ張ることだった。上の者の発言を、更に上の者に密告することで手柄を挙げ、成り上がろうという者は決して少なくなかった。こういった連中の口を経由して、政元の放言が義高に漏れ伝わるおそれは十分あった。
なので元家は
「そのようなことは仰せでない」
子供のように癇癪を起こした政元に諫言しなければならなかった。しかし政元は止めなかった。
「
寛正六年(一四六五)に挙行された先帝(後土御門天皇)即位大礼の用途は、約三十ヵ国の国役で賄われたのである。そのような巨額を、細川京兆家が知行する数カ国の分国で負担しきれるわけがない。
政元の主張は正論だった。細川京兆家には、管領として代々朝儀を取り仕切ってきた家伝が伝わっており、即位式典を経験したことがない政元も、家伝によって用途の巨額なるを知ることができた。しかし義高は将軍であり、いわば貴人だ。貴人は銭の心配などしなくて良いから貴人なのである。いくら政元が憤慨してみせたところで、義高は将軍としての立場に
「人に聞かれたら如何なさるおつもりじゃ!」
たまりかねて声を荒げる元家。
「如何も何もあったものか! 間違ったことは言っておらん」
要するに政元は、自分の発言が義高に漏れ伝わったところでどうすることもできまいと見切っていたのであった。
案の定と言うべきか、やはり政元の放言は義高に伝わったが、いみじくも政元が看破していたように、政元の本音を知ったところで義高が政元を誅することなどできはしなかった。
しかし政元が即位式典の用途を捻出しないというなら、義高はそれを別の者に命じるだけのことであった。義高は、細川京兆家内衆でいま一番羽振りの良かった
「ずいぶんと羽振りが良いらしいな」
将軍の問いかけに
「ははっ」
ひれ伏して恐懼する宗益。
いま幕府は、宗益による寺社領押領停止訴訟の裁決を、興福寺からひっきりなしに催促されている最中であった。しかし政元は宗益のかかる所業をしぶしぶ黙認しなければならない苦境にあり、それを良いことに宗益は、ほしいまま押領に及んでいたわけだが、そんな折に将軍の呼び立てを受けたものだから、宗益としては冷や汗ものであった。いくらなんでもやり過ぎだとして、政元を飛び越えて将軍直々の裁決により、この場で打ち首を宣告されるかもしれないと思ったのである。
しかし
「公儀に猿楽を勧進したそこもとの忠節を余は忘れておらん」
意外にも義高、上機嫌そうである。
これは宗益が河内十七箇所を知行された折に、幕府に対して猿楽を勧進したことを指している。打ち首どころか手柄を賞賛されたのである。みるみる上気する宗益の顔。
「ありがたきお言葉にございます」
宗益のような根っからの武人には、武家の棟梁から直接賜った褒賞の言葉が深く刺さる。もとより義高も、そんな宗益の朴訥などお見通しで言っているのである。
「いっそう忠節を尽くしてはみぬか宗益」
「なんなりとお申し付け下さいませ」
宗益、柄にもなく感涙にむせんで、断るという選択肢を失っている
「今上帝即位式典の用途捻出をそこもとに命ずるといえば……?」
「なんと……帝の……! それがしのごときに身に余る栄誉! 謹んで承ります」
宗益も、そして命じた義高自身も、どれくらいの費用が必要なのかいまいちピンときてない点には注意が必要だ。
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