第十三話 御臺薨去之事

 政元の姿は岩倉にあった。金竜寺に隠遁する富子に、義高の将軍任官を復命するためであった。久しぶりに面謁した富子は、前回会ったときより明らかに痩せてみえた。豊かで艶やかさを残していた頬の肉はこけおち、眼に生気がない。政元は驚きを隠しながら富子に言上した。

「先般義高様は朝廷より将軍宣下を蒙り、加冠の儀を執行したうえで将軍任官を果たされ……」

 途中まで言ったところで政元の言葉を遮る富子。

「延期されたそうですね。烏帽子が嫌いだとかなんとか……」

「……はい」

 恐懼する政元。

「そのような話、初めて聞きました。いまも我慢しながら烏帽子を被っているのですか」

「それは……」

 我ながら下手な方便だったと思う。しかし政元にも言い分があった。

 そもそも義材排除は富子が言い出したことだったし、義高を代替として立てたのも富子の意向だった。しかし当の富子は一連の政治変動の中で、一銭たりとも負担していないのだ。義高の将軍宣下も、政元が集めた銭によってでしか成し遂げられないものだった。

 他にもある。

 こういった儀式では贈答が不可欠だ。出席する公卿や大名からは祝賀の贈り物が届けられ、受け取った側は答礼の品を下賜しなければならないのが通例であった。贈る側は多数、受け取る側はひとりだから、とうぜん後者の負担が大きくなる。しかし義高にそんな財力はない。これらを負担するのは政元以外にいなかった。贈り物が政元の手許に残るわけではなく、答礼品の負担だけがのしかかってくる構図だ。

 さらに言えば、大名はともかく公家は、儀式出席にあたって朝廷から銭が下されるのが常であった。これは、儀式にあたり装束を一新し、見苦しくならないよう努めよという意味合いで下される一種の「儀式手当て」であったが、朝廷が貧窮していた折も折、こういった手当て支給の責任までが政元にのしかかっていたのである。

 もし

「装束くらいは自分たちでなんとかして欲しい」

 などと正論をぶつけようものなら

「銭がなく装束を一新できないので出席できない」

 と返されるのがオチだ。

 出席者の多寡はそのまま主催者の権威に直結する。政元は嫌でも銭を用立てなければならなかった。

 政元からしてみれば、富子も公家も義高も、誰も彼もがこぞって政元の財に食らいつき、貪っているようなものであった。

 政元はこのような不条理を前に黙っておくわけにはいかず、なんらかの形で抗議しなければならなかった。烏帽子嫌い云々はそのための方便に過ぎなかったのだが、富子を前にすると、あらかじめ準備していたこれら言い分を口にすることができない。富子は政元の心中を見透かしたように

「まあ、いいでしょう」

 とこれ以上追及しなかった。

 もともと政元は、金竜寺に参向して富子の意向を聴取し、幕政に反映する役割を担っていた。そのために反富子だった義材に疎まれ、かえって幕政から疎外される憂き目を見たりもしたわけだが、いよいよ義高が大人になって将軍に昇ったうえは、これ以上富子が幕政に口出しする理由がない。

 そのような事情も相俟って、烏帽子の件を追及されて以降、政元の足は自然と金竜寺から遠ざかっていった。

 そんな政元に富子の訃報が入った。明応五年(一四九六)五月二十日、富子薨去。享年五十七。

 富子は果たして勝者だったか、いやそれどころか幸せだったかどうかすら政元には分からないことであった。

 子で九代将軍だった義尚よしひさに先立たれたあと、富子が義材を将軍に推したのは、義材の母が富子の妹だったからだ。血縁を頼みに、夫義政にも死なれて寡婦となった自分の老後を託すに足る人物として義材を推したのである。

 その富子が、清晃(義高)を小川御所に入れた理由についてはよく分かっていない。義材だけでは不安だったのかもしれない。しかしこれは義視を激怒させた。前述のとおり、前権力者の住居に入るということは、そのままその権力を引き継ぐことを意味したからだ。清晃は義材の競合相手と見做されるようになり、危機感を抱いた義視は小川御所を破却する暴挙に出た。それだけでなく義視からの種々の嫌がらせにより、富子は、老後の安穏どころか最低限の従者だけを伴って、洛外の寺に逃げ込まなければならなくなってしまったのであった。

 そもそも富子と義視の間柄が険悪だった。兄義政に請われ、次期将軍として還俗した義視だったが、応仁の乱のゴタゴタの中で西軍に逐電し、兄夫婦と袂を分かっている。義視が将軍になれなかったのは西軍への逐電が原因だったのであり、いわば自業自得だったのだが、自分が据わるはずだった将軍の座に、富子の息子が据わっている光景は、義視にとって堪えがたいものがあったのだろう。その義尚が亡くなったあと、義視は富子に恨みを集中させていたのであった。

 富子は、義視父子を牽制する目的で清晃を囲い込んだという側面もあったのだった。

 結局そのためにうらぶれた老後を余儀なくされたのだから、勝ったのか負けたのかよく分からないままに富子は人生を閉じたのであった。

 そもそも彼女は幸せだったのか。

 巷には、今日の食すらままならない人にあふれていた。それらに較べれば、いくら零落したとはいえ食に困るということはさすがになかった富子は幸せだったかもしれない。

 しかし貧しいながらも一家協力し合って日々を暮らす市井の人々を眺めると、愛息義尚に先立たれた富子の悲しみが、改めて政元の胸に迫るのであった。

 ――貧しくとも家族があったほうが良いか、息子に先立たれても銭があった方が良いか。

 両者は二者択一ではなかった。世の中には銭も家族も両方を失ってしまった者もいるし、両方を満たしている者もいる。

 その人生の中で、おそらくは一度たりとも食うに困るという経験をしないまま逝った富子は幸せだっただろうが、子に先立たれた富子は間違いなく不幸せであった。

 富子が、人生において勝ったのか負けたのか、政元には分からなかった。また幸せだったのか不幸せだったのか、そのこともまた政元には知り得ないことであった。なので政元はそういった富子のあれこれについて考えることを止めた。

 ただ富子が、その人生において分相応の苦労を重ねたことだけは確かであった。自分なりの責任を果たして逝った富子の仏前で、政元は合掌するくらいのことしかできなかった。

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