第六話 義尹公御上洛頓挫之次第

 みなみ山城やましろ、河内方面における戦局が一進一退だったころ、義尹よしただはただ手を拱いていたわけではなかった。

 一進一退だからこそ

(いまここで我らが洛中に雪崩れ込めば或いは……)

 歯がゆい思いに駆られる。

 しかし義尹の身の回りを固めている味方は見るからに少人数だった。いくら多く見積もっても六百を超えるということはないだろう。この人数で京都の政元方と一戦交えるのはどう考えても自殺行為だ。

 義尹一行は、越前から直接近江に入るルートをとらず、いったん若狭に入った。ここで改めて味方を募ろうとしたのである。

 若狭は武田元信の管国だ。元信自身は政元に味方して、現在洛中に入っており領国に不在だった。若狭は義尹からしてみれば敵国だったのであり、そこから兵を引き抜くことができれば、自分が肥え太るだけでなく敵を減らすことができる一石二鳥の策と考えられたためであった。

 もし南方戦線が畠山はたけやま尚慶ひさよし有利に推移しておれば、若狭武士団が義尹方に転じる可能性も十分あっただろう。しかし前述のとおり、赤澤宗益の活躍によって南は細川優位に傾きつつあった。

 武士とは元来利に敏い生き物だ。味方有利ともなれば、若狭武士団が主君武田元信の意向に反してまでわざわざ不利な側に転じる動機がなかった。

 義尹一行は味方を募るどころか、少人数で敵国に飛び込むかたちとなったが、若狭武士団の襲撃を受ける事態は免れた。敵方とはいえ、前将軍に刃を向けることを元信が嫌ったためであった。

 むなしくも若狭をあとにして近江に至る道中、馬上に揺られる義尹の顔にポツリと雨粒が落ちてきた。暗雲が垂れ込め、雨脚が次第に強まっていく。

(もしかしたらわしは、何か大きな間違いをしでかしてしまったのではないか……)

 不安に襲われる義尹。

 そもそも吉見義隆ら強硬派が上洛を挙兵を主張したのは、畠山尚慶が宿敵義豊を討ち取ったことがきっかけだった。しかし冷静になって考えてみれば、義豊は別に政元の味方だったというわけではなかった。政元は単に義豊を蓋として利用していただけだったのであり、その義豊が死んだところで政元は無傷だった。義豊を敗死に追いやって勢いに乗っていたはずの尚慶が、政元相手に苦戦を強いられているのがそのなによりの証拠といえた。

 実は好機でも何でもなかったのにそのように錯覚し、無傷の大敵相手に蟷螂の斧を振るっている――。

 そんな自分の姿を想像して、義尹は不安に襲われたのである。

 しかし……。

 義尹は不安を強いて振り払った。

 平家打倒の兵を挙げた頼朝が、京都に向けて出発した北条泰時が、そして多々良浜に十倍の敵を迎え撃った我が父祖尊氏が、出陣にあたって不安を感じていなかったなどということが果たしてありうるだろうか。

 これら過去の偉人はみな、今の自分と同じように不安を感じ、勝敗の行方を案じながら軍を進めたに相違なかった。

 もとより勝敗は時の運なのであって、時宜を得ず敗れ去ったからとて何も恥じるところはない。むしろなすべき時になさざることこそ恥じるべきなのである。

 その意味で自分はなにも間違った決断はしていない。

 義尹は心中密かに繰り返した。

 一行は近江坂本に至った。ここまで来たら京都はもう目と鼻の先だ。軍勢は未だ千人にも達しておらず、義尹は諸方に使者を放って味方を募らなければならなかった。

 しかしこの措置は、義尹に敵対する者に対して、その所在地を教える効果ももたらした。

「政元の軍勢が我らの所在を察知して接近しております」

 このような注進があったが義尹一行に焦りはなかった。ここに義尹ありと喧伝して味方を募る以上、敵方に対してもその所在地が知れ渡ることは織り込み済みだった。

 義尹一行は在所とした寺の周囲の濠を深くし、防備を固めた。ここで政元勢相手に一戦遂げるつもりであった。

「味方は寡少ですが少しでも長く踏みとどまって釘付けにすれば、南から尚慶殿が必ずや後詰に駆け寄せてくれましょう。それまでの辛抱です」

 味方陣中に悲壮感が満ちるなか、吉見義隆らはこのように主張して味方を鼓舞すること頻りであった。

 その晩のことだ。

 寺の奥に設えられた寝所で身を横たえていた義尹の耳に鬨の声が飛び込んできた。人々が慌ただしく寺中を駆け回る足音も聞こえる。

 義尹が跳ね起きて枕元の太刀を手に取ると同時に、幸子丸こうじまるが注進した。

「敵方の襲撃でございます。疾く疾く、逃げる御準備を」

「なに敵とな。政元の軍勢はまだ洛中を出ておらんと聞いたが」

「それがどうやら、細川の軍勢ではないようで……」

「では何者か!」

 想定外の事態に驚き、敵に関する情報不足に憤ってみても事態は好転しない。義尹は幸子丸に手引きされるがまま坂本を落ち延びなければならなかった。

 山道に入りいずこともなく落ち延びてゆく義尹一行。振り返れば無数の篝火が寺を取り囲んでいる。

「六角高頼の軍勢と見え申し候」

 付き随う味方の誰かが力なく呟いた。

「小癪なり六角……」

 歯噛みする者もいる。

 義材一行の落ち目を見て取った六角高頼が、八年前(延徳三、一四九一)の恨みを晴らさんと押し寄せてきたものか。その攻勢は遠目からも熾烈の度が伝わってくるようだった。

(俺は、あんなにも嫌われていたんだ……)

 改めて思い知らされる義尹。

 頼朝も義時泰時父子も尊氏も、人望を得て味方する者がいてくれたから敵を打ち破ることができたのである。

(それもないのに分不相応の大望を抱いて……)

 自己嫌悪だった。

 義尹はいま、過去の自分の行状に嫌でも向き合わされていた。畠山政長の私戦に諸大名を駆り出して声望を失い将軍位を逐われ、そしていま義尹に襲いかかってきたのは、過去に義尹が討伐しようとした六角高頼であった。人望を得るどころかそれを失ったから、義尹は今このような憂き目を見ているのである。

(ああ、やはりわしは……)

 美味いものに舌鼓を打ち、歌など詠んで安穏とした余生を過ごす方が似合っている。

 将軍還任などもう御免だ――。

 いっそのことそんなふうに宣言してしまいたいくらいだった。

 一行が目指した先は周防山口であった。山口の統治者大内家といえば細川の天敵だ。義尹陣営は頼りにならない北陸諸大名を捨て、密かに連絡を取り合っていた大内を頼るべく西へ西へと落ち延びていったのだった。

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