第七話 大樹御不快之事

 有力内衆の活躍や、六角高頼の挙兵により政元は虎口を脱した。

 たしかに一連の戦いで北の脅威は取り除かれたが、南方では赤澤あかざわ宗益そうえきがあれだけ諸敵を叩いて回ったにもかかわらず、畠山はたけやま尚慶ひさよしの蠢動は未だに止んではいなかった。何度撃破しても雨後の竹の子のように湧いて出てきては、しぶとく細川方に戦いを挑んでくるのが常であった。

 このあたり、累代百年にもわたって紀伊や河内に根を張ってきた畠山の粘り強さが垣間見える。

 南方に敵を抱えたまま、政元は新たな難題に直面させられていた。将軍邸宅に招かれた政元は、上座の義高より

「新帝(後柏原天皇)即位式典の用途を沙汰すべし」

 との命令を受けたのである。

(冗談ではない)

 そう思う。

 義尹方との一連の抗争は、政元にとっては防衛戦争だった。敵方から積極的に領土を切り取ることができたのは、内衆のなかでも赤澤宗益などほんの一部に限られており、それでさえかかった戦費を補填するのがやっと、そこからさらに利益を出すなど夢のまた夢、というのが細川の台所事情だったのである。

 そんな苦しいなかでも政元は、なんとか前帝(後土御門天皇)大喪たいそうの礼の用途だけは捻出してみせたのだ。それでさえ死後四十三日を要したわけだから、そんな政元に、さらに新帝即位式典費用を出すよう求めるなど、いくらなんでも過ぎた命令といえはしまいか。

 ちなみにこのとき、大喪の礼に要した費用は百貫と伝わる。先の試算(第十三話「御訪献上之次第」参照)で算出した一貫=一八万七五〇〇円を採用すると、一八七五万円ということになる。わずか二千万円足らずの緊急予算さえ執行できない政府など、もはや政府の体をなしていない。

 幕府財政は既に破綻状態にあったが、朝廷はそれでも幕府以外に頼るところがなく、幕府は政元に頼る以外なかった。そしてその細川家財政もまた破綻していたというのが、当時の実相だったのである。

 政元は怒りを滲ませながら

「折半いたしましょう」

 と義高に持ちかけた。

「折半? 冗談ではない」

 冗談ではない、という言葉に、俺のセリフだ――と反感を抱く政元。

 義高はあからさまに不満げな顔をしている政元を前に続けた。

「余に出せる銭があるなら、そなたに相談するまでもなくとうの昔に出しておる。あいにく余は寺僧だった身ゆえ銭など持ち合わせておらぬ。恨むならそんな貧乏人を公方に据えた己が不見識を恨むがよい」

「不見識とな!」

 面と向かって侮辱された政元が鬼の形相で吼える。

 かつて清晃と呼ばれていたころの義高なら、かくの如く凄まれて恐怖のあまり涙をにじませ黙り込むのが関の山だっただろうが今は違う。将軍位に昇ってようやく十年に及ぼうという義高は、義尹との抗争の過程でそれなりの胆力を身につけ、政元の恫喝を前にしても動揺するようなことがなくなっていた。

「そうよ。そなたの不見識を難じておるのじゃ。余が銭など持ちあわせていないことを知って、それでも将軍に据えたのは他ならぬそなたではないか。それをいまになって折半など、自らの不見識を白状しているようなものではないか。そんな泣き言をいまになって言うくらいなら、最初から余を将軍に据えなければよかったのではないのか。違うか政元」

 いやらしくにやつきながら言ってのける義高。

 唖然とする政元に対し、義高は更に求めた。

「それと余の参議中将任官の件はどうなっておるか」

「!!」

 人を不見識呼ばわりしたあげく、その当人に向かってさらに任官のための支出を求めるとは……。

 さすがに開いた口がふさがらない政元。

 これより少し後、朝廷は直奏じきそうを禁ずる幕府の意向に反して、各地の地域権力と直取引に臨み、売位売官によって財政再建を目指していくことになるのだが、このころはまだそのようなマインドにいたっておらず、売位売官の相手は将軍など一部の武家に限られていた。参議中将任官も、義高自らが望んだというよりは、銭儲けを目的とした朝廷側からの打診があったためか。

 昇任をちらつかせながら銭を献上させ、めでたく任官となれば今度は拝賀はいが奏慶そうけいというのが一連の流れだ。拝賀奏慶とは任官の謝礼のために参内する儀式であり、ここでもまた礼銭が支払われたから、朝廷にとって官位はまさに「金のなる木」であった。

 当時の人々も馬鹿ではないから、叙位任官にことよせて銭儲けに走る、いわば「官位利権」に疑問を抱く人もいたはずである。

 しかし朝廷としては

「ちょっといま苦しいから銭を出せ」

 というほどの意味合いで任官を持ちかけているわけだから、持ちかけられた側としては、たとえ利権構造に疑問を抱いていたとしても、任官を断る選択肢はとりづらかっただろう。ここまでくると官位の押し売りのようにさえ思われてくる。

 もちろん絶対に断れないということはなかっただろうが、それではとばかりに「朝廷に銭を出さない不義不忠者」として糾弾されただろうから、断る覚悟は必要だったはずだ。

 政元もそんな官位利権に気付き、疑問を抱いている一人だった。

「参議中将任官など無益でございましょう。どれほど昇任なされたところで諸人がご命令を聞かなければ意味がなく無益でございます。大樹の御為になるとはとても思えません」

 義高の求めを袖にする政元。

 政元が義高の命令に従わないのは今に始まったことではなかったが、諸人が命令を聞かない云々にはさすがにぎょっとさせられたのか、義高が一瞬眼を剥く。将軍としての資質を否定されたと感じたのであろうか。

 義高の困惑を見て取った政元は勢いに乗って続けた。

「新帝即位式典も同じです。そのような大仰な儀式を行っても人々が新帝を帝と認めなければおよそ無意味。そしてそれがしは新帝を帝をお認め申す。銭ばかりかかる儀式など不相応でございましょう。ない銭は出せませぬゆえ、手続きを進められても無駄に終わるでばかりです。お止めになった方がよろしかろう」

 義高の加冠の儀を延引したときと同じ理屈をこねる政元。

 いまの政元にとっては、参議中将任官や即位大礼執行を断った方が利益が大きく、不義不忠の者と難じられるなど恐るるに足らない些事というだけの話であった。しかも断ることで、たったいま政元を侮辱した義高の権威をも同時に貶めることができるのだからむしろ好都合でさえあった。

 いまのが本当に恐れなければならないのは、こういった上に君臨する連中からの冷たい視線ではない。

 恐れるべきは下からの突き上げ――主のために命懸けで働いたのに、思ったような利益が得られず不満が渦巻いているであろう下々の突き上げこそ、政元が真に恐れなければならないことなのであった。 

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